最終章 私がやるべきこと

5-1 警察のジレンマ

 生活安全課の部屋から飛び出した後、あてもなく町をさ迷っていた私だったけど、繁華街にさしかかったところで、あっさりと東田に捕まった。


 気まずい雰囲気があったけど、胸の内を吐き出したことと、何も考えずに歩いたおかげで幾分落ち着いたこともあって、何も言わずに私の手を引っ張って行く東田に黙ってついていった。


 東田に導かれるままたどり着いた先は、レトロな雰囲気が漂うこじんまりとした飲み屋だった。カウンター席以外にガタの来はじめたテーブル席が三つあり、夜が始まりだしたこともあって、既に馴染み顔をしたサラリーマン達がくつろいでいた。


「あら、渚ちゃん久しぶり」


 カウンターに座ると、奥から白髪混じりの老婆が現れた。割烹着姿が様になっていて、みるからにこの店の女将さんといった感じがした。


「お母さん、久しぶり。いつもの奴ある?」


 気さくに東田が話かけと、女将さんは人懐こい笑顔を見せてカウンターに消えていった。お母さんといっても本当のお母さんではなく、女将さんを好きでそう呼んでいると、東田が照れくさそうに笑った。


「浅倉、ごめんね」


 気まずい空気がまだ残る中、東田があっさりと頭を下げてきた。だから私も、やり過ぎたったとして頭を下げ返した。


「ここはね、私が泣きたい時に来るの」


 運ばれてきた煮物に箸をつけた東田が、とりあえずとビールを注ぎながら呟いた。


「東田さんも泣きたい時があるんですか?」


「あるわよ。こう見えても私、繊細なんだから」


 豪快にビールを一気飲みしながら、似合わないことを東田が口にする。見事な吐息つきで飲み干す姿は、いつもの東田に見えた。


「浅倉、警察のジレンマって知ってる?」


「いえ、聞いたことないです」


 聞き慣れない言葉に首を傾げると、里芋を口に放り込んだ東田が力なく笑った。


「警察は被害者の為に被疑者を逮捕する。なぜなら、被害者は被疑者にやり返すことは許されないから。でも、どんなに被害者の感情を想像して寄り添ったとしても、本当の意味では被害者の感情なんて警察にはわからないのよ。ただ、わかったような気になっているに過ぎないの」


 東田がさらにビールを飲み干した。辛いことでもあったのかなと、コップにつぎ足してやりながら東田を見つめた。


「昔ね、ストーカー事件で被害者の女性が刺されて死亡するという事件があったの」


 そう切り出した東田が、箸で煮物を意味なくつつきながら事件のことを語りだした。


 東田がまだ生活安全課の係員になったばかりの頃、ストーカー被害の相談を受けた。被害女性は困っているように見えたが、実際は大した事件ではないと判断したという。理由は、ストーカーをしていたのが元恋人であり、今の恋人が間に入って事態は収束しているように思えたためだった。


「それまでいくつか事件を担当したけど、被害者が何を考えてるかが、段々とわからなくなっていたの。困っているかと思うとそうでもないし、大したことではないと思ったら、立ち直れないほど傷ついていたりして。結局のところ、被害者感情を正確に知るのは無理なんだって思い知らされたの」


 そういうわけだから、ストーカー事件の相談もマニュアルに沿った対応に終始した。被害者も間に入った恋人も、それほど困った様子もなかったから問題ないと最終的に結論づけたという。


「でも、その三日後に被害者の女性がストーカーに刺されて死亡したの。なんてことはない、大したことはないと思っていたのは私だけで、実際には相当切迫していただけの話」


 東田が前髪で顔を隠すかのように俯いた。その仕草に、東田の後悔が滲んで見えたような気がした。


「それだけなら、マニュアルのせいにしてふっきれたかもしれない。でもね、問題はその後なの。警察の対応に問題はなかったとマスコミに発表した後、被害者の恋人が署に来てね」


 髪の間から、東田の涙が見えた。おそらく、今から語られる内容こそが東田の心の傷だと思い、 私は枝豆に伸ばした手を引っ込めた。


「ストーカー事件の捜査を抗議する為、恋人はガソリンを被って自分に火をつけた。慌て駆けつけた私の前で、恋人は生きたまま焼死したってわけ」


 震える声はそこで途切れ、東田はテーブルに顔を伏せた。漏れ聞こえるすすり泣きから、東田の心にはその事件が突き刺さったまま抜けてないことがわかった。


「被害者の心情? わかるわけないじゃん。被害状況を元に捜査して、逮捕状請求する為の書類を作る方法しかマニュアルには書いてないの。はにかんだ笑顔でさ、相談にのってもらってありがとうございましたと言われたのに、本当は心の中で切羽詰まって助けてと叫んでいたなんて、わかるわけないじゃん」


 東田の悲痛な叫びに、私は東田の背中をさすっていた。警察も所詮はただの人間だ。全てを理解して対応することなどできるわけがない。


「だから私、逃げ場所を作った。当時付き合ってた彼が競馬をやってたから、私は競馬にのめり込んで忘れようとしたの。大歓声を上げる大勢の人ごみの中にいたら、私の存在なんてないような気がして、そう思える時だけが救いになってた」


 一通り泣いて落ち着いたのか、東田は顔を上げて腫れた顔に笑顔を浮かべてくれた。


「警察を辞めようとした時に、生田係長と出会ったの。でたらめな人だけど、本気で被害者のことを考え、何より、二度と犯罪を起こさせない為なら平気でマニュアルを破るような人だった。周りの人は警察を辞めるようにすすめていたけど、生田係長だけは違った。競馬をやってていいから、生安に残れって言ってくれた。マニュアルで失敗したような奴が、俺の班には必要だって笑ってくれたの」


 当時を思い出したのか、東田が声を出して笑った。その雰囲気からして、生田係長は今も昔も相変わらずみたいだった。


「生安に残るのは怖かったけど、自分の居場所を与えてもらったみたいで嬉しかった。実際、あのまま辞めてたら、きっと私は駄目になっていたと思う。生田班にきて、マニュアルを破ってでも犯罪を潰そうとする中で、ちょっとずつだけどね、私も笑えるようになっていったかな」


 鼻をすすりながらも、いつもの東田に戻ったことに少しだけ安堵した。東田は色々と抱えながらも、自分と向き合う強さを生田班で見つけたんだろうという気がした。


「だからね、浅倉が生田班を守ろうとしてたことがわかって、ちょっと嬉しかったんだ。なんだかんだ言って、私も生田班にしか居場所がないし、生田班が好きなんだって思ってるから。だから、ありがとね」


「いえ、私はそんな――」


 屈託のない笑顔を向けられて、私は困惑してしまった。確かに生田班を守ろうという気持ちがあったのは間違いないし、東田に感謝されるのは嬉しくもあった。


 けど、それとは別に、異動の話に揺れ動いていたのも事実だった。我が身かわいさの為に動いていないかと言われると、そうとは言い切れない後ろめたさもあった。


 そのことを口にすると、東田は一瞬驚いた顔をした後、声高に爆笑した。


「そんなこと気にしなくていいよ。署長からどんな話があったかは知らないけど、自分の為に動くことは悪いことじゃないって」


 私の後ろめたさを払拭するように、東田は私の肩を叩いて笑い飛ばしてくれた。


「もう、笑い過ぎです」


 私はふて腐れながらも、東田の遠慮のない豪快な優しさに、素直に感謝した。


「ま、色々あったけど、しばらく競馬は辞めるね」


「え?」


「生田班がやばそうなら、私も協力しないといけないでしょ?」


 東田がウインクしながら舌を出した。その仕草が嬉しいやら楽しいやらで、私も声を出して笑った。

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