第23話 共鳴

 豊かな緑に包まれた広大な陸地が、光り輝く水の上に浮かんでいる。その水は渦を巻き、無限に生成と消滅を繰り返す。

 水は魔力を湛えた生命の源であり、この世界に住む全ての生命が死によって行き着く流れでもあるのだ。

 人界とも魔界とも異なる世界の一つ、星海圏の光景であった。


 陸地に立ち並ぶのは、つるりとした外壁を持つ奇妙な建築物。その中の一つ、高さと広さで他と一線を画す巨大な塔の中では、一人の男が呻き声を上げていた。


 男の髪は白く、その顔に刻まれた疲労と懊悩の皺は深い。酩酊感と多幸感をもたらす飲料を呷っても、さして効果は得られていないようであった。


 男の脳裏に浮かぶのは敗戦の記憶。

 ことごとくこちらの策を潰す魔界の軍勢。

 悲鳴をあげる兵、青ざめる権力者たち。

 凍てつき、真っ白な彫像と化した切り札の決戦兵器。

 そして、やりきれぬままに発した撤退の宣言。


 我々にとってはその後ヴァルアリスがベーカリーのあんパンに敗北した記憶の方が印象深いのだが、この男がそれを知る由も無い。


 やおら男は手にした杯を放り捨て、目の前の何も無い空間を睨みつけた。

 その空間にじわりと何者かの輪郭が姿を現わし、やがて言葉を発する。


「哀れなものだなァ。七輝星海連合を束ねたモルドゥールともあろう者が」


 名を呼ばれた白髪の男、モルドゥールは不快を露わにした。七輝星海連合など、今の彼にとっては思い出したくもない過去のことだ。


「……死に損ないの呪言使い風情が、この私と対等に口を利くか。分をわきまえろ」


 今や全身を現したフードの男、呪言使いのダラバは嘲りの言葉に涼しい顔で応じる。


「死に損ないはお互い様だろ」

「黙れ!」


 モルドゥールは握りしめた拳を薄汚れた玉座の手摺りに叩きつけた。


 魔界の攻略に失敗し命からがら逃げ延びた結果、この星海圏の王であるモルドゥールの権威は地に落ちた。

 名将としても武人としても数多の世界に轟いていた彼の名は、一転して侮蔑と嘲笑に晒されることとなった。

 あの日、魔界にさえ攻め込まなければ。いや、魔界に竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスさえ居なければ、このような惨めな日々を過ごすことにはならなかった。

 悔やんでも悔やみきれない後悔がモルドゥールを自暴自棄へと誘う。


「何をしに来た。私を殺したところで、権力も富も手には入らんぞ」

「権力! 富! カハハハハ!」


 ダラバは仰け反って甲高い笑い声をあげる。


「興味ないねェ。俺にはもう、そんなものどうだっていいんだよ」

「ならば……何が望みだ」


 当然の問いであった。

 ダラバは人差し指を立て、たっぷりと勿体をつけて囁いた。


竜魔神姫トンデモナイゼ……ヴァルアリスの敗北」


 その言葉は、モルドゥールの濁った目に火を灯す。

 しかし魔界を訪れたその瞬間の出来事を思い出し、彼は身震いして頭を振った。


「……お前とて身に沁みていよう。彼我の力の差は」


 ダラバは口の端を歪め、芝居がかった動作で両手を広げる。


「俺は"共連れの呪言"を使う。あんたも聞いたことはあるだろう?」


 確かにモルドゥールは知っている。

 それは呪言使いが己の命を燃やし尽くし、自分を攻撃する相手に同じだけの傷を負わせるという、まさに最後の手段だ。


「……それが何だと言うのだ。そのような手にかかる竜魔神姫トンデモナイゼではあるまい」


 実際、先の戦いで魔族が大掛かりな呪言封じの罠を用意したのも、この共連れの呪言を警戒していたからというのが大きい。


「いや、通じるさ。俺があんたの肉体に憑依し、"共連れの呪言"を使うんだ」

「何だと……?」

「あんたはただ全力でヴァルアリスにぶつかり、あいつの全力の攻撃を引き出せばいい。いくら竜魔神姫トンデモナイゼといえど、俺とあんたが組むことなど読めはしない!」


 モルドゥールは混乱しつつあった。

 確かに、その策ならば通用するかもしれない。

 ヴァルアリス自身に、ヴァルアリスの全力攻撃で受けたダメージを負わせる……それは実に魅力的な提案であった。しかし。


「それの、どこが勝利なのだ。相討ちではないか」

「いいかッ。このままなら、俺もあんたも負けっぱなしだ。どん底の惨めな敗北者だ。ここより下はないッ」


 うろうろと歩き回り、血走った目をギラつかせながらダラバは熱っぽく語る。


「だが、竜魔神姫トンデモナイゼと刺し違えれば……あの絶対無敵の存在を討ち果たしたならば! この名は後世まで語り継がれる。それは、俺たちの勝ちだろッ」


 あるいは呪いよりも、このような誘いの言葉こそが呪言使いの真骨頂であるのか。

 そう思わされながらも抗いきれないほど、その誘いには危険な魅力があった。

 モルドゥールは手で口元を覆い、必死に思案する。激情によって一つの結論に囚われていく自分を引き止めようとしているのだ。


「しかし……そのような自滅覚悟の策に兵を動かすわけには……」

「兵? 寝ぼけた事を言うな。俺とお前だけでやるんだよォ」


 今でこそ兵を指揮する立場に徹しているが、元々モルドゥールは一兵卒からの叩き上げ。単騎で敵軍を蹂躙する勇猛果敢な戦士として数々の武勇伝を持っている。

 無論、ダラバはそこまで調べた上でこの話を持ちかけているのだ。


「魔界の、軍勢は強力だ。我らだけでは、攻め込んだ途端に撃墜されるやも……」


 予想通りの歯切れの悪い返答に、ダラバはほくそ笑む。あと一押しでモルドゥールがこの提案を飲むと確信したからだ。


「魔界へは攻め込まない。近いうちに、竜魔神姫トンデモナイゼは人界へ現れる……その時が、ヤツの最期だ」


 狂気に満ちた提案であった。

 情報の真偽は不明。成功の保障は無く、実行には命を投げ出す必要があり、得られるのはただの自己満足。


 落ちぶれたとはいえ、モルドゥールは未だ一国の主である。相応の責任がある。

 このような誘いに乗るべきではなかった。


 だが、しかし。


 モルドゥールは玉座から立ち上がった。そして呪言使いダラバへと詰め寄り、同じ顔で笑った。


 かくして、狂気は伝染した。




 一方その頃、魔界では。


「というわけで、望んだ成果は得られなかった」

「ですから、精度は保証できかねますと申し上げましたでしょうに」


 竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスは、神格天魔星将ゴッツエライヒトのオルガナインを自室へ呼び出していた。

 ヴァルアリスは占星術の結果がいかに期待外れであったのかを語るが、オルガナインは不服そうに口を尖らせるばかりである。

 オルガナインにしてみれば、探し物の詳細も伝えられないまま可能な限り尽力したのである。責められる義理はないと考えるのは無理からぬことであった。


 ヴァルアリスは不意に前かがみになり、くっくっと低く声を上げて笑いだした。


「オルガナインよ、私はお前を責めるために呼び出したわけではないのだぞ」


 不意に物腰が柔らかくなったヴァルアリスに、オルガナインは自らの肩を抱いて寒気を堪えた。

 新たな無茶振りの予感を感じ取ったのである。


「オルガナインよ。精度が低いのならば、高めれば良いのだ」

「はあ……」

「露骨に気のない返事をするな」

「はい」


 観念して話を聞く姿勢をとったオルガナインに対し、ヴァルアリスは高らかに告げた。


「これから私とともに人界へ行ってもらう。対象の世界へと赴けば、探し物をする占星術の精度も上がろうというもの……!」


 オルガナインは目を瞬いて首を傾げる。


「人界……そういえば姫様は滅界儀式ホロボシタルの舞台に彼の地を選ばれたのでしたね。ずいぶん儀式の下準備に時間がかかっていますが、お探し物と何か関係が?」

「……そういう余計な詮索はしなくてよろしい」


 有無を言わさぬ気迫オーラを放つヴァルアリスに、オルガナインはわざとらしく両手で口を塞いでからおずおずと申し出た。


「……構いませんけどぉ。破断時空転移陣ドッカニデルゲートは姫様が使ってくださいね。私が使うと魔力の消耗がきついので」

「無論、そのつもりだ」


 神格天魔星将ゴッツエライヒトはそれぞれの専門分野一点においてはヴァルアリスをも凌ぐ技術を持つが、あらゆる魔法に精通しているわけではない。

 ヴァルアリスが気軽に無詠唱ナンモイワンで使用している破断時空転移陣ドッカニデルゲート一つとっても、オルガナインには大仕事となる。

 故にヴァルアリスとて、その労苦を惜しむつもりはない。


 要は適材適所である。

 部下を働かせることに拘らず、必要に応じて自ら動かなければ、良い成果は得られないものなのだ。


(私は誓ったのだ。今度こそ手段は問わん……全身全霊、ありとあらゆる手を尽くし、勝利を掴む!)


 人界にてオルガナインの占星術を用い、まだ見ぬ美食と出会う。その上で食べ残す。

 封印保存し、滅界儀式ホロボシタルの下準備を完了する。

 そうなればいよいよ人類絶滅だ。


 途中の過程でオルガナインには不審に思われるかもしれないが、そこはなんとか誤魔化す。

 困難ではあるが、決して不可能ではないとヴァルアリスは確信していた。


 忘れてはならない。

 この物語の題名は竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスの敗北である。


 しかし混沌渦巻く状況の中、果たしてこの物語は題名通りの結末を迎えることができるのであろうか!?

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