第18話 栃木県宇都宮市の焼き餃子と水餃子(後)
再度席に着いたヴァルアリスはグラスの水を一口飲み、対面のインフェリスに呼びかける。
「おそらく大したものは出てこない。次の店を検討しておいた方が良さそうだな」
「でも、アイツこの店の息子なんだろ。それならこの店の餃子のことは誰よりも知ってるんじゃねえか?」
そんなインフェリスの疑問を、ヴァルアリスは一笑に付す。
「人界には一意専心という言葉があるそうだが。あれもこれもと手を出したところで、結局その道一本のプロフェッショナルには敵わないもの……彼の者はラッパーであり、料理人ではない。我々を唸らせるほどの腕はあるまい」
「な、なるほど」
この推理に、インフェリスも心底感心した様子で頷く。厨房に立つMC雷都の耳にこの声は届いているのかどうか、彼は全く動じる様子もなく淡々と調理を進めていた。
MC雷都、もとい宮野勝一は幼い頃から母が作る餃子を口にしてきた。
誇張なく、母の作る餃子は日本一であると信じて生きてきた。
積み上げられた先人の歴史に対する敬意、尊重、すなわち
だが
美味しい餃子をただ漫然と食していたところで同じように餃子を調理できるようにはならない。
彼は母の餃子を味わう度にその焼き加減、茹で加減を分析し、また餃子を作る母の姿を観察し、常に模倣しながら自分の調理技術へと反映してきたのだ。
その行為こそが、彼にとって最高の
解体と再構成こそがラップの持つ力であり、MC雷都の力の源。
そしてMC雷都は餃子都市・宇都宮を
故にラッパーとして活躍しながらも、母親に何かあればいつでも自分が店に立てるよう、常にもう一本の牙を研ぎ続けていたのだ。
その隠された牙が今、解き放たれる!
「焼き餃子とライス、水餃子、お待ち!」
こんがりと焼き目のついた焼き餃子と、白く輝くライス。美しい光沢を持ちスープの中をたゆたう水餃子が、ヴァルアリスとインフェリスの前に置かれた。
それぞれ五個ずつ、ホカホカと湯気を立てている。
(お……美味しそうだ。が、そこまで美味しくはないはず)
困惑しながらも、ヴァルアリスは卓上の醤油、酢、辣油を混ぜ合わせてタレを作った。
この焼き餃子は、インフェリスが注文した水餃子よりも美味しくなくては困る。
かといって、美味しすぎても全部食べきってしまい敗北するので困る。
とはいえ、そもそも美味しくないものなど食べたくないので困る。
もはや何がどうあって欲しいのか訳がわからない。
ほとんど破れかぶれの心境でヴァルアリスは餃子の一つをタレに浸し、食した。
かしゅっ、と小気味良い音が鳴った。
「みやの」の餃子皮は焼いた時に香ばしさともっちりした食感を両立する絶妙な厚みである。
無論、焼きと蒸しのタイミング一つでそれは台無しになりかねないが……全く問題なし、ベストの焼き加減!
そして宇都宮餃子の特色は野菜にある。挽肉の力だけに頼らず、メインの具はむしろたっぷりと入ったみじん切りの野菜と言っていい。
「みやの」の餃子も、ニラとニンニクでパンチを効かせながらキャベツの優しい甘みを生かしている。香ばしく焼けた熱々の皮を破った瞬間に、それらが肉汁と合わさって口の中にほぐれて広がる。
まさに旨味の大爆発である。
(これはっ……ここで、ご飯か!)
すかさずライスを口に運べば、噛みしめる米が甘い。
濃い味のタレを纏った餃子と、白いご飯のマッチングは最高なのだ!
(これはっ、まずい……いや、美味しいのだが! 美味しすぎて事態としてはまずい!)
ヴァルアリスの脳内では早くも「敗北」と記されたランプが点滅を始めている。
しかも、この場において勝負はもう一つある。インフェリスの選択した水餃子はどれほどの実力を持つのか?
こっそりとインフェリスの表情を伺うと、円卓の向かい側で満面の笑みを浮かべているが、しかし。
(わからん!)
水餃子があまりにも美味なのか、単にインフェリスがどんな食べ物にも感動するだけなのか、判別がつかない。
やがて円卓の回転台が回り、ヴァルアリスの前に水餃子、インフェリスの前に焼き餃子とライスが置かれた。
(落ち着け。いかに水餃子が本来の食べ方といえど……先ほどの焼き餃子と比較すればどうという事は無いはず)
ヴァルアリスはすくい上げた水餃子をタレに浸し、恐る恐る口へと運ぶ。
対面ではインフェリスが同じように焼き餃子を口に運んでいる。
そして二人は驚愕し、共に叫んだ。
「「両方美味しいだと!?」」
鍋で茹で上げられた水餃子は焼き目の香ばしさこそ無いものの、つるりとした皮の滑らかさともっちりした味わいが更に強調されている。
その皮に優しく包み込まれた中の具は焼き餃子とは微妙に配分を変えてあり、肉汁と野菜の汁気をたっぷり含んだジューシーな味わい。
焼き餃子が荒々しい「剛」の強さだとすれば、水餃子はしなやかな「柔」の強さ。
甲乙付けがたい美味なのだ!
「これは決められん……も、もう一つ」
「オレも!」
息急き切って餃子を食べ進めようとする二人に、厨房からMC雷都が声をかけた。
「なあ、二人とも。食べ方は自由だが、良かったら焼き餃子を酢とラー油だけで食べてみな。水餃子は、湯の中にタレを入れてスープにして食う……これが旨いんだぜ」
ヴァルアリスは言われるがままに小皿で酢とラー油を合わせ、もう一つのタレを作った。
(事前調査の結果では餃子のタレといえば醤油、酢、ラー油。この組み合わせを崩しても何も得られるはずは……)
そう自分に言い聞かせながら第二のタレに焼き餃子を浸し、食してみる。
一方のインフェリスは醤油、酢、ラー油を合わせたタレをお湯の中に投入。レンゲでそのスープごとすくい上げた水餃子を食す。
そして二人は驚愕し、再び共に叫んだ。
「「これも美味しいだと!?」」
酢とラー油だけで食べる焼き餃子は醤油の塩気が無い分、下味をつけられた挽肉と野菜の甘み、皮の味わいがより一層はっきりと感じられる。
その上、酸味によって後味はさっぱりとしているのだ。
タレを投入した水餃子は中の具がスープにとろけて混ざり、つるりとした皮の食感も相まって、口の中でまるで上質のワンタンスープが生まれているかのような一体感!
ただでさえ美味しい二種の餃子が、それぞれもう一つの旨さを出してくるとは夢にも思わない。
見よ、ターンテーブルさながらに回転台が回る。その度に一個ずつ餃子が減って行く!
焼き餃子、水餃子、焼き餃子……交互に食すことで互いの美点が引き立ち、二人の魔神姫は魅了されていくのである。
もはや止まることを知らない食欲に取り憑かれた二人は、次々と餃子をつまみ上げ、噛みしめ、よく味わって飲み込むばかりであった。
「馬鹿な……こんな事が……! 何故、ラッパーが餃子をうまく作れるのだ!?」
焼き餃子、最後の一個を前に慄くヴァルアリスに対し、厨房から歩み出たMC雷都はフリースタイルで語りかけた。
「確かに大事 一意専心
だが縛られるな一つの形
他人のdisなど気にせんし
俺は二足の
……
韻を踏みながら自身のポリシーと覚悟を語るMC雷都に、魔界最強の姫は唸った。
ヒップホップは小手先のスキルや心理操作ではなく、生き様そのものの音楽である。同じポリシーによって生み出される料理の味もまた、認めざるを得ない強さを持っているのだ。
ヴァルアリスは最後の餃子を口にしてご飯をかき込み、じっくりとよく噛んで味わった。
そして目の前のラッパー兼料理人に対し、両手を合わせて一礼した。
「ご馳走さまでした……!」
インフェリスも慌てて追従する。
「ご、ご馳走さま……でした!」
かくして世界の平和は守られた。
美食の集う地は何も東京、神奈川、千葉、山梨だけではない。栃木県もまた、
「強かったな、MC雷都……」
「みやの」を後にしてオリオン通りを歩いているうちに、インフェリスが呟く。
あの後、復調した宮野轟子は調理場に立つ事を希望した。しかし、宮野勝一はきちんと病院で診てもらうべきだと主張し、早めの店じまいとなったのである。
ヴァルアリスはその観察眼により宮野轟子の健康状態に大きな問題がない事を見抜いていたが、それを伝えるのは余計なことであると理解していた。
既に日が落ち始め、辺りはオレンジ色に染まっていくところである。
餃子型クッションを胸に抱くヴァルアリスは、一つだけ残っていた疑問を口に出した。
「……何故急にラップだったのだ、インフェリス。お前は元々口の上手い性質でもあるまい」
この問いに、インフェリスはどこか気まずそうに、呟くように答えた。
「最近、ぬるくなってるだろうが」
「何がだ」
「オレと、お前の関係がだ」
「何?」
確かに、ここ最近のヴァルアリスとインフェリスは共に食事をしに行くばかりで、正面からぶつかり合うような機会はない。
だが、それとラップがどう結びつくのか。
訝るヴァルアリスの視線を避けるように足早に前に進み出て、インフェリスは早口でまくし立てた。
「魔界でやり合えば大ごとになって横槍が入る。人界じゃお前は、
ヴァルアリスは長いため息をついた。
一応、筋は通っている。通っているがしかし、なんと迂遠なのだろう。
そのために語彙の貧弱なインフェリスがラップに手を出し、魔界で噂を立てられるほど日夜一人で練習していたというのか。
呆れを通り越して何やら無性に可笑しさが込み上げ、ヴァルアリスは笑った。
「何だよ!」
「別に」
振り返らないインフェリスに少し歩調を早めて並び歩き、ヴァルアリスは颯爽と言い放った。
「
むすっと口を尖らせていたインフェリスの口角が上がる。
「……ハッ。首洗って待ってろ」
暮れなずむ宇都宮の空の下、
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