4-3 生田班の危機と内示

「馬鹿もんが!」


 恰幅の良い腹を揺らしながら、顔を赤くした署長が怒声を上げた。監察官が出て行って一時間、生田班はズイカンに対する身勝手な愚痴を繰り広げていた。けど、突然現れると同時に怒声を上げた署長を前にして、みんなは塩をかけられてナメクジのように小さくなっていた。


「東田、よりにもよって勤務中に競馬とはどういうことだ!」


 なだめに入った課長を押し退けて、署長が東田に怒声を浴びせた。普段はいつも笑ってばかりの署長が、ここまで怒りを顕にするということはよほど監察官に皮肉を言われたのだろう。


「だって、捜査協力者の予想屋からの誘いだったんだもん」


 東田が嘘の涙を目に浮かべて、上目遣いで署長を睨む。いつもならまいったと頭をかく署長だけど、今回は腕を組んで東田を睨み返していた。


「だってじゃない! 全く、こうなったのは、生田、お前の責任だぞ!」


 署長の怒りのボルテージが上がる中、生田係長は反省を示すかのように俯いていた。係長でも反省するんだと一瞬感心したけど、よく見るとパソコンの死角を利用して、生田係長はさりげなく裏DVDのパッケージを開けようとしていた。


「とにかく、金輪際、競馬、腹話術、アダルト関連は一切禁止だ!」


 署長が机を叩きつけながら、死の宣告に等しい命令を告げた。


「「「えーー!!!」」」


 小学生かよとつっこみたくなるように、みんなが揃って悲鳴のような声を上げる。もちろん、署長の耳にはそんな声は届かず、署長は黙って睨んだまま首を横に振った。


「署長、競馬をやめたら私の生活費はどうなるんですか!」


「署長、メロリンをやめたら、ファンから殺人予告が出ますよ!」


「署長、裏DVDを取り締まらなくてどうやって女性と子供を守るんですか!」


 それぞれが筋の通らない抗議の声を平然と上げる。もはや、小学生以下の駄々こねでしかなかった。


「馬鹿もんが!」


 さらに泣きつくように抗議を続けていたみんなに、署長が雷を落とした。どう見ても警察署内の光景とは思えないことに、私の頭痛は加速するばかりだった。


「署長、百万歩譲って私と林巡査部長は仕方ないとして、でも、係長からエロを取ったらただの使えないおっさんになるだけじゃないですか。そんなの、警察手帳も拳銃も持たない警察官と同じじゃないですか!」


 東田の悲痛な訴えを真顔で聞いていた生田係長が、大袈裟にずっこけた。


「ちょっと、渚ちゃん、それは言い過ぎ」


「だって、それは本当でしょ? 係長はエロいからこそ係長なんですから」


 東田が演技派女優のごとく嘘の涙を拭うと、チラチラと署長の顔を上目遣いで盗み見た。


「駄目なものは駄目だ! 今日からはちゃんと規則を守ってやるように。以上だ」


 話は終わりとばかりに署長が背を向ける。その背中に東田が舌を出したところで、署長が突然振り返った。


「浅倉、ちょっとお父さんのことで話がある。ついてきなさい」


「え? あ、はい」


 急に名指しで呼ばれたことに驚いたけど、私は気を取り直して署長の後をついていくことにした。



 こじんまりとした署長室に入ると、先ほどの険しさから一変して、署長が笑顔で席をすすめてきた。すすめられたソファに座ると、署長が用意したコーヒーをテーブルに置いた。


「生安はどうだ?」


 柔らかい物言いに、何の話かと緊張していた私の心が少しだけほぐれていった。生活安全課の仕事を思い出せば、出てくるのは生田係長の怒鳴り声ばかりだったので、私はため息混じりに笑顔を作った。


「怒られてばっかりです」


 そう嘆くと、署長はコーヒーカップをテーブルに置き、一層目を細めた。


「事件捜査の基本は事務処理だからな。いかに検事や裁判官を納得させる書類を作れるかが大切だ。そういう意味では、ミス一つも許されない部署だから、生田の叱責も愛のムチとして受け止めて欲しい」


 署長の言葉に黙って頷くと、本題に入るとばかりに、署長が手を組み合わせた。


「実はな、今年の四月に県警の刑事部で大幅な人事異動がある。その中でも、一課の強行犯担当について、各警察署にて人員の見直しをすることになった」


 署長いわく、都市開発の影響などから、急激に事件が多発するようになった警察署があり、そうした環境の変化に合わせて捜査員の補強などが行われるという。


「そうした人員の見直しと平行して、刑事一課に女性捜査員を増やす動きもある。そこでだ、うちからは、浅倉、お前を刑事一課強行犯担当に推薦しておいた」


 突然の話に、私は耳を疑った。一課の強行犯担当は、刑事部門の花形だ。刑事を目指す者なら誰もが憧れる部署であり、だからこそ簡単になりたくてもなれない狭き門でもある。


 その部署に、署長が私を推薦していた。女性捜査員の増員という名目があるとはいっても、ついこの間生活安全課の係員になったばかりの私には、正直なところ荷の重い話でしかなかった。


 ――それに


 反射的に脳裏に浮かんだのは、生田班のメンバーたちだった。いい加減とはいっても、みんな信念を持って仕事をしているのも事実だし、学ぶことはたくさんある。ついていくだけでも精一杯だけど、憧れだった生活安全課の仕事をしている実感は確実にあった。


 だから、今は生田班で十分だと思える自分がいるのも事実だった。


「嫌なのか?」


 気づかないうちに、長い間沈黙していたみたいだ。その上、私の顔が暗かったのだろう、署長の表情が僅かに険しくなっていた。


「いえ、嫌ではありません。ただ」


 私は一呼吸置いて胸の内を署長に伝えた。署長は黙って深く頷きながら、私の話に耳を傾けてくれた。


「確かに、浅倉の気持ちもわかる。だが、これは一つのきっかけだと考えて欲しい」


「きっかけ、ですか?」


「そうだ。警察官はな、ある意味社会から隔離された集団だ。村社会なんて皮肉を言われることもある。そんな組織の中で生きていくには、何が大切だと思うか?」


 署長の問いかけに、しばらく考えてみた。けど、答えが出るわけがなく、私は苦笑いを作って首を横に振った。


「居場所を見つけることだ」


「居場所、ですか?」


「そうだ。どんな組織にも役割を持った部署がある。それは、警察も同じだ。だから、若いうちは一つの場所に留まらずに色々と経験してみるのもいいことだ。その上で、本当にやりたいと思える居場所を見つけられたら、そこで全力を尽くすといい」


 署長の言葉に重みがあるせいか、納得をする前に受け入れざるをえない気持ちになった。たぶん、半分は私を説得する形で、後の半分は、警察組織を生きてきた者としてのアドバイスだったように思えた。


「無論、この話はまだ内密にしておいてくれ。それと、人事異動の前にトラブルは避けておきたいから、生田班の面倒をしばらく見ておいて欲しい」


 その言葉で、ようやく署長の呼び出し理由がわかった。父のことは単なる口実で、今の話が本題だったみたいだ。


「わがままな連中だが、実績はあるから今までは見逃されてきた。だが、さすがに生田もこのままではまずいだろう」


 険を含んだ署長の言葉に、笑いかけていた顔が固まるのを感じた。


「それはどういう意味ですか?」


「人事の見直しは、刑事課だけではないということだ」


 そこまで話したところで、署長は歯切れの悪いまま言葉を濁した。でも、それがかえって不自然に見え、と同時に事の重大さを物語っていた。


 署長の言葉から推測すると、このままでは生田班も人事の見直しに巻き込まれることを意味していた。それは、言い換えれば生田班がなくなるかもしれないということだった。


「生田班の規則違反には大分目を瞑ってきた。しかし、さすがにこのままでは人事も見過ごすことはできないだろう。だから浅倉、次の人事異動まで生田班が馬鹿なことをしないように厳しく見張っていて欲しい」


 私の推測を裏付けるかのように、署長が力強い瞳を向けてきた。その目を見た瞬間、私の小さな胸が大きく跳ね上がった。


 ――生田係長たちがいなくなる?


 その言葉を心中で呟いてみて、私は言い様のない不安に襲われた。いなくなるとはいっても、警察組織から消えるわけではなく、ただ、生田班というものが消滅するだけで、みんながいなくなるわけではない。


 嫌な汗を手のひらに感じた。近くにいすぎて麻痺していたけど、やっぱり生田班は特別過ぎだった。あんな規則違反だらけの班を、体面を重視する警察組織がいつまでも許すわけがなかった。


 と、そこまで考えて、わたしは疑問に感じたことをそれとなく署長に尋ねてみた。いくら実績がいいからといっても、なぜここまで見逃されていたのかを確かめたかった。


「プライベートに言及するのは気が重いが、この場だけの話として聞き流して欲しい」


 私の質問に、苦渋の表情で黙っていた署長が、ようやく重い口を開いた。


「生田の元嫁さんは、警察庁のキャリアの家系、まあ、平たく言ったら、お偉いさん方の娘さんだ。そういうわけだから、別れたとはいえ、生田を腫れものとして扱ってた節もある」


 署長の苦虫を噛んだような言葉で、なんとなく状況が掴めた。警察は縦社会だから権力に弱い。それも、警察の元締めとも言える警察庁のキャリアとなれば、その圧力は簡単に想像できた。


 だから、ある意味生田係長も好き勝手にやってこれたわけだ。でも、それも終わりを迎えようとしている。監察官を送りこんだということは、本部の人事もようやく重い腰を上げたのだろう。


「わかりました。できる限り、生田班が存続できるように頑張ります」


 こうなっては、私の人事よりも、まずは生田班の消滅危機を避けることが最優先事項だ。


 ――生田班を絶対になくさせない


 私は心に強く誓い、「えい」と心の中で気合いを入れながら両拳を強く握りしめた。









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