4-2 ズイカン

 多忙の日々に流され、いつの間にか年が明けていた。気づいたら正月も終わり、いつもの面子も相変わらず好き勝手なことばかり言っては、次から次に舞い込む事件の捜査に奮闘していた一月の終わりに、悲劇は突然やってきた。


「ズイカン来たぞ!」


 珍しく生田班に一人でいた私は、飛び込んできた若い係員の怒号に一瞬で緊張してしまった。


 ――もう、係長たち何してんのよ!


 怒号を合図に、一斉に生活安全課の部屋が慌ただしくなる。課長を筆頭に、最終チェックが各係で始まった。


 ズイカンとは、随時監察のことで、監察官による抜き打ちチェックのことを意味する。通常は、定期的に書類や装備品、勤務態度のチェックが行われるけど、それとは別に、突然やってくるのが通称ズイカンの怖いところだ。抜き打ちゆえに、ほぼ日常業務の内容をそのままチェックされてしまうことになってしまう。


 ズイカンが各署を回っていると連絡が入ったのが昼過ぎで、それから総動員で片付けやら書類の準備をしていたらしい。出先から戻った私が聞かされたのはつい今しがたのことで、不運にも全員不在の生田班の机は、ものの見事にいつもの光景のままだった。


 散らかった裏DVDと競馬新聞、さらにメロリンの裁縫セットを前にして愕然となったところで、監察官が姿を現した。


「どうも」


 見覚えのあるメガネに、私は口を開けて固まった。現れたのは、父のスキャンダルを疑っていた監察官だった。


 メガネが不敵な笑みを見せて通り過ぎていく。課長に監察の主旨を伝えると、迷うことなく生田班の机に歩いてきた。


「これは面白い職場だな」


 相変わらず感情を読み取れない声で呟きながら、監察官は警察署にあるべきでないものを拾い上げていった。


「競馬に裏DVD、人形を使っての捜査という情報は間違いないようだな」


 監察官が冷たい光を帯びた瞳を向けてくる。どう取り繕うか必死で言い訳を考え始めたその時だった。


「あ、浅倉! やったよ! 七レースとったわよ! 予想通りの穴だった!」


 嬉しそうに丸めた競馬新聞を振り回しながら、東田が歓声を上げて部屋に飛び込んできた。さらには、一気に凍りついた部屋の空気などお構いなしに、赤ペンで色んな印をつけた競馬新聞を、あろうことか監察官の前に広げてみせた。


「とったというのは、馬券か?」


「なに? このメガネ。盗撮犯?」


 じっと睨む監察官に、東田が敵意を向けながら私に確認してきた。私は泣きそうになるのをこらえて、「ズイカン」と小声で伝えた。


「え?」


「おい、とったというのは馬券かと聞いている」


 一瞬で挙動不審になった東田に、監察官が怒声を浴びせた。


「やだあ、もう、とったといったら、逮捕状に決まってるじゃないですか」


 一瞬で愛想笑いを浮かべ、体をくねらせながら猫なで声で東田が監察官に近寄っていく。その手にあった競馬新聞は、マジシャンも驚くほどの早業でゴミ箱に捨てられていた。


「馬券を買いに行ってたのか?」


「もう、馬券なんて何の話ですか? 浅倉、あんたまさか、仕事中に競馬なんかやってるの?」


 東田が白々しく私に罪をなすりつけてきた。でも、その仕草がピエロ過ぎて、私は監察官と重なるようにため息をついた。


「浅倉さん、そこのメガネはストーカーか?」


 東田に続けて現れたのは、しっかりとメロリンを右手に装着した林巡査部長だった。


「コラー! 女性をつけ回す変態エロメガネめ! 剛健くんに見つかったからには、ただじゃおかないからな! そこんとこ、よろしくるくる、ミラクルクルー」


 いつもの決め台詞を吐きながら、メロリンが右手をビシッと突き出した。見慣れた光景なのに、今回は部屋の温度が氷点下まで下がるだけだった。


「そうやって、いつも被疑者を取り調べてるのか?」


 メガネのズレを直しながら、監察官が部屋の温度よりも冷たい眼差しを林巡査部長に向けた。


「誰?」


 異変に気づいた林巡査部長が、地声で尋ねてくる。「監察官です」と涙しながら答えると、いかつい顔が一瞬で青くなった。


「浅倉さん、そこで人形を拾ったんだけど、拾得物はここでよかったよね?」


 コンマ一秒でメロリンを外した林巡査部長が、掠れた口笛を吹きながら白々しく取り繕い始める。その強引さに、私は力なく首を横に振るしかなかった。


「ああ、そうそう、この前ガサ入るぞって脅したバイヤーがさ、慌て新商品横流ししてきたんだよ。え? コピー? わかってるって。その代わり、通報の声、厳選モノよろしくな。え? 大丈夫大丈夫、捜査資料とでも言っておけば、禿げ課長も気づかないって」


 開け放たれたドアの向こうから、のんきな生田係長の声が聞こえてきた。


「なんだ? お前ら。葬式にでも出るような顔して」


 スマホをポケットに押し込めながら現れた生田係長が、眉間にシワを寄せる。この惨状にとどめを刺すように、しっかりと裏DVDを脇に抱えていた。


「バイヤーを脅して違法DVDを手にいれてるのか?」


 監察官の呆れた声が虚しく響く。けど、生田係長は気づいていないのか、監察官の言葉に顔をしかめるだけだった。


「こいつ、何だ? 痴漢かなんかで引っ張ってきたのか? ったく、いかにも痴漢しそうな顔をしやがってよ。おい、もやしメガネ、いいかよく聞けよ。生安がバイヤー脅すのは当たり前のことだ。裏DVDをまともに買ったらアホらしいだろ? お前も欲しかったら生安の係員になるんだな」


 ご機嫌よろしく、「エロはいかんぞ」と笑いながら生田係長が監察官の肩を叩く。一瞬にして、監察官のこめかみに血管が浮かぶのが見えた。


「班長自らこんなことしているわけか」


 監察官が握り拳を震わせながら、冷たい瞳をメガネ越しに光らせた。そこでようやく異変に気づいた生田係長が、困ったように笑いながら周りを見渡し始めた。


「ズイカンに来た」


 私が言うより先に、監察官が不敵な笑みを浮かべながら、刺のある声で答えた。


「ズイカン?」


 意気揚々と裏DVDをパソコンにセットしようとした生田係長の手が止まる。その目が宙を泳いだところで、監察官が咳払いしながら生田係長に詰め寄った。


「バイヤーを脅して手に入れた物か?」


 監察官が生田係長の机に置いてあった裏DVDを手にすると、生田係長は豪快に笑いながら頭をかき始めた。


「まさか、そがんことするわけなかろうもん。さっきのは冗談ば言うたとよ」


 生田係長がひきつった笑顔で、監察官の両肩に手をのせる。そして、愛想笑いを浮かべたまま監察官の肩を揉み始めた。


 ――係長、既に手遅れなんですけど! ていうか、どこ県民なんですか!


 生田係長の口から出てきた方言に、監察官が眉間にシワを寄せる。「冗談たい」と繰り返す生田係長の馬鹿らしさに、私は哀れみを通り越してかわいそうになってきた。


「この件は、しっかりと上に報告しておくからな」


 生田係長の手を乱暴に払った監察官が、怒り混じりの声を出した。監察官が上に報告するということは、最低でも署長の耳に入ることになる。そうなると、課長の小言だけで終わらないだろう。


 自分たちが蒔いた種だというのに、私を除いた生田班のメンバーたちは、出ていく監察官を恨めしそうに睨んだまま、それぞれ反省の色のないため息をついた。

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