第一章特別編

第20話 力の根源

 七輝星海連合の一員モルドゥールは、歯噛みして拳を卓へ叩きつけた。


「何故だ。あり得ぬ……こちらの策が悉く見透かされている!」


 流線型の甲冑で身を覆う伝令兵が通信を捉え、顔を引き攣らせて声を上げる。


「ほ……報告が入りました。左翼部隊が全滅」

「馬鹿な!」

「先ほど交戦を開始したばかりではないか!」


 方々から、ほとんど悲鳴に近い声が上がった。いずれもモルドゥールと同等の戦力を保持する、名だたる権力者たちである。が、彼ら歴戦の猛者たちも今や一様に青ざめ、取り乱すばかりであった。


「もはや勝機はありません。撤退のご決断を」


 部下の進言を受けたモルドゥールは、恨めしそうな目つきでモニターに映る巨大兵器の成れの果てを見やる。

 七輝星海連合の決戦兵器として鳴り物入りで投入された鎧竜機兵は、連合の持てる技術の結晶、あらゆる叡智と神秘を注ぎ込んだ無敵の存在と自負していた。だが、この戦においては一度たりともその真価を発揮することは無かった。

 鎧竜機兵は、戦場へ降り立つと同時に極低温の結界……銀嵐雪華氷陣サムガリサンナカスによって凍てつき、真っ白な彫像と化したのである。

 それは一瞬の出来事。姿勢制御のために僅かに出力が低下した、その一瞬で勝負は決まってしまった。


「撤退する……」


 力無い宣言であった。

 この打撃から立ち直るのに、祖国はいかほどの年月を必要とするだろうか。たとえ立ち直ったところで、二度と魔界に対して侵攻を図る事は無いだろう。


「その脅威を認識し、超えられるだけの備えをしてきたつもりであった。しかし、足元にも及ばぬとは……」


 モルドゥールは嘆息し、目元を覆い、連合に手痛い敗北をもたらした恐るべき敵の名を口にする。


「これ程までとは……竜魔神姫トンデモナイゼ、ヴァルアリス……!」




 引き上げていく敵軍の船を仰ぎ見て、魔族の戦士たちは次々と勝鬨の声を上げた。

 その声はやがて、自軍に勝利をもたらした指揮官の栄光を讃えるものへと変わっていく。

 竜魔神姫トンデモナイゼ、ヴァルアリス。絶対無敵、最強不敗、魔界の頂点に立つ次期統率者。

 しかし、その賛辞の声に応え当人が姿を見せる事はない。ヴァルアリスは既に前線から離れ、居城へと引き上げているからである。

 鬼謀の策士は、敵勢力の撤退を待たずして既に事後処理の手筈を整える段階に入っていたのであった。



 魔界における王族の居城、優美な姿と堅牢な守りを誇る魔源枢城マンナカニアルノ

 廊下を歩むヴァルアリス、近頃その美貌にはますます磨きがかかり、果てを知ることがない。

 艶のある黒髪は歩みに合わせて優雅に揺れ、誰の心もときめかせる甘い蜜の香りが漂う。数多の星の瞬きを宿すかのようなその瞳に比べれば、深海の眠りから覚めた大粒の黒真珠さえ遥かに見劣りするであろう。

 だがしかし、ヴァルアリスはその戦功にも関わらず表情をいささか曇らせていた。かかる雲は憂いと退屈である。


 ヴァルアリスにとってはつまらぬ戦であった。

 戦において兵の数は確かに重要だが、それ以上に重要なのは指揮系統。七輝星海連合は、七つの長がそれぞれ戦果が突出せぬよう足並みを揃えていたのが悪手である。戦が終わった後も互いの関係を維持するためだったのであろうが、優位な戦場で攻めきれず、不利な戦場では過剰に戦力が集中していた。

 規格外の兵力を誇る軍も、ヴァルアリスの目には図体ばかりが巨大で動きの鈍い芋虫のように見えていたのである。

 神格天魔星将ゴッツエライヒトウェリゴース、その配下グレミアもよく働いたし、懸念していた剣魔神姫ソーデモナイゼインフェリスの動きも今回の戦では概ね予測範疇に収まっており、戦況への関与は少なく済んだ。

 故に、敵の次の一手を読み、先んじることは容易かった。

 配下に戦術を検討させ、兵の練度を上げるためには、今ひとつ手応えの足りぬ相手でさえあった。



 やがて長い廊下の突き当たり、厳重な警備に守られた一室へとヴァルアリスは辿り着く。


「これは。ヴァルアリス様自らこのような場所へお越しにならずとも」


 静かに片手を上げ、恐縮する衛兵の言葉を遮る。


「たまには見ておきたくなるものだ。この世界の中枢というものを」


 衛兵たちは畏まって扉に手をかけ、複雑な手順に則りその錠を開放する。

 一歩室内に足を踏み入れれば、光の奔流が、それ以上に煌々と光を放ち鳴動する巨大な駆動機関へ注がれていくのが目に入る。


 巨神魂炉デカスギヤン

 魔界の中心部に位置する、全ての力の源である。異界遠征エンソクキブンの成果たる数万の命を捧げてなお、それは大河に水を一雫垂らすようなものに過ぎない。

 この巨大極まる力の蓄えがある以上、ヴァルアリスが電撃的な戦果を上げずとも魔界の繁栄に揺らぎはないと言える。

 反面、これを手にせんと魔界へ攻め入る勢力も後を絶たない。

 ヴァルアリスは不意に、誰にも聞かれないよう小さな声で呟いた。


「長かったな……」


 およそ二ヶ月の戦である。人界の食物と隔絶されて過ごすそれは体感的に数十年に等しいが、利点もあった。冷静に自らを見つめ直し、策を考える時間が生まれた事である。


 ヴァルアリスは今一度自分の勝利条件を確認する。幾度となく死闘を繰り広げるうちに、ここが曖昧になっていた気がしてならない。


 まずは人界の食物を口にする。それが、人類の生きた証として残すに足る価値があるかを判断する。

 然る後、誘惑に耐えきり、完食せずに残す。縛鎖永劫次元牢シヴァラクトマッテロを用いて、残した食物を封印する。

 以上をもって滅界儀式ホロボシタルの前準備は完了するのである。あとは全人類の生命を薪としてこの炉に焼べ、王位継承の儀を進めるのみである。


「ふ。ふふふ……」


 思わず笑いがこみ上げてしまう。

 ヴァルアリスは辿り着いたのだ。この勝利条件を満たす、絶対にして単純明快な必勝の策。積み上げた敗北の歴史に、ついに終止符を打つ事ができるのである。


になれば良いのだ。それで全ては終わる……!)


 それは実にシンプルで、これ以上無い完璧な解答!

 竜魔神姫トンデモナイゼとて胃の容量には限界があり、限界を迎えればいかに美味でもそれ以上食べることはできなくなる。

 つまり、心ゆくまで美食を堪能し、その上で完全なる勝利を手にする事が可能なのだ!


 そのために訪れるべき店の下調べも既に済ませてある。満腹になる前に飽きが来ないように、様々な味を楽しめる店だ。


「待っていろ、人類よ。ここに舞台の幕は開く。演目は貴様らの破滅的終末カタストロフだ……!」


 ヴァルアリスは踵を返し、巨神魂炉デカスギヤンを後にする。

 なんということだろうか。今までにない発想、身も蓋もない結論。これではもはや人類に希望はなく、ただ滅亡の時を待つばかりに思われた。


 だが、忘れてはならない。

 この物語の題名は、竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスの敗北である。

 そう、これは魔界の頂点にして至宝、戯れに竜をも屠る、絶対無敵、最強不敗の竜魔神姫トンデモナイゼヴァルアリスが……敗北する物語なのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る