3-7 刑事ではなく、父親だから

 ――どういうこと?


 生田係長の言葉に、兄が困惑した表情のまま固まった。私も、ありえない話にどうしていいかわからなくて、ただ黙って生田係長を見上げるしかなかった。


「オレオレ詐欺って、は? 何を言ってるんですか? 親父は刑事ですよ。警察が詐欺にひっかかるなんて――」


 兄が狼狽しながら視線を泳がせる。兄の困惑にも狼狽にも私は同意できた。幾多の事件を解決してきた父に限って、詐欺にひっかかるなんて考えられなかった。


「確かに、刑事としての浅倉課長ならまずひっかからないだろう。だが、父親としての浅倉課長ならありえない話ではない。そうですよね?」


 生田係長が視線を母に向ける。母は困ったように笑うと、黙って頷いた。


「一番近くにいた貴方なら、浅倉課長の異変に気づいてもおかしくはない。なぜなら、子育てに苦悩する浅倉課長の姿を、貴方はずっと見てきたはずですから」


 生田係長の言葉に、母が申し訳なさそうに頭を下げた。


 ――お母さんは最初から気づいてたの?


 生田係長とのやりとりを見ていた私は、母に視線で問いかける。母は私を見るなり、「ごめんね」と弱く呟いた。


「ちょっと、どういうことか説明してくれませんか?」


 少しも落ち着かない兄が、顔をひきつらせながら生田係長に詰め寄った。


「オレオレ詐欺の電話がかかってきた時、浅倉課長は当然、詐欺だとして切り捨てたはず。しかし、単に切り捨てるだけでいいのに、どういうわけか説教までしている。この意味がわかるか?」


 生田係長の問いに、兄が眉間にシワを寄せた。


「心配だったんだよ」


 生田係長が睨みをきかせて、押し殺した声を出した。


「詐欺だとわかっていながらも、ひょっとしたらという思いが浅倉課長の頭を過った。家を出て行ったきりの馬鹿息子を名乗る者からの突然の電話、しかも、助けて欲しいと懇願されたんだ。頭ではわかっていても、万一本当に息子だったらと考えた浅倉課長は、詐欺犯につい説教したんだろう」


 生田係長の説明に、兄の険しい顔が崩れていく。その表情は、まさに半信半疑といった感じだった。


「ひょっとしたらという疑念を抱いていたところに、女性から電話がかかってきた。知ってるかもしれないが、今の特殊詐欺は、幾重にも手の込んだやり方で騙してくる。最初に電話してきた奴と女はグルだろう。そして、その手口にまんまとひっかかってしまわれたんだ」


「しかし、だとしても、確認ぐらいは取れるはずじゃないですか」


「音信不通の息子に電話することができるか? それに、奥さんは浅倉課長のやることに口出ししたことがなかった。今回も、気づいてはいたが口出ししなかったはずだ」


 生田係長の言葉に、誰も声を発することができなかった。


 言われてみればわからなくもなかった。騙されてるかもしれないと思い、兄に確認を取るにしても、兄とは音信不通だから父の性格からして自分から電話することはないだろう。


 それに、生田係長の説明通り、母は父のやることに口出しすることはない。そのことが、今回裏目に出たということなのだろう。


 ――でも


 理屈はわかるけど、頭の中では納得いかなかった。あの父が騙されるとは到底思えなかった。それに、父親という立場を考えても、父が兄を心配するなど到底考えられなかった。


「浅倉課長は、被害者の無念を背負うあまり、家庭と仕事のバランスが取れなくなった。だから、家庭を奥さんに任せ、自分は仕事に専念することにしたんだ。たがな」


 そこで生田係長は、兄に一気に詰め寄った。


「それでも父親には変わりはなかった。家庭での子供との接し方には、ずいぶん悩まされていた。なぜかわかるか?」


 生田係長の言葉に、兄が力なく首を横にふった。


「どんな状況であれ、親にとって、子供は子供なんだ。音信不通になろうが、馬鹿息子のことは、いつでも頭の中にあったんだよ。だから、かかってきた電話に対して詐欺だとは割りきれなかった。それが親というものじゃないのか?」


「しかし――」


「今回の事件はな、馬鹿息子を心配する親心につけこまれただけの話だ。ただそれだけのことなんだ」


 反論する兄を、生田係長が諭すように制する。兄は何かを言いかけたけど、口を閉ざして肩を落とした。


「お前も家を出て社会に出たなら気づいているはずだ。大嫌いな親父に、本当は守られていたってことによ」


 生田係長が兄の肩を叩くと、兄が声を殺して泣き出した。それは、ひょっとしたら初めて兄が父を想ってのことかもしれなかった。


「それと、これだけは知っておいてくれ。家での浅倉課長は知らないが、刑事としての浅倉課長は立派な人だ。みんな、浅倉課長に捜査のイロハを受け継ぎながら、その背中を追いかけている。今の俺たちがあるのは、浅倉課長のおかげなんだ。その気持ちは、刑事なら誰もが持っているってことを、覚えておいて欲しい」


 最後は優しく語りかけるような口調だった。そして、その言葉は兄にだけでなく、私にも向けられているような気がした。




 その後は、医師の診察が終わるまで誰も口を開くことはなかった。母はごめんねを繰り返すだけだし、兄は椅子に座って項垂れているだけだった。


 生田係長はというと、一人離れた場所でコーヒーを飲んでいた。だから、私はそれとなく生田係長の隣に座った。


「よくわかりましたね?」


「何が?」


「父が詐欺の被害に遭ってたことです。どうしてわかったんですか?」


 私が問いかけると、生田係長は缶コーヒーを一口飲みながら、眉間にシワを寄せた。


「前も言ったと思うが、浅倉課長は本当に素晴らしい刑事だ。そんな人が事件を金で解決するなんてありえない。あるとすれば、刑事としての立場ではなく、父親としての立場だったんだろうなと思った。そう考えたら、特殊詐欺の電話にひっかかったとしか思えなかっただけだ」


 生田係長が語る内容に、嬉しい気持ちとまだ半信半疑の気持ちとが胸の中で衝突していた。


「父が心配していたなんて、やっぱりまだ信じられないんです」


 私の表情を察したのか、生田係長がどうしたと言いたげな顔を向けてきた。だから、思いきって胸の内を晒してみた。


「実はな、浅倉課長が騙されていると気づけたのは、お前のせいでもある」


「へ? 私、ですか?」


「正確には、お前が俺の班に来たことで、気づくことができたといっていい」


 生田係長が頭をかきながら、ポケットに手を入れて携帯電話を取り出した。


「そこに答えがある」


 生田係長が携帯電話を操作しながら差し出してきた。見ると留守番電話の再生画面になっていた。


 生田係長に促されるまま、携帯電話を耳にあてると、雑音の後に父の声が流れてきた。


『ああ、生田、仕事中にすまないな。実は、今度の人事異動で娘の美香が生安に行くことになってな。生安も一課と変わらず危険な仕事もあることはわかっているつもりだ。まあ、お前の班だから問題ないと思うが、一応気にかけておいてくれないか。親バカですまないが、私の後を追って警察官になってくれたんだ。真っ直ぐで融通がきかないところもあるかもしれないが、根は真面目でいい娘なんだ。一つ、一人前の警察官になれるように、面倒をみてやってくれ』


 照れくさそうに、でも嬉しそうに語る父の声を初めて聞いた気がした。


 ――お父さん


 急に目頭が熱くなり、慌て目を擦った。今まで遠かった父の存在が急に身近に感じられ、私は暖かいぬくもりに包まれたような気がして、一気に力が抜けた。


「家庭を壊した俺が言うのもなんだが、家族ならいつでもやり直せるんじゃないか?」


 生田係長の気遣う言葉に、私は黙って頷いた。時間はかかるかもしれないけど、きっと色んな確執も少しずつなくして、できてしまった溝も埋められるような気がした。


 面会の許可が下りると、渋る生田係長を連れて父のもとに向かった。目は開いているとはいえ、横たわる父にはまだいつものオーラはなかった。


 ――え?


 私の隣にいた生田係長が、震えていることに気づいた。見ると、いつものだらけた雰囲気を全く感じさせることのない、見事な敬礼をする姿があった。


 緊張しているのか、生田係長の表情が強張っていた。そんな生田係長に、父はゆっくりと返礼した。


「生田、色々とすまなかったな」


 弱々しく語る父に、直立不動のまま生田係長は僅かに首を横に振っただけだった。


 結局、母が一言二言話しただけで、兄も私もまともに目を合わせることさえできなかった。


 そんな微妙な空気の中、父は目覚めたばかりだというのに、相変わらず生田係長と仕事の話をしていた。


 僅かに許された面会時間も終わり、母を残して病院を後にする。車に乗り込む時に、兄が駐車場から病室を見上げているのを見て、なんだか切ないような、後ろ髪を引かれるような気分になった。


「そうだ、田代ちゃんに連絡してくれ」


 車を走らせた生田係長が、唐突に切り出してきた。


「美奈子にですか?」


「ああ、犯人がわかった。予想通り、顔見知りの奴だった」


 生田係長が煙草に火をつけながら、何でもないような感じで説明を始めた。生田係長の予想では、犯人は父と面識がある奴で、現金の受け渡しの際に父が気づき、結果、特殊詐欺にひっかかったとわかったのではないかというものだった。


「浅倉課長に確認したら、以前、扱った事件の関係者だったらしい。相手も驚いただろうな。まさか、刑事が現金持って現れるとは思わなかっただろう」


「じゃあ、刺されたのは?」


「おそらく、突発的な犯行だと思う。身分が割れているから、口封じしようとしたんだろう。しかし、刺したことが急に恐ろしくなって、金のことも忘れて逃げていったんだろう」


「なるほどですね」


 言われてみると、確かにありえない話ではなかった。


「犯人の情報は――」


 生田係長が父から仕入れた内容を口にする。傷害事件の関係者だから、一課に伝えればすぐにわかるだろう。


 簡単にメモしつつ、美奈子に電話をかけると、コール音もならないうちに美奈子が電話にでた。


「お父さん、目を覚ましたよ」


 まるで私の電話を待っていたかのような美奈子に告げると、一呼吸間を置いて電話口から歓声が聞こえてきた。


「その言葉、捜査本部全員が待ってたのよ」


 美奈子の言葉に、感極まって胸が熱くなる。けど、気持ちを切り替えて被疑者の情報を喉を詰まらせながら伝えた。


「わかった。すぐに連行して叩いてみる」


 美奈子の勇ましい返事に、私は素直に「よろしくね」と伝えた。


「あ、それと、この前言おうとしたことなんだけど」


 そこで無言になった美奈子。電話口から歓声が聞こえなくなったから、場所を移動しているんだろう。


「やっぱ、あんたのお父さん凄い人ね」


「え? 何よ急に」


「だって、いつもは腹の中で何考えているかわからない一課の連中が、今回だけは浅倉課長の為にって一丸になってた。ほんと、あんたにその光景を見せてやりたかったよ」


 美奈子が笑いながらも、興奮した声を弾ませた。


「考えてみたら、一課にいる連中はみんな浅倉課長の教えを受け継いだ人ばかりなんだって改めて思った。そう考えたら、あんたのお父さん、やっぱ凄いなって思ったわけよ」


 それを伝えたかったと美奈子が口にしたところで、美奈子は会議に戻るといって電話を切った。


 ――当たり前だよ


 切れた電話口にそう呟くと、私は白々しく顔を合わせようとしない生田係長を見た。


 ――生田係長も受け継いでるんだ


 父の教えを受け継いだ生田係長。その教えを、今は私が受け継いでいる。多少、エロくなっているかもしれないけど、そこに確かな父の存在を感じた。


 車窓の向こうに広がる街並みは、今日も相変わらずの日常を繰り返している。その日常の陰にある被害者の無念を晴らす為に、父は走り続け、みんながその後を追いかけ、私もその内の一人何だなって改めて思った。


 ――今度はちゃんと言えるかな?


 窓に映る自分の顔に問いかけてみる。病院では伝えられなかったことを、今更ながらちょっとだけ後悔した。


――声に出して言えなくてごめんね


 窓に映る情けない顔を睨む。今はまだ上手く言えないとしても、今度会ったらちゃんと言おうと決めた。


――ありがとう、お父さん




 ~第三章 受け継がれるもの 完~




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