第16話 宇都宮フリースタイルラップバトル

 栃木県宇都宮市。

 北関東でも有数の都市部を擁し、栃木県の県庁所在地であるこの地は、とある料理を名物としている事でよく知られている。


 ヴァルアリスはこの街の中心部にあるオリオン通り商店街へ降り立っていた。

 ジェラートを出すカフェ、スープに一工夫ありそうなラーメン屋、トッピングの盛りが豪勢なカレーショップなど、様々な店舗が軒を連ねている。

 しかし、今回のヴァルアリスの目的はそのどれでもない。

 脇目も振らずに歩き続けるヴァルアリスの耳に、何やら音楽と共に激しく言い争うような声が聞こえてきた。


「何だ……? 騒々しい」


 この日、オリオン通りに隣接する屋外広場ではフリースタイルラップバトルのイベントが開かれていたのである。


 フリースタイルという言葉は様々な意味を持つが、ラップの世界ではビートに合わせて即興で言葉を紡ぎ出す手法。

 これがフリースタイルラップバトルとなると、即興の言葉のやり取りを対戦形式で行うものとなる。

 母音の同じ言葉を繰り返す(韻を踏む)、リズミカルな言葉や感情の発露によって観客を沸かせる、相手の発言の矛盾やダサい点を指摘してdisディスる。

 二人のMCがこうした技術と熱量をぶつけ合い、聴衆を魅了するステージを作り出すのである。


 ちょうど今ひと勝負が終わり、審査員の票と観客オーディエンスの声量で判定が行われ、決着がついたところのようだ。

 サングラスをかけた司会の男が、観客に向かって声を張り上げる。


「勝者、MC韻詠夢インエイム!」


 黒いキャップをかぶったインフェリスがステージ上でガッツポーズを取っているのを目の当たりにし、ヴァルアリスはつんのめって危うく顔面から地面に激突するところであった。


(何を……何をしているあいつは……!)


 目眩に似た感覚を覚えながらも、今一度ヴァルアリスはステージに視線を向ける。

 奇しくもステージの上から観衆を見下ろしていたインフェリスと、その視線がかち合った。

 インフェリスは一度目を見開き、しかし、すぐさま挑発的に手招きをした。


 魔界最強の竜魔神姫トンデモナイゼとしては、このようなあからさまな挑発を見過ごすことはできない。

 ずかずかと歩み寄り、一飛びにステージの上へと上がる。


「何をしている!」

「これはフリースタイル。オレの新たな力! 刀で身体を、言葉で心を切り刻むぜ!」


 韻を踏みつつ回答するインフェリスに異様に腹が立ち、ヴァルアリスがそのマイクを叩き落とそうとするも、司会の男が慌てて止めに入った。


「ちょっとちょっと……君、ボディタッチは反則だからね!」


 インフェリスは手にしたマイクを傾けてさらにラップを続ける。


「ラップの強さはマイクで証明、OK?」


 怒り心頭のヴァルアリスは、すかさず司会の男からマイクを奪い取った。


「いいだろう。ならば、お前の得意なこの舞台で勝負してやる」

「白黒つけるぜ、地獄を見せるぜ!」


 勝手に火花を散らし始める二人を前に、司会の男は狼狽えた。


「えっ? あの、ちょっとそれは予定に無いというか……」


 司会の男は助けを求めるように審査員長席に目を向ける。審査員長を務めるラッパー、MC雷都はこのイベントの主催者オーガナイザーだ。

 彼が許可を出さなければ、突然の乱入者とのマッチアップなど成立しない。


「いいんじゃない。時間に余裕あるし」


 快諾! MC雷都は長年のバトル経験から、ヴァルアリスとインフェリスの間に何らかの深い因縁を感じ取ったのだ。

 そうと決まれば司会もプロである。気持ちを切り替え、この予期せぬ戦いを最大限に盛り上げるべく努め始めた。


「えーとそれじゃあ乱入の彼女、名前は?」

「む……」


 ヴァルアリスと名乗るのは論外。だが、偽名の春ありすという名もおそらく場にそぐわない。


Valヴァル the lyricリリック……と、名乗っておこう」


 驚異的な洞察力と状況判断力により、ヴァルアリスは即興で新たな名を導き出した!


「先攻、後攻はどちらを選びますか」

「……後攻で」

「OK。それでは先攻、MC韻詠夢。後攻、Val the lyric。勝負は八小節2ターンです。DJ Clast、一度ビートを聴かせてくれ!」


 DJが選び出したビートがステージに響き渡る。バトル前に曲を流して聴かせるのはせいぜい一小節程度、MCはこの僅かな時間で曲のテンポを掴まなければならないのだ。

 元曲を知っていれば大きく有利となるが、人界の音楽事情に明るくないヴァルアリスがそれを知るはずもない。

 対するインフェリスの余裕の表情は、何を意味するものか……!


「それでは行きます。DJ Clast、レディーゴー!」


 まずは先攻、インフェリスのターン。

 剣魔神姫ソーデモナイゼの異名を体現するように、剣で斬りつけるかのような勢いでマイクに声を乗せる!


「開幕挨拶代わりワンバース!

 ラップのステージじゃ地位は対等

 飲めないぜ、一度吐いた唾

 Val the lyric ここでリリカルに切り裂く

 オレはヒップホップと噛み合ったギア

 この磨いた牙

 クリティカル、今、首狩……る!」


 インフェリスは自ターンの最後、僅かに言い淀んだ。一体何故か?

 首狩る、と韻を踏む直前に対面するヴァルアリスが同じ言葉を素早く呟いたのだ。

 これはライム読みといい、相手の韻を「自分でもその程度は思いつくぞ」と示す挑発的な行為。

 憤慨してもインフェリスの手番は既に終了している。ヴァルアリスの手番が終わるまではただ待つしかないのだ。


「ずいぶん語彙が増えたな

 お勉強の成果、誰かの真似事か

 何が対等 ふざけた態度

 積もる罪状 容赦しないぞ

 身の程知らず 吠えたSuciderスーサイダー

 落とす処刑の刃これが救済だ」


 ラップの経験などあるはずもないヴァルアリスだが、意外にも堂に入ったライミング。

 加えてインフェリスが韻を踏んだワードが、彼女のオリジナルというよりもやや使い古された言い回しであることを鋭く見抜いている!


 火花が散り、風が渦を巻き、青白い放電が宙を走った。

 竜魔神姫トンデモナイゼ剣魔神姫ソーデモナイゼの二人が本気の言葉をぶつけ合えば、このような超常現象が起こるのは当然の帰結。

 攻撃の意思はあっても正式な魔法の詠唱にはなっていないため、溢れかえった魔力が無差別な破壊のエネルギーを生んでいるのだ。


 しかしこれを見守る審査員や観衆に驚きはない。

 MCが魂を賭けてぶつかり合うフリースタイルバトルの現場では、このようなエフェクトを幻視することは少なくないのだ!


「ライム読んで勝ったつもりかよ

 そんなの掃いて捨てるほど居るファイトスタイルなんだよ!」


 この反撃はインフェリスの失策であった。

 ライムを読まれた事など、本人以外にとってはさほど重要な要素ではない。違う観点で勝負をかけなければ観客の心には響かないのだ!

 インフェリス自身もその事に気がつき、咄嗟に前のめり過ぎた自分を抑制する。


「勘違いド素人がステージ立つな

 パンチライン一仕事で搔っ捌くわ

 身体から腹わた引きずり出す

 これはナイフみたいなライムだぜ!」


 苦しみながらも何とか立て直し、最後まできっちりと攻撃的にライムを続けたインフェリス。

 だがここでヴァルアリスは、あえてステージ上の対戦相手から観衆へ体の向きを変えた!


「そのド素人ステージに呼び出して

 勝ちたがった奴をどう思う?」


 この問いには観衆も思わず湧き上がった。

 確かにインフェリスが手招きしてヴァルアリスをステージに上げておきながら、ステージに立つなという主張には矛盾が生じている。

 フリースタイルのバトルでは、必ずしも韻を踏むことや主張の熱量が重視されるわけではない。

 聴いている側が漠然と認識している違和感を言葉にして出すことで、圧倒的な共感を得ることができるのだ。

 歓声に乗り、ヴァルアリスは更に畳み掛ける!


「俄かはお互い様だ お笑いだな

 今から幼いまま徒花アダバナになるか

 王の武器ならナイフより騎士団ナイツ

 狭い世界で夢描いてないで

 上に立つ気ならもっと私に学べ」


 あえて自分自身のフリースタイル歴の浅さを肯定した上で、機知ウィットに富んだ切り返しを行う。

 これでは経験値でマウントを取りに行ったインフェリスの立場がない。


「くっ……!」


 インフェリスは項垂れ、膝をついた。

 審査員と観衆の判定も一致、これでは延長戦は行われない。


「まあ、そうスね。二人とも荒削りって感じではありましたが」


 マイクを渡されコメントを求められたMC雷都は、そう前置きして語り出した。


「バトルは相手の言ったことに対してうまく回答アンサー返して、聞いてる側が確かにそうだなって思っちゃうと票は偏ります。そういう意味で、韻詠夢はせっかく先攻取ったんで、もっとペース握って行っても良かったんじゃないかな。Val the Lyricの回答アンサーが決まってるのに対して、攻めるポイントが絞れてないって印象でした」


 すらすらと淀みなくバトルのポイントを解説していく。

 彼はテレビやラジオのレギュラー番組を抱え、音源も定期的にリリースしている熟練のMCなのだ。


「あとはまあ、ちょっと最初から言うことを決めすぎてたんじゃないかな。熱くなった時にそれが飛んじゃって、無理に戻した感じありましたね」


 インフェリスは再度がっくりと肩を落とす。

 なまじ練習を繰り返して本番へ挑もうとする、インフェリスの根の生真面目さが災いして敗北した形であった。

 その悔しさは計り知れない。

 観衆からは健闘した二人を讃える拍手が送られるが、ヴァルアリスは腕組みしたままステージを降りようとしなかった。


「あの、もういいですよ?」


 司会が退場を促してもヴァルアリスはびくとも動かない。仁王立ちのまま、厳かにマイクを通して言い放った。


「……納得いかない。我々のどこが荒削りだというのだ。そこまで言うからには、当然自分はそれを上回るのであろう?」


 ヴァルアリスが指差す先には……MC雷都!

 これは明らかな挑戦である。


「えっ。いや、ちょっとそれは!」


 予想外に次ぐ予想外の行動に、司会の男は慌てた。


「いいよ。そんな時間かかんないでしょ。チェック、ワンツー」


 既にMC雷都は審査員席から立ち上がり、マイクテストを始めている。


「……今度は私が先攻だ」

「OK」


 司会の男はもはやほとんど破れかぶれの勢いで次なる戦いを宣言する。


「アー! それじゃあエキシビションマッチ、MC雷都 VS Val the lyric! ビートを聞かせて下さい!」


 回るターンテーブル。スクラッチ音。そして腹の底に響くような重低音のビートが鳴り始める。

 ヴァルアリスはマイクを構え、眼光も鋭く対戦相手を睨みつけた!

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