2-5 看板を背負う覚悟

「起立!」


 夜が明けて朝日がブラインド越しに差し込む中、生田係長の班に加え、四人の他の班からきた捜査員が一斉に立ち上がる。みんな、きびきびした動きで敬礼すると、無言で席についた。


 Nの逮捕状が下りたのは、現逮作戦が空振りに終わった二日後だった。別件の事後捜査の末に逮捕状を手にしてのは、他ならぬ生田係長だった。


 ようやくNに天罰が下る。女性を不安と恐怖に突き落とした卑劣な盗撮犯を逮捕できるとあって、生田班にはいつもの調子はなかった。


「いつものように捜索差押許可状もあるから、ガサは、林、お前がやれ」


 生田係長が書類を林巡査部長に渡す。それをメロリンが頷きながら受け取った。


「逮捕状の執行だが、浅倉、お前が手錠をかけろ」


 いつもと違う雰囲気に周囲を落ち着かなく見ていた私に、生田係長が書類を二枚渡してきた。


「おっと、こっちはまだだった」


 私が手にする為に腕を伸ばすと、生田係長は二枚の書類を見比べた後、一枚を机に戻した。


 ――手錠? 私が?


 渡された書類に記された、逮捕状の文字。この一枚で、被疑者の人生が変わる。中身を読んでも、想像以上に意味不明な言葉の羅列だった。後で読み方を確認しようと思いながら、丁寧にクリアファイルに挟んで白い封筒に入れた。


 もちろん、手錠をかけるのは初めてじゃない。一度だけ、現行犯逮捕の際に使ったことはある。けど、その時は無我夢中だったからあまり印象は覚えてなかった。


「執行はNが出勤する前、7時に開始する。以上」


 ぼんやりと考え事をしていたせいで、いつの間にか生田係長の話が終わっていた。周りの捜査員が一斉に立ち上がり、各々準備に取りかかり始めていた。


「気合い入れてやってね」


 腰縄のついた黒い手錠を、東田が私の手にのせる。ひんやりとした感触の手錠が、やけに重く感じられた。


「あの、手錠は車の中でやるんですよね?」


 話を聞いていなかったとは言えなくて、それとなく東田に聞いてみた。


 でも、何気なく聞いたつもりだったのに、東田の表情は一変して冷たくなった。


「生田班はね、家族の前で手錠をかけるのが習わしだから」


 東田の重く冷たい声が、容赦なく胸に突き刺さってきた。


「家族の前って、へ?」

「そのままの意味よ。まあ、覚悟しておくことね。あの看板を背負う覚悟があるか、試されるから」


 東田が右手の親指で、天井に吊るされたプラカードを差した。女性と子供の安全を守る対策係と書かれたプレートが、静かに揺れていた。


「何やってんだ! 早く行くぞ!」


 ぼんやりとプレートを見つめていた私に、生田係長が怒気をはらんだら声を浴びせてきた。


 状況を上手く飲み込めないまま、何となく感じる寒気に嫌な予感を感じながら、階段を駆け降りる生田係長の後を追いかけた。




 Nの自宅前に車をとめ、逮捕の時間がくるのを待つ。南向きの窓からはカーテン越しに灯りが漏れていたし、駐車場にはNの車もあっから、在宅であることは間違いなさそうだった。


 時刻は午前六時四十五分。配置完了の無線が響くなか、一言も話さない生田係長を横目で盗み見る。生田係長は無表情のままNのアパートを睨んでいた。


「何か言いたいことがあるのか?」


 私の様子を察したみたいに、生田係長が突然切り出してきた。


「あ、いえ……」


 何とか言葉にしようとしたけど、上手く言葉が出なかった。これからやることを考えたら、待っているのは修羅場だと簡単に想像ができる。だから、本当にやるつもりなのかを確かめたいのが本音だったけど、口に出すには躊躇われる雰囲気があった。


「家族の前で手錠をかけるのが気になってるんだろ?」


 生田係長の図星な言葉に、私は持っていた無線機を落としてしまった。


「なあ浅倉、俺たちの仕事って何だ?」


「仕事、ですか?」


 アパートから一時も目を離さない生田係長が、少しだけ声を柔らげて尋ねてきた。


「犯人を逮捕することですか?」


「誰の為に逮捕するんだ?」


「えっと、被害者の為にです。被害者の無念を晴らすために、被疑者を逮捕するのが仕事だと思います」


 そう答えると、生田係長が一度だけ私に顔を向けてきた。


「盗撮はな、罰金刑だ。裁判が終わって金を払えばそれで終わりなんだ。女性を不安と恐怖に陥れた罪としては、はっきり言って軽過ぎる。だから、一度捕まっても再び犯罪に手を染めてしまう奴が多い」


 生田係長の声が微かに震えていた。言うか言うまいか、明らかに迷っている感じが伝わってきた。


「確かに警察の仕事は犯人を逮捕してなんぼだ。だが、いくら逮捕してもまた犯行に走られては意味がない。女性や子供を狙う性犯罪は、欲を抑えきれなくなった奴らの犯行だ。そこには、常に取り返しのつかない被害に発展する危険を孕んでいる。だから、最初の逮捕できっちりと芽を摘んで二度と過ちを犯さないようにしてやるのが、俺たちの本当の仕事だ」


 生田係長の言葉が、ずしりと手錠を入れた鞄を持つ手にのしかかってきた。


 確かに、性犯罪の背景を考えたら確実に芽を摘んでおくことは大切だと思う。それに、被害者の事を考えたら、被疑者に情けをかける必要はないのもわかる。


 でも、だからといって罪のない家族を巻き込む必要があるんだろうか。


 ――五歳の女の子がいる……


 脳裏に過る被疑者のプロフィール。そこに記された家族構成。奥さんと五歳の女の子の前で、盗撮犯だと宣言して逮捕することの意味が、はたして本当にあるんだろうか。


 そんな私の迷いなど無関係に時間は残酷なほど進んでいき、午前7時を知らせるアラームが生田係長のスマホから鳴り響いた。


「各局、予定時間になった為、これより逮捕及びガサに着手する」


 もたついていた私から無線機を取り上げた生田係長が、無慈悲な声で捜査員たちに指令を出した。


 結局、覚悟の意味もわからないまま、私は半ば夢遊病者みたいに、先陣を切る生田係長の背中を追いかけていった。

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