第144話 曹孟徳の行方


袁本初えんほんしょの本隊と合流した劉玄徳りゅうげんとくは、汜水関しすいかんを突破し、直ぐに雒陽らくようへ向けて進軍を開始したが、彼らの目に映ったのは夜空を赤々と照らしながら炎上する雒陽城の姿であった。


「な、何と言う事だ…!董卓め、かんの都に火を放つとは…!!」


本初はその光景に目をいからせた。

その後、連合軍は長安ちょうあんへ向かった董卓軍の追撃を行ったが、途中で伏兵ふくへいに遭い反撃を食らった為、止む無く雒陽へと引き揚げたのである。


燃え盛る炎の勢いは翌日になっても収まらず、炎は数日を要してようやく鎮火したが、都は文字通り灰燼かいじんし、本初らは焦土しょうどと化した雒陽の後始末を行った。

そんな折、彼の耳に更に信じ難い噂が聞こえて来た。


「何だと…?孫文台そんぶんだいが…?」

配下からの報告に、本初は眉間に深くしわを刻む。


南から雒陽へ入城し、火災が鎮火すると、董卓の配下たちが荒らし回った皇帝の陵墓りょうぼを修復するなどしていた孫文台が、突然、魯陽ろようへ引き揚げて行ったと言う。

しかも噂にると、文台はその時、皇帝だけが持つ事を許されている、伝国璽でんこくじ(玉璽ぎょくじ)を拾ったとされていた。


「もし、それが事実であれば、由々ゆゆしき事態だ…どんな理由であれ、皇帝の物をかすめ取ればきっとむくいを受ける。孫文台は、良い死に方をしないであろう…」


本初は焼け野原となった雒陽の城内を歩きながら、夕暮れに染まり行く空を見上げると、遠く魯陽の方角を憂いを帯びた眼差しで見詰めた。


その頃、劉玄徳は雒陽に残った本初らと別れ、自分たちの兵を引き連れて酸棗さんそうに集結する連合軍の拠点を訪れていた。


十万を号する酸棗の連合軍では、既に兵糧ひょうろうが底を尽き、彼らは周囲の邑々むらむらから略奪を始めていた。

得る物が無くなると、兵を纏め去って行く諸侯たちも後を絶たず、最早、連合軍とは名ばかりの状態であった。


そんな諸侯らの姿を、愁眉を寄せて見詰める玄徳の元へ一人の青年が走り寄ると、振り返った玄徳は顔をほころばせ、彼の肩を掴み強く揺すった。


虎淵こえん、暫く振りだな!元気だったか?!」


だが、黙ったまま眉間に皺を寄せて彼を見詰める虎淵の様子に、直ぐに異変を感じ取り、玄徳は笑顔を消し去った。


「孟徳に、何かあったのだな…?」


実は汴水べんすいの戦いの際、虎淵は連合軍の補給を担当していた為、孟徳の側には居なかった。

彼は、楽文謙がくぶんけん李曼成りまんせいらと共に行動しており、彼は汴水で孟徳の軍が徐栄じょえいの軍に破れた事を知って、急ぎ帰還して来た。


敗北した孟徳ら連合軍は大打撃を受け、済北相さいほくしょう鮑信ほうしんは重症を負った上、弟の鮑韜ほうとうを失った。更に、陳留ちんりゅう太守の張邈ちょうばく配下であった衛茲えいじまでもが討ち死にしてしまったのである。


「孟徳様は…従弟いとこ子廉しれん殿と、汴水を渡ろうとなさいましたが…途中、敵の矢を受け河へ落ち…その後、行方が分からなくなって仕舞しまわれました…!」


虎淵は俯き、声を震わせながら玄徳にそう告げると、握り締めた右手を彼の前に差し出した。

開かれた彼の手の上を見ると、泥で汚れた翡翠ひすいの首飾りが乗っている。


「汴水の下流を捜索した所…兵士の死体が、河から多数引き上げられている場所がありました。孟徳様の死体は見付かりませんでしたが、その首飾りは、そこで発見したのです…」


玄徳は汚れたその首飾りを手に取り、指で泥を拭き取りながら黙ってそれを眺めていたが、やがて目元に微笑を浮かべると、肩を震わせる虎淵に視線を送った。



「孟徳は生きている。心配するな、俺には分かるのだ…!」



その声に、虎淵は潤んだ瞳に驚きを浮かべて彼を見上げたが、確信を持ったその強い瞳を見詰めると、表情に明るさを取り戻し白い歯を見せて笑った。




その日、汴水の下流域で朝から漁を行っていた青年、伯斗はくとは、河から網を引き上げ帰路に着いていた。

上流域で董卓軍と連合軍の戦闘が行われた為、河でおぼれた兵士や馬の死骸が流れ着き、漁をする所では無くなってしまった。

更には雨も落ち始め、今日は僅かしか魚を取ることが出来なかったが、彼は諦めて切り上げたのである。


次第に強くなる雨の中を暫く歩くと、丘の上から河岸に大勢の人が群がっているのが見えた。

それは、近くのむらから集まって来た農民たちが、河から兵士や馬の死骸を引き上げ、武器や金目の物をあさっている所であった。


伯斗はその光景に小さく溜め息を吐きながら、彼らの脇を通り過ぎようとした。

その時、


「おい、こっちにもまだ生きてる奴が居る…!」

農民の一人がそう叫び、仲間を呼び集めていた。


「見ろよ、こいつは指揮官らしい。立派な戦袍せんぽうを着てるぞ…」

「そいつは良い。退け、俺が始末する…!」

槍を手にした男が走り寄り、倒れた人物にとどめを刺そうとする。

握った槍を振り下ろそうとした瞬間、突然、何者かが男の身体を弾き飛ばした。


「止めろ!大将首を取って、お前たちに褒美でも出るのか?!」


「何しやがる?!」

突き飛ばされた男が怒鳴って見上げると、そこには一人の青年が立っていた。


男は落とした槍を拾い上げ、その青年に襲い掛かったが、彼は素早く男の腕を掴み取り地面に放り投げる。

更に拳を身体の前に構え、襲って来る男の仲間たちを次々に叩きのめした。

彼の動きは、ただの農民とは思えないものである。


やがて諦めた男たちは悔しげに歯噛みをし、みな身体を引きりながらその場を去って行く。

伯斗は仰向けに倒れている人物に近寄り、膝を突いてその顔を覗き込んだ。


血の気の失せた青白い顔で倒れているのは、まだうら若い将である。

彼は喉の辺りに矢傷を受け、戦袍は血に染まっていた。


伯斗は自分の着物を割いて彼の傷口を押さえ、素早く布を巻き付けると、彼の身体を肩にかつぎ上げる。

その時、足元に何かが滑り落ちた事に伯斗は気付かず、その青年を担いだまま、彼はくさむらの中へと姿を消して行った。


河岸に残されたのは、泥の中に沈み掛けた翡翠の首飾りであった。

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