第134話 方天戟

孟徳は強く歯噛みをし、剣を構えたまま彼を睨み付けている。


二人は沈黙を続け、暫し互いに睨み合った。

青い草原を吹き抜ける風が、時折強さを増して二人の間を通り抜ける。


やがて小さく嘆息しながら、孟徳は剣を鞘へと収めた。

それから、足元に落ちた奉先の宝剣を拾い上げ、


「この剣…もう既に、お前の手に戻ったのだな…」


そう呟いて“七星剣”の輝きを目を細めて見詰めると、孟徳は伏し目がちにうつむいたまま、ゆっくりと奉先に歩み寄った。


「…お前には、助けられた借りがある。今回だけは、見逃してやる…」


長い睫毛まつげの下から覗く瞳を見下ろし、奉先は差し出された宝剣をその手からそっと受け取った。

やがて黒い大きな瞳を上げた孟徳は、


「だが…次に戦場で会う時は、手加減はせぬぞ…!!」

そう言って眼光を鋭く光らせた。


「ああ、解った。有り難う、孟徳殿…!」


目元にやや微笑を漂わせ、奉先がそう答えると、孟徳は少し憂いのある表情で何か言いたげに彼を見詰めていたが、やがて小さく吐息といきらしつつ、彼に背を向けて歩き出した。


草原を撫でる様に吹き抜けて行く柔らかい風に、歩き去る孟徳の長い髪が揺れてなびいている。

遠ざかるその後ろ姿を見詰めながら、奉先は底知れぬ寂しさと切なさを感じていた。


だが、奉先はその思いを断ち切る様に、強く拳を握り締めながらきびすを返すと、同じ様に彼に背を向け、やがてその場から離れて行った。


「行こう、飛焔…!」

歩み寄った飛焔の背に跨り、その首筋を強く叩くと飛焔はそれに応え、一瞬前脚を上げていなないた後、脚を下ろすと同時に勢い良く走り出す。


草原を風の様に駆け抜けて行く彼らの姿を、孟徳は馬上で振り返り遠くから眺めた。

やがて待機していた仲間の部隊の元へ戻った孟徳は、


「弘農王は、既に殺されていた…遥々はるばる此処まで来たが、仕方がない…引き上げよう…」


肩を落としてそう告げ、部隊の間を縫って来た道を引き返し始めた。

その姿に文謙も深い溜め息を吐き、馬首を返して彼の後に続く。


馬上で孟徳は首を上げ、高い青空を仰ぎ見た。

何処までも続く蒼天そうてんに、呆れ顔で見下ろす袁本初えんほんしょの顔が浮かんで来る。


嗚呼、またあいつに嫌な顔をされるであろうな…

そう思うと、脳裏に浮かぶその顔に孟徳は小さく苦笑した。


草原を駆け抜ける飛焔の背に揺られながら、奉先はふと、切れた着物の胸元に手を当て、懐へ差し入れた。

中から取り出したのは、真っ二つに切断された弘農王の印綬である。


『何かの役に立つかも知れない…』

そう言って渡した、弘農王の思いが届いたのであろうか…印綬を懐に入れていたお陰で、胸の傷は浅かった。

奉先はそれを見詰めて微笑すると、腰に提げた袋へ収めた。




雒陽らくようへ戻り、董仲穎とうちゅうえいの元へ復命した奉先は、彼の前に割れた弘農王の印綬を差し出した。


「冀州から、袁本初が弘農王の元へ向かわせた軍勢が引き上げたと聞く…」

そう言って印綬を手に取ると、仲穎は目を細めてそれを眺めた。

それから視線を目の前にひざまずく奉先に向け、口角の両端を上げてにやりと笑う。


「良くぞ使命を果たした。今度こそ、わしからの褒美を受け取るであろうな?」

仲穎は首を回して、背後に大きな箱を抱えて立つ側近らを振り返った。


奉先は頭を低くし、仲穎に向かって素早く拱手すると、


「有り難く頂戴致します…!」

と、良く通る声で爽やかに答えた。


「奉先殿、おかえりなさい。単騎で敵に向かわれたと聞き、心配しておりました…!ご無事で何よりです!」

仲穎からの褒美を手に屋敷へ戻ると、先に帰還していた高士恭こうしきょうが待っていた。

士恭は笑顔で出迎え彼を労った後、抱えた大きな箱に視線を向けた。


「それは…?」

相国しょうこくからの褒美だ。」

奉先は微笑し、士恭の前に箱を置くと中から黒光りする漆黒の柄を掴み上げ、巨大な刃を持つげきを取り出した。


「おお、それはあの時の…!」

士恭は思わず感嘆の声を上げ、その見事な戟に目を見張る。


「“方天戟ほうてんげき”の一種でしょうが、これ程大きな物は見た事が無い…!」

「ああそうだな、俺もこんな武器を手にしたのは初めてだ!」


奉先はそう言って立ち上がり、それを両手に握って力強く振ってみた。

戟の尖端せんたんは鋭い槍となっており、の様に横に突き出ている刃は、片側に三日月をかたどったものである。

戟は室内の空気を切り裂く度、大きく唸りを上げる。


「名馬“赤兎馬”に跨がりその戟を持てば、奉先殿に敵う相手は何処にもいないでしょう!」


士恭はまるで自分の事の様に喜び、嬉しそうに膝を打ってはしゃいでいたが、奉先が振り返ってその姿に笑うと、はたと我に返り小さく咳払いをした。


「それはそうと、奉先殿。留守の間に、張文遠ちょうぶんえん殿が訪ねて来られましたぞ。」

「文遠が…?!」


奉先は、驚きと困惑の表情で士恭を見下ろした。


張文遠は雒陽を離れた後、一旦并州へいしゅうへ戻り、離れて行った丁建陽ていけんようの元部下たちを探し出すと彼らを説得し、仲間を掻き集めて各地で募兵を行った後、再び雒陽へ兵を率いてやって来たのである。

奉先は急ぎ、文遠の駐屯地へと向かった。


彼の帰還を待っていた文遠は、笑顔で幕舎へと迎え入れてくれた。


「お前は人望が薄いから、仲間を集めるのに苦労しているだろうと思ってな。俺が集めて来てやった…!」

「ああ、その通りだ…!」

笑って肩を叩く文遠に、奉先は苦笑を返しながら答えた。


「…それから、お前に伝えておきたい事があってな…」

「?」

不思議そうに首を傾げる奉先を見詰め、文遠は少し言いづらそうな顔で自分のあごを撫でてから、「実は…」と切り出す。



「俺は、玲華殿を妻として迎える事にした。」



「え?!」

奉先は自分でも驚くぐらい頓狂とんきょうな声を上げていた。

慌てて取りつくろい、


「そ、そうか…それは、良かったではないか!!」

そう言って、出来るだけ陽気な声で文遠の肩を強く叩き返したが、内心自分の顔が引きっているのではと懸念けねんした。


「お前には、どうしても一番最初に伝えるべきだと思っていたのだ…俺たちを、祝福してくれるか?」

文遠は少し照れ臭そうに、自分の首筋をきながら問い掛ける。

「ああ、勿論だ!」

奉先は顔を綻ばせ、目元に微笑を浮かべながら彼を見詰めた。


玲華は文遠の一途な気持ちに応え、彼に付いて行く道を選んだのである。

こうなる事は覚悟していたし、それが彼女の為にも一番良い選択であると分かっていた。


だがそれでも、あるいはあと少しだけ、自分を待っていてくれるかも知れないという、一縷いちるの望みを抱いていたのも事実であった。


玲華殿の選択はいつも正しい…

俺なんかより、文遠と一緒になる方がずっと幸せだ…


そう自分に言い聞かせながら文遠の幕舎を後にしたが、夕闇が迫る東の空に浮かんだ小さな星の輝きを見上げ、奉先は深い溜め息を吐いた。

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