第6話 牧場道
千葉県富津市。
神奈川で大敗を喫したヴァルアリスが、なぜまたしても東京に隣接する千葉県を戦いの舞台として選んだのか。
なぜ千葉には名物が無いと判断したのか。
そこには一つの誤解があった。
確かに千葉県民は、「千葉の名物はピーナッツしか無い」などと自県について自嘲することがある。
しかし、それは奥ゆかしい謙遜故のこと。実際は千葉県にも様々な見所があり、名物と呼ばれるにふさわしい食べ物も多数存在しているのだ。
これは人界を調査するヴァルアリスが、たまたま目に付いた過剰なへり下りを真に受けてしまったが故の悲劇である。
そもそも千葉県は全国有数の水揚げ量を誇る銚子港を有しており、新鮮なイワシやサンマ、さらには伊勢海老を味わうにもってこいの土地。
なのに、ヴァルアリスが銚子をスルーしてしまったのは何故か。
これはひとえに彼女が神奈川で海の幸を堪能したばかりで、単純に気が向かなかったのである。
故に仕方のないことであった。
また県北西部の東葛地域、松戸や柏に足を向ければそこはラーメン激戦区。有名なラーメン店、つけ麺店がしのぎを削りあっている麺の楽園である。
が、生憎とこの日のヴァルアリスは麺類を食べる気分ではなかった。
故に、あえてこの楽園をスルーしてしまったのである。
そうして選ばれた戦いの場は海ではなく山。ヴァルアリスが選んだ決戦の地は牧場であった。
これは千葉県が酪農発祥の地であるという、意外と千葉県民ですら知らない情報を元に決定されたものである。
青空をゆったりと雲が流れ、あちこちから小鳥の囀りが響く。
柵で囲われた放牧場では牛や羊、馬たちがのんびりと歩き回り、青々とした草を食んでいる。
実にのどかな風景だ。
この牧場は観光用に一部の施設を開放しており、敷地内にはちらほらと家族連れの姿も見られる。
しかし、これよりこの地で人類の命運をかけた勝負が行われるとは、彼らも思ってもみないことだろう。
滅びの運命というものはいつでも唐突に訪れる。当事者の覚悟が定まるのを待ってはくれないものなのだ。
今回のヴァルアリスは、ホワイトのシャツにデニム地のオーバーオールを合わせたカントリー風の装い。見るものに快活で爽やかな印象を与える姿だ。
そのヴァルアリスは、牧場の空気に目を丸くして驚きの声を上げていた。
「おおお……!」
王族の一員であるヴァルアリスにとって、このように家畜の世話をする施設に足を踏み入れるのは初めての事なのである。
「しかし、このような場所で本当に食事を摂る事が可能なのだろうか……?」
事前調査に間違いさえなければ、ここにも食事そのものはあるはずなのだ。
物珍しさで爛々と目を輝かせながら、ヴァルアリスは牧場内を巡っていく。
初めに訪れたのはヤギの運動場であった。
乳離れも済んでいない子ヤギたちは顔つきもあどけなく、真っ白く柔らかそうな毛並みは眩しささえ感じさせる。
(フッ。いかにも人類に相応しい、脆弱そうな家畜よ。これでは外敵に襲われればひとたまりもあるまい)
そう思いつつも、いつまでも目が離せない。小一時間が経過しても、ヴァルアリスはただ柵の前で子ヤギの姿を眺めるばかりであった。いったい何故なのか?
それは可愛い動物を目の当たりにした者の胸に、素朴に湧き上がる喜び……ときめきのせいであった。
魔界にもヤギに近い生物は存在するのだが、最高マッハ2に到達する移動速度で狩りを行う危険な生物。さらに、追い詰められると揮発性のガスを撒き散らし自爆するという傍迷惑な習性を持っている。
このように庇護欲をそそる愛くるしいヤギを見るのは、ヴァルアリスにとって初めての経験だったのである。
(フフ……慌てて走ると転ぶぞ。気をつけよ……)
その場で立ち止まったまま、永久にニヤニヤと子ヤギの様子を眺めていそうなヴァルアリス。
だが、ふと背後にただならぬ気配を感じ振り返った。
そこに居たのは岩山のような体つきの男であった。
Tシャツの袖口が張り裂けそうなほどに盛り上がりを見せる、太い腕。
首も丸太のように太く、牛の一頭ほどなら悠々と担いで歩きそうな体躯をしている。
一方で両の目は糸のように細く、感情の読めない人相だ。
「貴様……何者だ」
問うと、男は真っ白い歯を見せて笑った。
「ようこそ。私はこの真島牧場の主、真島一郎太と申します」
名乗り終えた男は丁寧に礼をする。その礼の動作一つとっても、重心に一切のぶれが無く、全く隙が生じない。
「ただの牧場主ではあるまい。……何を使う?」
ヴァルアリスの慧眼は、初対面の真島一郎太がなんらかの武術の達人であると看破していた。
真島は破顔してその問いに答える。
「使うというほどのこともありませんが、強いて言うならば……牧場道」
「牧場道!?」
聞いたことのない武術の名称に、思わずヴァルアリスは素っ頓狂な叫び声を上げた。
度重なる来訪で次第に人類のことを把握しつつあると思っていたのだが、また一歩突き放された思いである。
人類としても、このような存在が平常だと思われては困るのだが……。
「左様。極めればこのような事ができます。それ!」
真島はおもむろに手にしたベルを振り、鳴らした。
リリリリン……リリリリン……
地の果てまでも鳴り響くようなベルの音色。そして、その音を聞きつけ遠くからぱたぱたと駆けてくる白い群体は……!
「うっ……!?」
それはアヒルの群れであった!
せわしなく羽を動かし、嘴を前後に揺らしてやってきたアヒル達は、真島がばら撒いた餌を啄ばんだ。
ぐわぐわ、があがあと思い思いに声を上げながら餌を啄む元気いっぱいのアヒル達。その姿は子ヤギとはまた別の微笑ましい魅力に満ちている。尾羽を振り振り歩く姿も実に愛らしい。
そしてヴァルアリスは異変に気がつく。アヒル達はヴァルアリスと真島の二人を中心にして円を描くように隊列を組み、楽しげに行進を始めたのである!
(魔法ではない……では、この現象は……!?)
「ははは……驚かれましたかな?」
朗らかに笑う真島を前に、ヴァルアリスはいまや確信していた。何かに導かれるようにこの地を訪れたのは偶然ではない。
今回の自分はこの男、真島一郎太と戦うために千葉県へやって来たのだと!
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