4-5 不穏な影

 女児に対する不審者の声かけ事件発生から三日が過ぎた。その間、捜査がちゃんと行われていたかというと、首を縦にふれない状況が続いていた。


 事件そのものは一課の預かりになったけど、一課が捜査をしているような気配はなかった。生田係長はというと、現場周辺の防犯カメラの映像を集めて回った後、今はその映像につきっきりになっていた。


 この三日間、私は別件の捜査に追われながら、生田班の監視にも奮闘していた。防犯カメラにとりつかれた生田係長はよしとして、東田や林巡査部長には手を焼かされていた。ちょっと目を離したら元に戻る二人と睨み合う日々が続いたせいか、生田班の空気は、照明ぐらいつけろと皮肉を言われるくらいに重く沈んでいた。


 東田から取り上げた競馬新聞をロッカーに投げ入れ、トイレに向かっていたところで美奈子と遭遇した。気分が悪かったから話すつもりはなかったけど、意外にも美奈子の方から積極的に声をかけてきた。


「ねぇ、この間の声かけ事件なんだけどさ、何か聞いてる?」


 化粧台に寄りかかった美奈子が、人がいないことを確認してから切り出してきた。


「何かって?」


「何でもいいの。何か変わったことない?」


「変わったこと……」


 美奈子の妙に遠回し気味な質問に、私は首をひねりながら、美奈子の思惑を探ってみた。けど、無表情で完全武装された美奈子からは、その思惑を読み取ることはできなかった。


「変わったことだらけだから、何が何だかわからないことだらけだよ」


「そうよね……」


 無理に笑顔を作りながら曖昧に答えると、美奈子は肩を落として微笑んだ。


「急にどうしたの?」


「この事件、本来なら生安が担当すべきなのに、なぜか一課が担当してるよね。まあ誘拐事件なら一課で間違いはないんだけど」


 美奈子が言うには、一課で受け持つようにはなったものの、実際は捜査されることなく放置してあるという。


「聴取記録を少しだけ読んだんだけど、連れ去るような状況証拠もなかった。被害者の女の子は、『こんにちは』と一言だけ言われたって証言している。別に腕を掴まれたといった話もないわけよ」


 美奈子の見解としては、急に声をかけられたから驚いて逃げただけで、たまたま被疑者が追いかけたのだろうとのことだった。


「つまり、事件ではないかもしれないのに、一課が事件として持ち帰ったってこと?」


「形上はね。ただ、捜査目的というよりも、事件そのものを一課で覆い隠そうとしてる感じがするの。担当もついてないし、宙ぶらりんのまま誰も触れようとしないし。これって変だと思わない?」


 美奈子の問いにすぐに頷いて返す。話を聞く限りでは、明らかに異常だった。


「捜査はどんな感じだったの?」


「一通りの聴取はやったみたい。ただ、周辺の防犯カメラの映像を集めてたみたいなんだけど、一ヶ所だけ映像記録がないの」


「記録がないって、紛失したってこと?」


「紛失したと言えば紛失したことになるかな……」


 歯切れの悪い返答は美奈子らしくなかった。言いづらいことかなと思ったけど、どうやら説明に苦慮しているみたいだった。


 一呼吸置いて話し出した美奈子によれば、機動捜査隊による周辺検索と防犯カメラの映像収集が行われた際に、犯行現場付近にあったコンビニの防犯カメラの映像だけが収集できなかったらしい。理由はヒューマンエラーで、USBに防犯カメラの映像をコピーする際、誤ってハードディスクの記録ごと消去してしまったらしい。


「滅多にない、ううん、まず考えられないミスだと思う。それに、他の収集した映像には、犯人はおろか女の子も映ってなかった。つまり、唯一映っている可能性のあった映像だけが消去されたってわけ。しかも、そんな大事な映像を消したっていうのに、何の処罰もない。これって、どう考えてもあり得ないことだと思う」


「要するに、誰かがわざと消したけど、一課としては問題にしなかった可能性が高いってことね?」


 美奈子が黙って頷くのを見て、私は長いため息をついた。


「この件について、あんたのところの生田係長が関係してるかもしれない」


「生田係長が?」


「八年前の事件、知らない?」


 私が首を横にふると、美奈子は周囲を確認し、声を一段と低くして内容を教えてくれた。


 八年前、生田係長の一人娘が何者かに連れ去られ、一課総出で捜査にあたったけど、何の手がかりもないまま未解決になっているという。ただ、その時も今回のような捜査ミスがあったらしく、結局手がかりを失った生田係長は、失意のあまり一課を去って生活安全課へと異動したとのことだった。


 ――ななみって、係長の娘さんの名前だったんだ。それに、係長にそんな過去があったなんて知らなかった


 美奈子の説明に出てきた名前が、生田係長が呟いていた名前と一致した。そのおかげで、係長係長が豹変した理由をなんとなく想像できた。同時に、生田係長が背負っているものが見えたような気がして、息苦しいくらいに胸が締めつけられた。


「今回の事件もそうだけど、生田さんの事件もおかしいんだよね。まるで、誰かが捜査妨害してる感じがする」


 確かに、美奈子の話を聞く限りでは誰かが意図的に妨害したように思えた。その結果、生田係長は娘さんの手がかりを失い、失意の底に陥って生活安全課に来たというのであれば、生田係長が一課の捜査員に向けた眼差しの理由もわかるような気がした。


「ねぇ、もし捜査妨害してる人がいるとしたら、今回の事件で防犯カメラの映像を消した人も、その一人になるよね?」


「そうなんだけどね」


 私の問いに、美奈子の顔が一瞬で曇った。おかげで、防犯カメラの映像を消した人物を、捜査妨害者だと思いたくない感じがストレートに伝わってきた。


「映像を消した人ってのが、小柳さんなの。知ってるよね? 般若と呼ばれてる人」


 美奈子の口から出た言葉に、私は返す言葉を失った。よりにもよって、あの般若が捜査妨害の一員になっていることには、驚きしかなかった。


 ――仲良さそうだったのにな


 般若の生田係長に対する態度は、ぶっきらぼうだったけど、どこかざっくばらんとしていて、むしろ戦友という言葉が似合うような雰囲気があった。生田係長も、そんな般若に対して嫌悪感を示す素振りは見せていなかった。


「ちょっと意外かな」


「私もそう思う。あ、この話は内緒にしといてよ。一課でもあまり触れたがらない話だし、他言無用の空気があるから」


「うん、わかった。でも、そんな話をなんで私にしたの?」


「生田さんには借りがあるからね。渡辺巡査部長を殴ってくれたでしょ? おかげで嫌がらせも減ったから、そのお礼のつもり。もし、生田さんが困ってるようならそれとなく伝えて欲しくて、あんたに話したってわけよ」


 美奈子が笑いながら呟いた。美奈子なりの照れ隠しだろうけど、生田係長へ恩を感じていることは伝わってきた。


「何かあったら、また連絡するね」


 いつもの強気な顔に戻った美奈子が手を振って出ていった。その背中から、なぜか、生田係長をよろしくねと言われているような気がした。

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