第三章 受け継がれるもの 

3-1 メロリンの約束

 今年は残暑が長く続くとの予報通り、十月に入っても依然として厳しい暑さが続いていた。


 そんな中、私は林巡査部長の運転する車で、市内にある大型ショッピングセンターを目指していた。


 受け持ちの交番より、ショッピングセンター内にて女性をつけまわす不審者がいるとの相談を店長より受けたとして、生活安全課に出動依頼があったからだ。


 署からショッピングセンターまでは、車で三十分。まだまだ到着までは時間がかかるというのに、既に車内は沈黙とメロリンが時おり顔をのぞかせるという異様な雰囲気に包まれていた。


 ――話しかけて欲しいのかな?


 林巡査部長の右手にあるメロリンは、不自然な体勢だけど明らかに私を凝視している。雰囲気からして、話しかけて欲しいのは間違いないみたいだった。


「あの、林巡査部長?」


 恐る恐る林巡査部長に話しかけてみる。けど、林巡査部長は私の問いかけには反応せず、メロリンを動かしているだけだった。


 ――面倒くさ。メロリンに話しかけろってことね


 文字通り、凶悪犯顔負けのくせに不気味な人形を操る林巡査部長にため息つきながら、私はメロリンに手を振って声をかけた。


「ねえメロリン。メロリンはどうして林巡査部長と一緒にいるのかな?」


 どうでもいいやりとりに辟易しながら、メロリンと会話を続ける。けど、その質問を投げた瞬間、奇妙に動いていたメロリンが石化したように動かなくなった。


「約束だからだ」


「へ?」


 愛くるしくない腹話術だったのが一変して、林巡査部長がちらりと私を見ながら野太い声で答えた。


「変な奴だと思ってるだろ? こんな人形を使って馬鹿じゃないかって思ってるだろ?」


 林巡査部長の問いに、私は思ってますとは言えず、必死に笑顔を作って誤魔化した。


「メロリンはな、ある女の子との約束でずっと一緒にいるんだ」


 いつも仏頂面の林巡査部長が、ひきつっているように見える笑顔で頭をかいた。


「元々俺は、薬物担当の部署にいた。当時はな、シャブ狩りの悪魔ってあだ名で、売人やシャブ中達からは毛嫌いされてたんだ」


 生活安全課が扱うメインの仕事の一つに、覚醒剤といった薬物を取り締まる部署がある。その部署に、林巡査部長は長く勤めていたけど、あることがきっかけで、二年前に生田係長の班に志願してきたと教えてくれた。


「当時の俺は、売人やシャブ中を見つけると片っ端からムショにぶちこんでた。この顔と体のせいで、誰からも好かれなかった俺にとっては天職だと思った。凶悪犯面だという劣等感を晴らすかのように、毎日毎日売人やシャブ中達を追いかけまわしてた。それこそ、売人やシャブ中達を人として扱わずに、ボロ雑巾のように扱ってた」


 林巡査部長が瞳に僅かな影が射す。顔は凶悪犯だけど、態度や人柄は生真面目だというのがわたしの林巡査部長に対する印象だっただけに、そんな林巡査部長にも、顔に似合う過去があったことに、私は半分驚き、半分納得した。


「売人やシャブ中は人ではない。ただのゴミだ。当時は本気でそう思っていた。だが、そんな俺を変えたのが、メロリンの前の持ち主だった女の子だ」


 林巡査部長がメロリンの手を振る。シャブ狩りの悪魔と言われた林巡査部長を変えるきっかけとなった出来事を、林巡査部長が静かに語り出した。


 生活安全課の活動の一つに、防犯啓発運動がある。地域の会社や施設を回って、様々な犯罪を予防する為に防犯指導するのが主な内容だ。


 その日、林巡査部長たちは保育園を訪問し、不審者の声かけから身を守るという啓発運動を行っていた。犯人役の林巡査部長が子供たちに声をかけ、制服警察官の元に子供たちがちゃんと逃げるという内容で、林巡査部長の顔と迫真の演技もあり、 イベントは順調に進んでいたという。


 そんな中、林巡査部長の意識を変えるきっかけとなった出来事が起きたのが、最後の年長組の番だった。みんなきちんと警察官の元に逃げる中、たった一人だけ、女の子が林巡査部長のもとから離れなかったという。


「最初は怖くて動けないと思った。だから、早く逃げるように教えた」


 林巡査部長が当時を思い出しているのか、苦笑いを浮かべていた。


「しかし、女の子から返ってきた言葉は、独りぼっちだと可哀想だよ、って言葉だった」


 林巡査部長が照れながら語る言葉に、私もほっこりした気分になった。子供らしい純粋な気持ちに、くすぐったい嬉しさのようなものを感じた。


「純粋な眼差しで、悪いことするからみんなあっちに行っちゃうんだよ、だから、悪いことしたら駄目だよって言われたんだ。その時、何だか自分がいつもやっていることを言われた気がして、胸が痛くなった」


 優しさにも種類がある。中でも、純粋に相手を思いやる気持ちが含まれた優しさほど、相手を動かすものはない。林巡査部長は、その時に色んなことを悟ったという。


「その女の子が持っていた人形が、このメロリンってわけだ。メロンパンが好きで、警察官になるのが夢だったって、女の子のお父さんから聞いた」


 僅かに声が沈んだあたり、女の子に何かあったことは予想できた。その予想通り、女の子は生まれつきの病気により、短い生涯でこの世を去ったという。


「警察官にはなれない代わりに、メロリンを警察官にしてあげてというのが、女の子の最後の望みだった。俺は大切なことを教わった代わりに、その願いを叶えることを約束したんだ」


 林巡査部長がメロリンの手を振ってみせる。

 ただの馬鹿な人形使いと偏見を抱いていたことが急に恥ずかしくなって、私は顔を伏せてしまった。


「浅倉さんも、これから沢山のことを学ぶことがあると思う。その中でも、現場から学ぶことを大切にして欲しい。教科書やマニュアルも大切だが、現場にある生きた情報も大切だと知っておいて欲しい」


 林巡査部長の言葉に、私は頷くだけで精一杯だった。人としての小ささを教わったのも、こうした現場なんだなと思い知らされた。


「林巡査部長は、女の子から何を教わったんですか?」


 気持ちを切り替えながら顔を上げ、林巡査部長に問いかける。悪魔を変えた教えというのを学びたかった。


「罪を憎んで人を憎まず」


 間髪いれずに答えた林巡査部長の言葉には、ずっしりとした重みがあった。


「女の子の優しさは、俺という凶悪犯をも包みこんでくれた。悪い事をする人間が悪いのではなく、悪い事そのものこそが憎むべきだと、改めて教わったよ」


 林巡査部長はその後、捜査のあり方、被疑者への接し方を改めたという。女の子が亡くなった後は、一人でも多くの子供たちを犯罪から守る為に、生田班へ志願したということだった。


「林巡査部長、色々教えていただきありがとうございました。そして、メロリン、これからもよろしくね」


 私がお礼を言うと、メロリンが「よろしくるくるー」と右手を回した。その姿が妙におかしくて、私も真似をしてみせた。


 と、その時、滅多に鳴らない私のスマホが鳴り出した。見ると、母親からの着信だった。


 ――え?


 表示された母親の名前に、背筋を寒気が走り抜けた。母親は元警察官だから、私が勤務中の時は絶対に電話などしない。自分が倒れた時も電話しなかったぐらいだ。


 その母親からの電話。今日が勤務だと知っているのに、それでもかけてきたというのはよほどのことだと推察できた。


 生唾を飲み、恐る恐るスマホを耳にあてる。いつもののんきな声を期待していたけど、はっきりと期待はずれだとわかるほど、母親の声は涙で沈んでいた。


 母親が告げた内容に、手から力が抜けてスマホを落としそうになった。


 意識が遠くに飛んでいき、全ての音や色が消え、灰色一色の世界に突き落とされた。


 母親が涙混じりに呟いた内容。


 それは、「お父さんが刺された」だった。


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