第二章 逮捕の瞬間は誰を想う?

2-1 屈辱的捜査体制?

 5月半ばの晴れた日。この日、生活安全課の部屋はいつにもなくひりついた空気が漂っていた。生活安全課の各係はもちろん、生田係長でさえ、腕を組んだまま険しい顔を崩すことはなかった。


 それもそのはず、本日行われる捜査に急遽参加することになったのが、刑事一課、通称花の強行犯係の捜査員だった。


 普段から、事件によっては互いに応援に入るのは珍しくない。当直体制になれば担当外の仕事をすることも普通にある。


 とはいっても、刑事のようでありながらも、実際は別部署として独立した存在である生活安全課は、刑事課とは折り合いが悪い部分もある。元々生活安全課は防犯課を名乗っていた時期があって、その名の通り、防犯に主眼を置いてる一面もある。犯人を逮捕するために事件が起きて欲しいのが刑事課なら、犯行を起こさないようにするのが生活安全課の役割だ。その為、特に刑事課の盗犯係とは度々ぶつかったなんて話を、交番勤務時代に聞いたことがあった。


 そんなわけだから、刑事課からの応援というだけでも微妙な空気が漂うのに、今回は訳あって刑事一課強行犯係の応援を受けるはめになった。応援といえば聞こえがいいけど、実際は監視に近い内容だった。


 こんな事態を招いたのは、先日のゴールデンウィークに行われた一斉取り締まりの失態にあった。行楽シーズンになると激増するのが盗撮関係で、特にゴールデンウィークと夏休みは一気に急増する。


 そのため、署長の厳命による集中取り締まり作戦が実施されたけど、生田係長の班だけが空振りという失態に終わっていた。しかも、めぼしい人物をマークしていたにも関わらずの結果だから、ある意味では捕り逃がしに近い失態といっていい。


 集中取り締まりには私も参加していたけど、失態の原因は今日まで知らされてなかった。生田係長によれば、捜査員の誰かが持ち場を離れ、場外馬券売り場に入り浸っていたらしい。しかも、その噂が署長の耳に入ったおかげで、今回の捜査に強行犯係が同行するはめになったとのことだった。


「大事な仕事中に何やってんですか!」


 話を聞き終えた私は、白々しく仕事のふりをしている東田の机を両手で叩いた。


「何よ、私だって決まったわけじゃないでしょ?」


「東田さん以外に誰がいるんですか!」


「てへ、ばれた?」


「何が、てへ、ですか! 全く何やらかしてんですか」


 全く反省の色を見せない東田に、私は呆れて目眩がしてきた。


「だって、顔見知りの予想屋から今日の八レースは鉄板だからおいでって言われたの。だからさ、大和撫子としては誘われたら断れないじゃん? ちょっとだけならって思って」


「ちょっとだけって、ちょっとだけなら何で不審者を捕り逃がすはめになったんですか?」


「それがね、ちょっとのつもりが気づいたら最終レースまでいたの。そしたら、私の持ち場をターゲットたちがすり抜けて行ってたんだよね。全く、ついてないよね」


 悪びれる様子もなく、東田はまいったと言わんばかりに笑い声を上げる。その反省のなさに、私は生田係長を睨みつけた。


「おい、渚ちゃん、ちょっとは反省してくれよ。おかげでこっちは強行にお守りされるはめになったんだから」


 生田係長が面倒くさそうにぼやくと、東田が気のない生返事を返す。まるで娘に何も言えない父親のようで、私は目眩が頭痛に変わるのを感じた。


「しかしよ、強行のやつらもうちをなめすぎだろ。十時の打ち合わせだっていうのに、まだ来ないってどういうこと?」


 生田係長が腕時計を見ながら苛立った声を上げる。時刻はすでに十時三十分を過ぎていた。


「あいつらが来たら、ビシッと言ってやるからな」


「そうそう。私たちをなめたらどうなるか、思い知らせてやりましょう」


 嫌な予感しかしない生田係長と東田の宣言が響いたところで、生活安全課のドアが開き、若い男女の捜査員が二人姿を現した。


 ――あ、美奈子


 現れた姿に、私は息を飲んだ。そこにいたのは、私と同期であり、共に希望する道を目指して競い合っていたライバルでもあった。


「あら、美香じゃない! 久しぶり。本当に生安にいたんだ。まだ交番勤務かと思ってた」


 目が合うなり、お得意の嫌味を美奈子がぶつけてきた。小柄な私に比べて長身の美奈子は、顔立ちもよくて男子署員の注目の的だった。ただ、注目されてたのは顔だけじゃない。これでもかと強調する二つの膨らみは、多くの男子署員の目の保養になっていた。


 美奈子とは同期だけど、刑事への配属は美奈子が二年早い。しかも刑事一課強行犯係に抜擢されたのだから、美貌だけでなくその実力も噂となって県警内に広がっていた。


「ごめんね、遅れちゃって」


 美奈子と睨み合っていたところに、ふんわりとした柔らかい声をかけられた。


 ――イ、イケメン! 超イケメンなんですけど!!


 声をかけてきたのは、林巡査部長並みに背が高く、すらりとしながらも引き締まった体躯が制服越しに伝わってくる超絶イケメンだった。年齢はまだ三十なるかならないかの若さに見えるけど、鋭い眼差しには刑事課で鍛えられた力強い光があった。


「尻拭いは今回だけにしてね」


 さらりとした口調だったから一瞬わからなかったけど、嫌味を言われたことに遅れて気づいた。しかも、よく見ると微笑んでるのではなくて、馬鹿にした笑いを堪えている感じだった。


「俺たちは生安のままごとに付き合っている暇はないんで、ちゃちゃっと終わらせましょう」


 なあ、とイケメンが美奈子に馬鹿にしたような視線を向けると、美奈子もわざとらしい気だるいため息をついた。


 ――なんか嫌な感じ


 爽やかなイメージから一転して、感じの悪さが一気に目についた。美奈子たちはお守りをするというよりも、私たちを笑いにきた感じだった。


「ちょっと、係長――」


 さっきの宣言通り、ガツンと言ってくださいと伝えるために振り返った瞬間だった。


 ――ものすごく嫌な予感がするんですけど


 振り返った先には、口を半開きにした生田係長と東田が立っていた。ただ、その両目には、漫画のようなハートマークが浮かんでいるのが見えた。


「ぱい」


「メン」


 ――え?


 まるでとりつかれたように、二人は何かを呟いていた。やがて、その声ははっきりと聞き取れるほど大きくなった。


「おっぱい!」

「イケメン!」


 二人の絶叫が見事なハモりとなって部屋に響いた。


「ちょっと、係長」


 すっかり、おっぱい教の狂信的な信者になった生田係長の脇腹を、私はさりげなくつねり上げた。


「ない。何もないな」


 ようやく私に目を向けた生田係長が、むかつくほど哀れんだ目で呟いたのを聞き、私はさらに強くつねった。


「オラ、あんたら二人、生安の意地を見せるんとちゃうんかい!」


 だらしなくヨダレを垂らす二人に喝を入れると、ようやく二人とも洗脳が解けたのか、わざとらしい咳払いを繰り返した。


 ――さ、早く、ガツンとかましてください


 期待を込めた視線を生田係長に向けると、私の視線に気づいた生田係長が小さくうなずいた。


「そこの二人」


 顔から笑みを消した生田係長が、重みのある口調で切り出した。


 瞬間的に空気が重くなり、身震いするような寒気が広がった。


 と思ったら、二人同時に満面の笑みを浮かべ始めた。


「ようこそー、生活安全課へ」


 生田係長と東田の、普段より三オクターブは高い声が、戦うどころかあっさりと負けを晒していた。


 ――ちょ、やっぱりっていうか、何で二人して間抜けな顔晒してんのよ!






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