第8話 千葉県富津市のミルクソフトと手作りソーセージ(後)

「それでは、続いてはこちらへ」


 真島一郎太は売店に隣接する野外バーベキューコーナーへヴァルアリスを促す。

 これに応じるヴァルアリスには、密かに勝算があった。何も単なる意地で立ち上がったわけではない。


(たった今あの究極のミルクソフトを食べた私は満たされている。甘いものを先に食べさせたのは失敗だったな)


 冷たく甘いデザートを食べた事で、ヴァルアリスの精神は穏やかに凪いでいた。

 無我の境地、無心の極意に足を踏み入れつつある。


(何でも出してくるがいい。今の私には通用しない……)


 菩薩のような笑みを浮かべるヴァルアリスの余裕を知ってか知らずか、真島一郎太は他の従業員達と共にバーベキュー網の上で何かを転がしている。


「皆様、どうぞお集まりを。ソーセージが焼きあがります」


 それは真島牧場特製の手作りソーセージであった。既にボイルして食べられる状態になっているものに、細心の注意を払って炭火で焼き目をつけているのである。

 気がつけばヴァルアリスの後ろにもソーセージを求める客が長蛇の列を作り、焼き上がりを待っている。


(な、何だこの人気は……!?)


 ヴァルアリスの調べでは、ソーセージとは挽肉をわざわざ腸に詰めて成形するという不可解な食べ物。

 それほど人気のメニューとは思えない。

 困惑し、早くも無我の境地からは程遠い存在となったヴァルアリスに向かって、真島一郎太が紙皿に乗せたソーセージを差し出した。


「こちら、三百九十円です」


 支払いに応じソーセージを手にしたヴァルアリスは、思わず息を飲んだ。

 軽く焦げ目は付いているが、皮は破れていない絶妙の焼き加減。

 つやつやと輝いて、ぷりっとして、今にもはち切れそうなその表面の照り!

 逸る心を押さえ、箸で摘まみ上げる。熱さに気をつけ恐る恐る歯を立てる。


 ぱしゅっ、と小気味良い音が辺りに響いた。

 齧ったソーセージの皮が破れ、熱々の肉汁が迸る音である。

 その怒涛の勢いたるや!


「はっふ……むうう!」


 ぱりっと香ばしく焼けたソーセージの皮の中から肉汁が溢れ出し、そしてたっぷりの粗挽き肉が解ける。

 肉に混ぜ込まれたバジルが臭みを消し、ブラックペッパーはスパイシーで爽やかな刺激を加えている。

 ヴァルアリスの空いた左手がわなわなと空中を彷徨った。


(か、齧り付かずにはいられない……!)


 一口、二口、三口。みるみるうちにソーセージが短くなっていく。

 齧り付くたびに肉汁が溢れ、何度でも旨い!

 周囲の客達も同様、一心不乱に焼きたてのソーセージを貪っている。


 ヴァルアリスは一つ思い違いをしていた。

 甘いデザートを先に食べてしまえば満足という戦法は必ずしも通用しない。

 お腹の空き具合に余裕さえあれば、甘いものを食べた後にはむしろしょっぱいものが食べたくなるのが道理なのである!


 そしてミルクソフトの冷たい甘さ、その余韻が焼きたてソーセージの荒々しい肉の旨みと塩味を一層引き立てている。

 つまり、ミルクソフトを食べた時点でヴァルアリスは既に詰んでいたのだ!


「こ……こんな……馬鹿な……!」


 更にもう一つの誤算。

 晴れ渡る青空の下、どこまでも続く緑に囲まれた中で食する、焼きたての手作りソーセージ……このロケーションが、食事の楽しみを一段上のレベルへ引き上げているのだ。

 過酷な環境の魔界生まれ、魔界育ちのヴァルアリスに、それが予想出来ないのは無理からぬ事であった!


 真島一郎太は目を剥いて震えるヴァルアリスの姿を認め、満足げに微笑む。

 こうして料理に舌鼓を打つ人物の姿を見る時が、彼の苦労が最も報われる瞬間なのだ。



 そもそも真島一郎太の牧場との関わりは、決して明るく華やかなものではなかった。

 なぜなら、彼の両親の代において真島牧場は深刻な経営難に見舞われていたからである。

 全国的に見ても牧場の戸数は年々減少しており、生産者は過重労働を強いられるという厳しい現実がある。

 少年の頃の真島一郎太もこの厳しさに直面し、打ちひしがれかけた。

 一郎太の両親でさえ牧場に勤めることを無理強いはせず、息子の進路を自主判断に委ねたほどである。


 一郎太は迷い、悩んだ。そして考えた。

 減り続ける牧場を守るためには、国政レベルでの対策、体制作りが必要であろう。しかし、それが成るまでの間は自分が両親の牧場を守らなければならない。


 故に、彼は全てを修行と捉える事にした。

 当時気に入っていた漫画の主人公が、苦しい修行シーンを乗り越えて必殺技を身につけるように、牧場の仕事を身につけていくことにしたのだ。

 牧場道の始まりである。


 それは稚気じみた絵空事であったかもしれない。

 だが彼は日々牧場で生産される牛乳……良質なタンパク質を摂取し、根気よく肉体労働をこなした。

 あたかも武術家が己の肉体を改造し、技を磨くようにである。

 その意志に応えるように彼の背は伸び、骨はがっちりと太く、筋肉はたくましく盛り上がり、あらゆる力仕事に対応が可能となった。

 肉体のみならず、技と心も鍛える必要があった。

 家畜の僅かな異変も敏感に捉える観察力、環境の変化を見据える想像力、そして消費を促すための発想力を養った。

 絵空事も現実に貫き通せば道となるのだ。


 自ら定めた道を行く中で、彼の中には明確な一つの軸が出来上がっていた。

 慈しみ育て上げた動物の卵を、乳を、肉を、余すことなく美味しく食べてもらうこと。

 牧場に備えた設備、作り上げた環境も、全てはそのための努力だ。

 その一途な思いによって作り上げたミルクソフトと自家製ソーセージは、今や魔界最強の姫にすら通用する武器となっていたのである!



「お……おお……」


 ソーセージを食べ尽くしたヴァルアリスは天を仰ぎ、そのままゆっくりと仰向けに倒れた。今度こそ決着の時だ。

 しかし、地面にぶつかる直前にふわりとその身体を受け止めたものがある。


 それは、この牧場でたっぷりとお日様を浴びた干し草のクッション。地面へ倒れこむヴァルアリスを守るために、真島一郎太が咄嗟に投げ入れたものであった。

 牧場を訪れるお客への心配り、これもまた牧場道の一環である。


 かくして世界の平和は守られた。

 美食の集う地は何も東京、神奈川だけではない。千葉県もまた、竜魔神姫トンデモナイゼを討つだけの力を持っていたのだ!


 干し草の上に大の字に寝転んだヴァルアリスは、意識が途切れる寸前に最後の力を振り絞って呟いていた。

 己を負かした美味なる食材とそれを提供した者に対し、送るべき言葉を!


「ご馳走様でした……!」


 この声に応えたものか、それとも単なる偶然か。牧場には、一頭の雌牛の鳴き声が高らかに響き渡ったのだった……!

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