5-3 生田係長の決心
般若と別れた後、入れ替わるようにメガネの監察官と廊下で遭遇した。
「なかなか面白いことになりそうだな」
軽く敬礼して通り過ぎようとした私に、監察官が不気味な笑みを浮かべて声をかけてきた。
「今度はよろけただけとは通用しないぞ」
「どういうことですか?」
「生田が令状なしにガサ入れするつもりらしい。これは面白いものが見れそうだ」
監察官が生活安全課の部屋に視線を向けながら、底冷えするような声で呟いた。
――え? 令状なしにガサ入れする?
一気に嫌な予感を感じた私は、監察官の顔をまじまじと見つめた。相変わらずな無表情だったけど、メガネの奥に見える瞳は獲物に狙いを定めた肉食獣のように、爛々と輝いていた。
監察官に無言で頭を下げ、私は生活安全課の部屋へ猛ダッシュした。部屋の中には生田係長と東田と林巡査部長が対峙していて、すでに緊迫ムードが漂っていた。
「あ、浅倉さん」
私に気づいた林巡査部長が、困った顔で手招きした。足早にそばへ近づき何事か確認してみる。どうやら、先日の声かけ事件の被疑者が一課に任同された男と同一の可能性があるようで、生田係長が強制わいせつの容疑でガサ入れしようとしているらしい。
林巡査部長の話はわかったようなわからないような感じだったけど、ガサ入れという言葉で脳裏に監察官の不気味な笑みが浮かんだ。
「係長」
とりあえず生田係長の前に行き、様子を伺ってみる。気のせいか少しやつれた感じはあるものの、眼差しには力強い意志が感じられた。
「なんだ?」
「ガサ入れって、令状はあるんですか?」
「ない」
さも当然とばかりに、生田係長が即答する。と同時に、東田がお手上げとばかりにため息をついた。どうやら東田は、生田係長を説得していたらしい。
「ないって、なかったらガサ入れは――」
「関係ない」
私の説得を、生田係長が頭ごなしに打ち切ろうとしてきた。いつもなら気迫に圧されて何も言えなくなるけど、今回はさすがに監察官が察知している以上、あっさりと引き下がるわけにはいかなかった。
「係長、なぜ令状なしにガサ入れしようとするんですか? 昨日任同されてきた男が、声かけ事件の被疑者と同一人物かもしれないって聞きましたけど、どうやってわかったんですか? それに、強制わいせつって、声かけしただけでは成立しませんよ」
「ごちゃごちゃうるさい奴だな」
矢継ぎ早に質問攻めをする私に、生田係長が顔をしかめる。その態度からして、生田係長には何か行動を起こすきっかけとなるものを得ているように見えた。
「うるさくてもかまいません。ちゃんと説明してください。それに、男が犯行に及んでいるなら令状の請求はできるはずです」
「請求は無理だ。あの禿げ課長にいくら説明したところで理解はできない」
「でしたら、ちゃんと説明してください。令状なしででもガサ入れしないといけない理由は何ですか? ひょっとして、八年前の事件と関係があるんですか?」
張り倒される覚悟で、生田係長に一気に詰め寄った。ここで引いたら負けだと思い、怖くて震え出した体に「えい」と力を込めた。
しばらく黙り込んだまま私を睨んでいた生田係長だったけど、ようやく観念したのか、天井を見上げた後に長いため息をついた。
「DVDだよ」
「え?」
「昨日の奴が持っていたDVDの中身が、八年前の事件の被疑者が持っていたものに酷似していた」
絞り出すように呟いた生田係長が、机の上にラベルのないDVDを置いた。確か、林巡査部長によれば、任意同行してきた男の所持品であるDVDを生田係長がチェックしてからおかしくなったはず。
「八年前の事件のことは知っているようだが、俺が持ってる手がかりまでは知らないようだな」
「手がかりって、それは全て捜査妨害で潰されたのではなかったんですか?」
「表向きはそうなっている。だが、秘密裏に俺が隠し持っているのが二つある。一つは110通報記録をコピーしたやつで、もう一つがDVDだ」
そう説明しながら、鍵のかかっていた机から生田係長がぼろぼろの封筒を取り出した。中身はUSBとDVDが一つずつあり、それらが生田係長の言う秘密裏に集めた手がかりなのだろう。
「エロ目的で裏DVDを集めていたと思っていたのか? 馬鹿なことをする為に、110の通報記録のコピーをもらっていたと思っていたのか?」
段々と声が荒くなり始めた生田係長に、私の勢いが一気に削られていった。
――え? ちょっと待って。じゃあ裏DVDを集めたり、通信指令室の人からコピーをもらっていたというのは
混乱しかけながらも、必死で状況の把握に努める。今まで生田係長が裏DVDを集めたりしていたのは、単にエロいからではなく、八年前の手がかりを元に捜査をしていたということなのだろうか。
ということは、エロ馬鹿な態度はカモフラージュであり、本当は虎視眈々と被疑者の行方を追いかけていたということなのだろうか。
「この男を叩けば、何か情報が出てくるかもしれん。そう考えたら、令状なんてのんきなことを言っている暇はないんだ」
「でも、気持ちはわかりますけど――」
「何がわかるんだ!」
再度説得しようとしたところに、生田係長の一喝を浴びせられた。いつも以上の怒鳴り声に驚いた私は、気がつくと一歩下がっていた。
「言え! 一体何がわかるっていうんだ!」
部屋中に響き渡る声に、一瞬で空気が凍りつく。あまりの迫力に、どうしていいかわからず、私は黙ったまま生田係長を見つめることしかできなかった。
「八年だ」
殺意すら感じるほどの視線を保っていた生田係長が、わずかに視線をそらしてぽつりと呟いた。
「ずっと探していた新たな手がかりが、今やっと手に入ったんだ。八年前の、七海を連れ去った被疑者につながるチャンスかもしれないんだ。ひょっとしたら警察の動きに気づいて飛ぶかもしれない状況の中、課長に令状請求してもらうのを指をくわえて待てというのか?」
怒声は収まったけど、代わりに胸が締めつけられるような重い声が、ずしりと胸に突き刺さってきた。
「浅倉の言いたいことはわかる。令状なしにガサ入れしたなんて知れたら、懲罰は免れないだろう。だが、それでもいいんだ。八年前に犯した俺の罪に対する罰という意味でも、甘んじて受けようと思う。だから、この件だけは、誰の指図も邪魔も受けるつもりはない」
きっぱりと生田係長は言い切ると、話は終わりとばかりにジャンパーへ手を伸ばした。話の内容からして、生田係長の決心は揺るぎないものであり、私なんかが説得できるものではないと痛感した。
――でも
それでも、このまま生田係長を行かせたくなかった。娘さんが生きている可能性があるとしたら、生田係長の暴走は無駄になってしまうだろう。
――私がやるべきこと、やれることは何がある?
打開策を必死で考える中、「一人で行く」とだけ告げて、生田係長が部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、見つかりそうにない答えを必死で探し続けた。
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