5-2 般若の証言

 翌日、昼前に現れた般若を捕まえることができたのは幸運だった。昨日の騒ぎのせいで東田以外とは気まずい空気があり、生田係長も私とは目を合わせることなく、相変わらず防犯カメラの映像を確認しながら眉間にしわをよせていた。


 そんな状況だったから、勤務明けの赤い目をした般若を見つけた私は、ためらうことなく声をかけた。


「小柳班長、少し時間をいただけませんか?」


 一課の部屋に向かっていた般若が、私に気づいて手を上げる。私の申し出には目を細めたけど、般若は裏口の喫煙所に誘ってくれた。


 自販機でコーヒーを二つ買い、一つを般若に渡す。北風に身を屈めながら煙草に火をつけた般若が、それまでとは一転して重苦しいオーラを漂わせ始めた。


「話ってのは、生田のことだろ」


「さすが機捜の班長ですね」


 まるで考えていることを見抜くかのように切り出した般若に、私は誤魔化すことなく笑顔で返した。


「単刀直入にお伺いします。この前の声かけ事件で、なぜ防犯カメラの映像を消したのですか?」


 百戦錬磨の刑事相手に下手な小細工ややり取りは不要だと思い、私は直球勝負に出た。


「その話、誰から聞いた?」


 缶コーヒーを飲む手が止まった般若だったけど、一瞬の動揺もすぐにポーカーフェイスに戻り、般若は煙草をもみ消しながら私を睨んできた。


「ソースは明かせません。ただ、生田係長を心配している一課の人です」


「だとしたら、マルタイは絞りきれんな」


 般若は鼻で笑うと、何かを見つめるように遠くへと視線を向けた。


「生田のこと、どこまで知っている?」


 しばらく黙っていた般若が、神妙な面持ちで口を開いた。私は知っている限りのことを、包み隠さず話した。


「確かに、八年前の事件でも捜査妨害と思える節はあった。今回の事件も、捜査妨害だけでなく一課が組織ぐるみで事件を隠そうとしているのかもしれん」


「だとしたら、なぜ一課はそんなことをしているんですか?」


「なあ浅倉、警察って何だと思う?」


 鼻息荒く般若に詰め寄った私に、般若が睨みをきかせながら、一際低い声で返してきた。その迫力に圧倒された私は、何も言えないまま首を横にふった。


「警察ってのは、個を失った組織体だ。上の命令一つで、どんなこともやらなければならない。だから、個人の思想なんか必要ない。機械のように命令にだけ従っていればいいんだ。この意味がわかるか?」


 般若の問いに、私は半分頷きながらも半分は首を傾げて見せた。


「上の命令一つで、白も黒に変えないといけないってことだ。その命令を下した人間が、上になれはなるほど組織全体が命令に支配される。例えば、どこかのお偉いさんが捜査に口を出して、連れ去り事件がなかったことにされることもあるかもしれんな」


「え? それって……」


 般若の予想外の言葉に、驚いて声が上擦ってしまった。美奈子の話だと、生田係長の娘さんが連れ去られた事件は、数々の捜査妨害によって手がかりを失ったものとされていたはず。


 けど、般若の話だと、まるで誰かの命令で事件そのものが闇に葬られたということになる。そうなると、捜査妨害は生田係長に恨みがあってというよりも、事件を隠蔽する為に行われたと考えたほうがしっくりくるように思えた。


「八年前の事件も今回の事件も、俺は組織ぐるみでの事件隠蔽だと思っている」


「だとしたら、誰が何のためにそんなことを行ったんですか?」


「はっきりとはわからん。ただ、一つ言えることは、一課全体を動かすとなると、よっぽどの人物が関わっているのは間違いない。それこそ、本部長にも物が言えるほどの人物がな。まあ、例えばの話だが、警察庁のキャリア組なんかであれば、組織全体に圧力をかけることもできるかもしれん」


 般若が意味深な言葉を呟きながら、何らかの思惑を秘めているような視線を向けてきた。その顔は、明らかに生田係長の元奥さんである遠藤の家を疑っているように見えた。


 ――え? ちょっと待って、どういうこと?


 混乱しそうになる頭を抱えながら、私は必死で話の内容を整理した。生田係長の娘さんが連れ去られた事件に、遠藤家、おそらくは父親である警察庁のキャリアが関わっていて、遠藤の父親は事件そのものをなかったことにしようとしたと、般若は考えているみたいだ。


「元奥さんの家が関与しているとして、でも、自分の孫娘が連れ去られたんですよ。なのになかったことにしようとしたなんて、ちょっと考えられません」


 混乱する頭で必死に理由を考えてみたけど、答えなんか出るはずがなかった。


「普通はそうだ。だが、相手は生粋のキャリアだ。キャリアが嫌うのは何だと思う?」


 般若の問いに、パンク寸前の私は何も思いつけなかった。


「汚点だよ」


「汚点、ですか?」


「元々、生田と嫁さんの結婚は祝福されていなかった。嫁さん側の家が大反対してな。子供ができたことで、半ば強引に結婚したようなものだ。だが、その結婚生活も、傍目には上手くいってなかった。生田は、元嫁さんの家のプレッシャーもあったんだろう。強行の仕事にとりつかれ、結果的に仕事にのめり込んでしまったんだ」


 知らなかった生田係長の過去に、私は言葉を失った。エロくて馬鹿なだけかと思っていたけど、その背中には人知れず苦しみを背負っていたみたいだ。


 ふと、子供の前で父親に手錠をかけた時のことを思い出した。耐えきれずに涙した生田係長は、あの時、誰を想い、何に胸を痛めたのだろうか。


 そう思うと、胸が締めつけられるように苦しくなった。理解することはできないとしても、せめて、生田係長の痛みの一部でもわかってあげられればと、素直に思えた。


「元嫁さん側の家は、娘に離婚するように説得していたらしい。傷が浅いうちに、娘をやり直させたかったんだろう。いつまでも上手くいかない家庭にいることは、汚点を嫌うキャリアにしたら我慢できないだろうからな。しかし、娘は離婚には応じなかった。だから、一芝居打つことにしたのかもしれない」


「一芝居打つって、まさか」


「そのまさかだ。ありもしない連れ去り事件を、警察を巻き込んででっち上げた。そう考えると、一課全体で事件を隠蔽しようとしたのも頷ける」


 般若の推理に、私の頭はもうパンクしてしまった。警察を巻き込んで事件をでっち上げるという発想もそうだけど、もし本当に実行していたとしたら、とんでもないことにしか思えなかった。


「だとしたら、なんでそんなことをしたんですか?」


「元嫁さんの家は、二人の間を結んでいる娘に目をつけた。娘がいなくなれば二人の仲も終わると考え、偽の連れ去り事件をでっち上げた。生田に、娘が連れ去られたという嘘の事実を与えることで、二度と元嫁さんには近づかないようにしたのかもしれん。まあ、あくまでも俺の推理なんだがな」


 あくまでもとは言っているけど、百戦錬磨の刑事が導きだした答えだ。九分九厘の可能性で真実と言えるだろう。


「でしたら、連れ去り事件はただの芝居で、一課はそれに付き合ったということですか?」


「実際に詳細を知ってるのは、一部の上の連中だろう。大半の捜査員がよくわからないまま命令に従っていただけだと思う」


 般若の説明に、私は呆れて言葉を失った。キャリアのエゴの為に警察が利用され、その結果一つの家族が潰された。そんな理不尽なことが起きていたかもしれないということに、無性に腹が立った。


「それが本当でしたら、生田係長の娘さんは生きてるということになりますよね?」


 マグマのように溢れる怒りを今は抑えて、代わりに芽生えた希望を口にする。仮に事件がでっち上げだとしたら、生田係長の娘さんは連れ去られてなどいなくて、今も生きていることになるはず。


 そんな私の想いに応えるように、般若が大きく頷いた。


「おそらくは、元嫁さんのところで生きていると思う」


「だったら、そのことを生田係長に」


「駄目だ!」


 はやる気持ちを言葉にした私を、般若の一喝に近い声が遮った。


「この話は、あくまでも俺の推理だ。確証がない以上、生田に余計な刺激を与えたくはない。わかると思うが、生田がこの話を聞いたら間違いなく元嫁さんのところに行くだろう。その時、万が一間違いだったとしたらどうなる? 相手は警察に圧力をかけられる権力者だぞ。生田がどうなるか、想像すればわかるよな?」


 般若の言葉に、せっかくの希望の光に暗雲が差し掛かった。ミス一つ許されない世界にいるからこそ、確証がない限りは動けないという般若の気持ちもわからなくはなかった。


「でも、確証はないとしても、小柳班長も誰かに命令されて映像を消したのではないんですか? 生田係長の状況もわかっているはずなのに、それでもあえて消したのはなぜなんですか?」


 般若が一課の動きを知った上で、生田係長の娘が生きていると思っているのなら、なぜ生田係長の為に動かないのかがわからなかった。


 もちろん、確証がないというのは理解できる。けど、せめて手掛かりぐらいは生田係長に渡してもいいはず。


 そんな私の気持ちに気づいたのか、般若が一際渋い顔を見せた。


「所詮は、俺も組織の人間ということだ」


 話は終わりとばかりに、般若が急に背を向けた。その背中からは、般若の気持ちは何一つ読み取ることはできなかった。

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