4-7 私の居場所

 取調室内での騒動は、騒ぎを聞きつけた般若が間に入ることで決着となった。


 私は殴られた痛みよりも、まずは監察官に説明をと思い、廊下に出ていた監察官に殴られたわけではないと訴えた。


 私の訴えを聞き入れたかどうかはわからないけど、複雑な面持ちで「そういうことにしておこう」とだけ呟いて、監察官はそそくさと去っていった。


 鉛を背負っているみたいにずっしりとした重みを肩に感じながら、般若と一緒に生活安全課の部屋に消えていった係長の後を追う。事態は最悪だけど、般若がいることは都合が良かった。


 あからさまな一課の不要な関与。その理由を探る鍵は、防犯カメラの映像を消した般若にある。般若を問い詰めれば、この異様な事態を少しは解明できるかもしれなかった。


 そう意気込んで生活安全課の部屋に入るなり、私はまたしても派手に転びそうになった。


「もう、何やってんですか!」


 東田の机に置かれた競馬新聞。さらには、パソコンのモニターに競馬の実況が流れていた。


「あら、派手にやられたみたいね」


 東田がバツの悪そうな顔をしながらも、お構いなしに競馬新聞を広げ始める。その態度に怒りの沸点を越えた私は、勢いに任せて競馬新聞を取り上げた。


「いい加減にしてください! 監察官がまた来てるのに、何でこんなことしてるんですか!」


 私の叫びが部屋に響き渡り、みんながちらりとこっちを見たけど、誰もが触らぬ神に祟りなしを貫いていた。


「ねぇ浅倉、あんた何か言われた?」


 突然、真顔になった東田が立ち上がって腕を組んだ。その眼差しには明らかな敵意が感じられたおかげで、続く説教の言葉を喉に詰まらせた。


「言われたっていうのはどういう意味ですか?」


「署長に呼び出された時よ。あれから急に厳しくなったでしょ? どう考えても何かあったとしか思えないわけよ」


 東田の鋭い指摘に、鼓動が否応なしにピッチを上げていく。内密の話だからここで話せるはずもなく、私はだんまりを決めるしかなかった。


「別に係長が殺気立って怒鳴るのはいつものことじゃない。それを馬鹿みたいに止めに入って、それで顔に怪我までして、あんた何がしたいの?」


「怒鳴るだけじゃなかったんです。任意の取り調べなのに、恫喝して――」


「別にいいじゃない。生田班なら、そんなこと普通でしょ?」


「でも、規則は守らないと駄目ですよ」


 監察官が見ていたとは言えず、東田の呆れ果てた顔に、私はそう返すだけで精一杯だった。


「なるほどね」


 私の言葉を鼻で笑った東田が、眉間にこれでもかとしわを寄せた。


「あんた、人事でいいこと言われたんでしょう?」


「え?」


「どこか希望の課にでも内示がでたんでしょ? だから、署長から異動前に騒ぎを起こすなと言われたんじゃないの?」


 東田の冷たい口調に、自然と体が震えるのを感じた。希望の課かどうかは別として、署長から騒ぎを起こすなと言われているのは間違いなかった。


 でもそれは、生田班の存続の為であって自分の為だけではなかった。だから、こんな風に言われることに、私は怒りよりも悲しみを強く感じた。


「自分の身がかわいいから規則を守れって言うなら、それはあんただけにしてくれる? 他所に行くのは勝手だけど、その都合を押しつけられても迷惑なんだけど」


 追い討ちとばかりに、東田から容赦のない言葉を浴びせられた。もちろん、心外な言葉ばかりだったけど、刺のように心に突き刺さったせいで、何も言い返すことはできなかった。


「私はね、あんたみたいな偽善が大嫌いなの。規則、規則って、そんな考え方で被害者が守れる? 私たちが相手しているのは、イカれた性犯罪者なのよ。そんなマニュアル思考にはね、心底反吐が出るんだけど」


 とどめとばかりに、東田が辛辣な言葉をぶつけてきた。もはや折れる寸前だった私の心は、何の抵抗もできずにあっけなく折れてしまった。


「どうして、そんなこと言うんですか」


 気がつくと、頬を伝って流れ落ちた涙が手の甲を濡らしていた。


「確かに、署長から何か言われてるかもしれません。それに、ここを離れることがあるかもしれません」


 抑えきれない想いが胸の中で渦を巻き、必死に抵抗したけど、爆発するように溢れ出した感情は、言葉となって抑えることはできなくなっていった。


「でも、今の私の居場所はここなんです。今、私がいるのは生活安全課のこの場所なんですよ!」


 涙混じりの声を上げながら、固まっているみんなを見渡した。


「自分の居場所を守ろうと思うことが、そんなに変なんですか? 係長も、林巡査部長も、東田さんも、監察官が来て署長に怒られたっていうのに、相変わらず規則違反ばかりして。だから、私が代わりにこの居場所を、生田班を守ろうってしただけなのに、そんなに私がやってることはおかしいんですか!」


 最後は不満をぶちまけるような形になったけど、私は構わず喚くように想いを吐き出した。


 ただ守りたかっただけ。この先はどうなるかはわからないけど、今いる自分の居場所を、そして、私が今頑張れる場所だと思える生田班を守りたかっただけだった。


 なのに、こんな風に言われるのが悲しくて、でも、どうしていいのかもわからなくなって、私は弾けるように部屋を飛び出した。


「浅倉!」


 背後で生田係長の声が響き渡ったけど、私は振り向くことなくそのまま走り続けた。




 ~第四章 私の居場所 完~

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