第七章 魔王の暴政と小さき恋の華

第141話 長安遷都


袁本初えんほんしょが盟主となり、『反董卓連合軍』が結成されると、董仲穎とうちゅうえいは直ぐ京師けいしに在住していた袁氏一門をことごとく捕らえ、本初の叔父である袁隗えんかいら三族を皆殺しにした。


「董卓に家族を殺された」

と言うそのむすめは、そんな袁氏の生き残りであろうか。


奉先と士恭は、暴れる少女をその場で取り押さえ、少女の両腕に縄を掛け上半身を布で縛り上げて彼女の動きを封じた。


匕首ひしゅが刺さった奉先の右腕からは血が流れ、着物の袖を赤く染めている。

それを見た士恭が、引き裂いた着物で彼の腕を固く縛り、急いで傷の手当てをほどこす。

それから、奉先はようやく大人しくなった少女を抱え上げると、彼女を飛焔の背に乗せた。


「どうするのです?!」

驚いた士恭が問い掛けると、


「取りえず、城外へ連れ出そう。此処へ置いて行く訳にはゆくまい!」

彼はそう言って、自らも飛焔の背にまたがる。


「奉先殿の命を狙った娘ですよ…?!」

士恭は呆れた様に言ったが、走り去る飛焔の後を追って彼も馬を走らせた。


燃え盛る雒陽らくようの城外には、避難民があふれ返っていた。

董卓軍の兵士たちが彼らを取りまとめ、次々に長安へ向けて出発させている。

避難民の中には女子供も大勢含まれていたが、彼らのほとんどは、長安までの凡そ千里(約400km)の道程みちのりを徒歩で移動させられるのである。


奉先は、長安へ向かう行列の中に荷車を見付け、少女をその荷台へ移すと、彼女の身体を拘束していた縄と布をほどいた。

それから士恭を振り返り、


「士恭、俺はもう暫く雒陽ここへ残る…相国にそう伝えておいてくれ。それから、そのの事はお前に任せるぞ。」


そう告げて、飛焔にまたがり引き返そうとする。

それを聞いた士恭は、驚いた顔で咄嗟とっさに彼を呼び止めた。


「奉先殿…!方を、探しに行くお積りですか…!?」

すると奉先は振り返り、小さく笑うと


「袁本初の軍が到着する頃であろう。それを足止めする為だ…!」

とだけ答え、その場を走り去った。


聞くだけ野暮やぼであったか…

士恭はそう思い、遠ざかる彼の背を見詰めた後、荷台の少女を振り返って小さく溜め息を吐いた。


その時、


「おい!貴様、そこで何をしている?!」


怒鳴り声を上げながら大股で此方へ歩いて来る男の姿が見える。

息を荒らげて現れたのは、胡軫こしんの弟分、牛毅ぎゅうきであった。

牛毅は以前、奉先と一騎討ちを演じたが、彼の一撃で馬から放り出され部下たちの前で醜態しゅうたいさらしたあの男である。


彼は、荷車に乗せられた泥だらけの童子の姿に眉をひそめた。

少女の顔は泥で酷く汚れた上、髪はぼさぼさで襤褸ぼろを身にまとっている。


だが、その下からのぞく澄んだ大きな瞳は、黒い真珠の如く輝いており、顔は泥で汚れているとはいえ、よく見れば眉目の整った美少女である。

それと認めた牛毅は、訝しげな表情のまま腕を伸ばすと、少女のあごをぐいと掴みその顔を上げさせた。


「何だ、こいつ女じゃねぇか!げへへっ…まだ餓鬼だが、中々の美人の様だ。わしが可愛がってやろう…!」

牛毅は下衆な笑い声を上げ、抵抗する少女の腕を掴んで荷台から引きり降ろそうとする。


董卓の軍では、ある程度の略奪や婦女に対する凌辱りょうじょく行為は公然と容認されていた。

奪い取った金品や女たちは、兵士たちの戦利品であり、彼らの士気を高める為に必要な事と董仲穎は考えていた。

従って彼らにとって、それが例え幼い少女であっても性的対象なのである。


「牛将軍、おめ下さいっ!」

士恭が慌てて走り寄り、少女を連れ去ろうとする牛毅の肩を掴んだ。


「何だ貴様!わしに逆らうとは、良い度胸じゃねぇか…っ!!」


牛毅は怒鳴って士恭の腕を振り解き、彼の胸を片腕で強く突き返す。

そこへ牛毅の部下たちも駆け付け、あっと言う間に士恭を取り囲んだ。

部下たちは皆、剣を抜いて彼に迫る。


「くっ…!」

士恭は強く歯噛みをし、取り囲む兵士たちを睨んだ。


「がははははっ!!貴様はそこで指でもくわえておれ!」

勝ち誇った様に笑いながら、牛毅は少女を無理矢理に連れて行く。


「待て!!」


そこへ、彼の背後から鋭く呼び止める声がした。

牛毅がわずらわしげに振り返ると、士恭を取り囲む兵士たちを押し退けながら、彼に近付く者がある。


「貴様ぁ…!!」

その姿を認めた牛毅は、途端に目をいからせた。

彼の目の前に立っているのは、あのにっくき呂奉先である。

奉先は牛毅に歩み寄ると、険しい顔で彼を睨み付け、


「そのむすめは俺のものだ!手を出す事は許さぬ…!」


そう言って少女の腕を掴み取り、自分の方へ引き寄せた。


「何だと…!」

牛毅は負けじと奉先を睨み返すと、同じ様に少女の腕を掴んで放そうとしない。

二人は少女を間に挟んで、鼻面はなづらを突き合わせる様にして暫し睨み合った。

やがて、目に苛立いらだちを浮かべた牛毅は「ちっ…」と小さく舌打ちをし、


「馬鹿らしい…!小娘なんぞに、興味など無いわ…!!」


そう言って捨て台詞を吐きながら少女の腕を乱暴に放すと、「行くぞ…!」と顎をしゃくり、部下たちに引き揚げの合図を送る。

そして擦れ違い様に、奉先に肩をぶつけて憤然ふんぜんたる態度で歩き去った。


面白く無い顔付きで立ち去って行く牛毅たちを、奉先は黙って見送る。

そんな彼の元へ走り寄った士恭が、笑って声を掛けた。


「奉先殿、戻って来てくれたのですね…!」

「ああ、お前に言い忘れた事があってな…だが、何だったかすっかり忘れてしまったよ。」


奉先は士恭を振り返りながら、そう言って笑い返す。

声を上げて笑い合う二人の様子を、奉先に肩を引き寄せられた少女は、彼の腕の中で大きな瞳を上げ、黙って見詰めていた。



実の所、奉先は少女の事が気に掛かり、雒陽へ留まる事を断念し、考え直して引き返して来たのである。

奉先は、襤褸ぼろを纏った少女の上から自分の外套がいとうを掛け、飛焔の背に乗せると、自らは愛馬を引いて歩いた。


寒波の影響で夜は凍える程の寒さであったが、長安へと向かう行列は、休む暇も与えられず進んで行く。余りの険しい道程みちのりに、力尽き倒れる者が後を絶たなかった。


途中、荷車の車輪が泥濘ぬかるみはまり、身動きが取れなくなった民の姿を見掛けた。

だが人々は皆、明日は我が身と知りながらも、それを哀れな眼差しで見送るばかりで誰も助けようとはしない。

今は他人の事など構ってはいられないのである。


「飛焔、彼女の事を頼むぞ。」

奉先はそう言って飛焔の頭を撫でると、周りの兵たちを呼び集め、民と一緒になって動けなくなった荷車を泥の中から押し出すのを手伝った。


そうやって長い道程を延々と歩き続け、やがて東の空が白々と開け始めた頃、彼らはようやく仲間の兵士たちの野営地へと辿り着いたのであった。



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