第5章:赤い聖剣『フォルティス』(3)

 更に二日をかけてセレスタの村に辿り着いた時、シズナはその異様さに、村の入口で立ち尽くしてしまった。

 活気が無い。唯一王国首都に近い集落なのだから、もっと人々が外に出ていて、子供が無邪気に駆け回っているのではないかと思っていたのだが、道に人影は無く、シズナが暮らしていた故郷の村より静まり返っている。

 首を傾げながら再び歩き出し、道を歩くと、一人、中年の女性が井戸端で水を汲んでいた。

「あの、すみません」

 シズナが声をかけると、女性ははっとこちらを見、それから、一瞬にして表情を凍らせたかと思うと、慌てて水桶を持ち上げ駆け出し、近くの家に飛び込んで乱暴に扉を閉めた。そしてすぐさま、中から厳重に鍵のかかる音がしたのである。

「何だよ、助けにきた勇者様ご一行に、とんだ歓迎だな」

 イリオスが唾を吐いて顔をしかめる。

「魔物の襲撃があるから、過敏になっているのかも知れない。とにかく、宿を取って話を聞いてみよう」

 ミサクが彼の不機嫌には請け合わず、淡々と行動指針を示したので、「相変わらずのいい子ぶったお坊ちゃんが」とイリオスが舌打ちしたのが、シズナの耳にも届く。が、ミサクは聴こえているのかいないのか、肩にかけた荷物を軽く背負い直して、足早に村で一軒しか無い宿を目指して歩き出した。

 主にイリオスのせいで険悪な空気の中、五人は歩き、宿の扉を開ける。一階は食堂になっていて、カウンターの向こうで食器を拭いていた主人は、シズナ達――というよりはミサクとイリオスの騎士服か――を見て、明らかに怯えの色を浮かべた。皿を取り落としかけ、慌てて握り直し、おずおずとミサクに声をかける。

「き、騎士様がた、今日は何のご用でしょうかい……? 娘なら今は疲れて寝ているので、お勤めが出来るのは日が沈んでからで……」

「おっ、ここはねえちゃんがお相手してくれるのか? 気前がいいぐあっ!?」

 たちまち機嫌を直して口笛を吹くイリオスの後頭部を、アティアが背伸びして思い切り叩いて黙らせる。それを一瞥して、ミサクが主人に向き直った。

「すまない、話がわからない。どういう事だ」

 主人はその言葉に、逆にぽかんと口を開けて、それから得心がいった様子で、少しだけほっとした溜息を洩らした。

「あ、ああ、あんたがたはあの騎士達とは違うんですかい」

「この村には、一分隊がいるはずだ。何が起きているんだ」

 ミサクが水を向けると、主人の顔が再びこわばる。話して良いものかどうか、迷っているようだ。それを察して、ミサクは言葉を重ねた。

「大丈夫だ、我々は彼らとは行動を別にしている。唯一王の名にかけて保証しよう」

 真摯な態度を取る騎士にそう言われて、主人の警戒も大分薄れたようだ。「実は」と声を低める。

「最初は、王都から来た騎士様だからって、皆歓迎したんですよ。これで魔物を追っ払ってくださるって。ところが、それがとんでもなかった」

 そう切り出した主人の話によると、魔物退治に来たはずの騎士達は、初めこそ魔物と戦ってくれていたし、村人達も酒や食事を出して感謝の意を示した。だが、一週間を過ぎ、月が新月から満月を過ぎても、彼らの魔物討伐が完了する気配は見えない。それどころか、村人が貢ぐのが当然のごとく振る舞って、毎日食堂で金を払わない暴飲暴食を繰り返したり、金目の物を巻き上げたり、女性の奉仕を要求したり、遂には、孫娘を差し出す事を拒んだ老人を、魔物を倒すはずの刃で斬り捨てたという。

 村は横暴に屈するしか無く、いつどんな無茶を言われるか、どんな無体を働かれるか、魔物以上の脅威として、戦々恐々としながら暮らしている状態だという。

「なんて奴ら」

 シズナの悪態は、思わず口をついて出てしまった。王都にいた頃から、王家に関わる人間にろくでもない連中が混じり込んでいるのは、嫌というほど思い知っていた。だが、あの場所を離れてからも、唯一王国の腐敗した片鱗を見せつけられるのか。苛立ちが募る。

 唇を噛み締めてぐっと拳を握り込むと、隣でミサクが再び口を開いた。

「彼らはどこにいる。僕の立場なら、場合によっては彼らを強制送還させる事も可能だ」

「へ、へえ、騎士様が?」

 傍から見れば少年に過ぎない彼が、分隊長を処罰する権限を持っているなど、一般の村人には想像がつかないだろう。実際、一年付き合ってきたが、シズナもミサクの立場については、「剣も魔法も使えないのに、年上のイリオスよりは偉いのかも知れない」というぼんやりとした認識を持っているだけだ。

 だが、周りのそんな疑念もお見通しとばかりに、ミサクは懐から、掌大の銀製の、何か平たい物を取り出した。「出たよ、お坊ちゃんの切り札」とイリオスが忌々しげに頬を引きつらせる。

 そこには、凛々しく翼を広げる伝説の幻鳥げんちょうガルーダが刻まれていた。幻鳥は、唯一王国を守護する聖獣であると言われている事は、シズナも座学で習った。

「アナスタシア特務騎士隊長、ミサクだ。騎士団における不逞の輩は、特務騎士隊が罰する」

 紋章を眼前に掲げて、少年騎士は少しも動じずに言い切る。シズナは驚きに目を丸くして、自分はこの話には関係無いとばかりにきょろきょろ周囲を見回していたコキトに耳打ちする。

「特務騎士って、そんなに偉いの?」

「偉いっていうか、文字通り特別さね」

 すげなく流されるかと思ったが、コキトは少しだけこちらに顔を近づけて、小声で説明を返してくれた。

「主に一芸に突出した奴を集めて、要人の警護から、あんたみたいな事情持ちの面倒見、表だって出来ない物や人間の捜索、果ては暗殺じみた黒い仕事まで請け負う、便利屋みたいなもんだ」

 便利屋、などとコキトは呑気に言い放ったが、暗殺までするとは穏やかではない。ミサクがそんな部隊の人間、しかも隊長であった事に、シズナが唖然としていると、がやがやと外が騒がしくなり、派手な音を立てて宿の扉が開かれた。

「おら親父! 騎士様が見回りからお帰りだ!」

「酒出せ酒! 肉もだ!」

「てめえの娘にしては器量よしのあの女に酌をさせろや!」

 汚い口調で偉ぶる連中が、七人。どいつもこいつもミサクやイリオスと同じく、アナスタシアの騎士服を着ている。こいつらが、主人の話にあった騎士達に間違い無いだろう。

 しかし彼らは、今日は宿に先客がいた事に気づいて歩を止め訝しみ、それから、シズナ達の顔ぶれを見て、一人が「おい」とこちらを指差してきた。

「あれ、ミサクじゃねえか。特務騎士の」

「イリオスと魔法士のコキトもいるぞ」

「て事はまさか、あの金髪、エルストリオの」

 囁き交わし、途端に一同の顔が青くなる。自分達のこの村での言動について、特務騎士隊長に余すところ無く伝わった事を察したに違いない。

「君達の事は主人から聞いた」

 ミサクが相変わらずの淡々とした態度で、騎士達に近づいてゆく。

「唯一王の名誉を汚す行為を働いた者達を、許す訳にはいかない。王都に帰して、陛下からしかるべき罰を下していただく」

 静かだが有無を言わさぬ迫力に、不逞騎士達は一瞬怯んで後ずさる。しかし、王都に送還されれば厳罰が待っているだろう未来を思う気持ちが、彼らを自棄にさせたのかも知れない。

「やっ、やれるもんならやってみろってんだ、剣も使えねえガキが!」

 先頭の大柄な男が、唾を飛ばして殴りかかってくる。咄嗟にシズナは床を蹴って駆け出し、ミサクと騎士の間に割って入ると、軽く拳を受け流して相手の腕を引いた。そして、ずだん! と大きな音を立てて床にひっくり返ったその鳩尾に肘を叩き込む。故郷の師匠直伝の体術は今も充分な威力を発揮し、騎士は「がはっ」と肺の中の息を吐き出して白目をむいた。

「な、なんだお前ら、やる気か!?」

 先鋒があっさりといなされてしまった事に混乱した後続が、剣の柄に手をかける。

「お、本気の喧嘩か? 俺は一向に構わないぜ」

「試したい魔法の実験が出来るかなあ」

「皆さん、後先を考えなさすぎです」

 イリオスがうきうきしながら拳を鳴らし、コキトは魔律晶を手にしてにやりと笑い、アティアが深々と溜息をついたが、腰に帯びていた短剣を抜き放ったあたりから、止める気は一切無いようだ。

 ひっ、と宿の主人が息を呑むのを背後に聴きながら、シズナはミサクと並んで残る六人と向かい合う。

 だが、一触即発の空気を打ち破ったのは、新たに宿に飛び込んできた、切羽詰まった声だった。

「ま、魔物だ! 魔物がまた来た!」

 村人の一人だろう若い男性は、食堂に入ってきた途端、繰り広げられている光景に一瞬目を見開いて固まったが、すぐに気を取り直し、騎士達に向かって声を張り上げる。

「あんた達の出番だろう!? 言い値を払うから、早く何とかしてくれ!」

 成程、退治の度に金をせびってもいたのか。シズナの中ではもう、怒りを通り越して呆れしか出ないが、とにかく今は、目の前の連中とくだらない喧嘩を繰り広げるより、この村の危機を取り除く方が先だ、と判断する。

「貴方達」

 シズナが碧の瞳を細めてすごむと、普通の小娘が持ちえないはずの威圧感を発した事に、騎士達は気圧されたようだ。びくりと肩をすくめる。

「この場は一旦預けるわ。魔物をやっつける方が先よ」

 その言葉に、彼らは一様に振り子人形のごとく首をかくかく縦に振ると、宿から飛び出した。シズナ達も後に続いて外へ向かう。

 そこで繰り広げられていた光景に、シズナは瞬間、息を呑み、意志に関係無く足を止めてしまった。

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