第133話 互いの使命


曹孟徳そうもうとくは、急ぎ冀州きしゅうから騎兵部隊を率い、弘農王こうのうおうの封地へと向かったが、そこは既に董卓の軍勢に占拠されていた。


「弘農王は、『天聖師道てんせいしどう』と言う道教集団に城から連れ出され、彼らは砦に篭もっているそうです。」


斥候せっこうからの報告を聞き、孟徳は早速『天聖師道』の砦へと向かうと、約一日半の戦闘の末、敵を壊滅に追い込み、ぐ様部隊を砦に突入させた。

しかし、既に主導者である天華てんかには逃げられた後であり、捕らえた信者たちに弘農王の行方を問い詰めると、董卓につかわされた刺客せっかくって連れ去られていた事が分かった。


刺客は弘農王を連れ、西へ進路を取ったらしい。休む間もなく、今度は西へと向かった。


弘農王は、既に殺されているかも知れない…

孟徳は、自らの行動が常に後手ごてに回っている事に、苛立いらだちと焦りを感じていたが、それでも諦めず追跡を続けた。


やがて谷を抜け丘を越えると、一面に広々とした草原が広がっていた。

その間を縫って続くなだらかな山道さんどうを進んで行くと、道の真ん中で立ち塞がっている一騎の騎馬の姿が、部隊の先頭を進んでいた楽文謙がくぶんけんの目に入った。


「?!」

文謙はいぶかしげに眉をひそめ、目を凝らしてその騎馬を凝視した。


「孟徳殿、前方に怪しい者が…!」

部隊を停止させ、馬首を巡らせて孟徳の元へせ戻った文謙からの報告を聞き、

部隊の前方へと向かった孟徳は、風に靡く草原の上に佇むその騎馬を遠望する。


「あれは…!」

孟徳は一瞬息を呑んでそう呟くと、文謙を振り返り部隊をそこで待機させるよう指示を出し、単騎で山道を駆け出して行った。

文謙は驚いたが、孟徳の指示である。不安な面持ちのまま彼の姿を見守った。


やがて孟徳の騎馬が歩みを緩めると、山道上の騎馬から男がひらりと舞い降りる。

孟徳も馬を止め、馬の背を降りてゆっくりと男に歩み寄ると、眉宇の辺りにやや険しさを漂わせながら男に対峙たいじする。


「…董卓の刺客とは、お前だったのか…!」


低くうなるように呟く彼の視線の先にあるのは、黙したまま彼を見詰め、佇む奉先の姿であった。


「孟徳殿、弘農王を追って来たのか…?」

やがて奉先が徐ろに口を開く。


「ああ、そうだ。弘農王は何処にいる…?」

「彼はもういない…俺が始末した。」

そう言って、奉先は腰にげていた袋の中から弘農王の印綬いんじゅを取り出し、それをかかげて見せた。


「お前が…殺したと言うのか?俺の目をあざむこうとしても無駄だぞ…!弘農王を何処へ隠した?!」

孟徳は語気を荒らげ、腰から素早く剣を抜き放つと奉先に切っ先を向ける。


「俺の邪魔をするなら、例えお前であっても斬り捨てる!!」


孟徳のその姿に、奉先は目元を陰らせた。


「…どうしても弘農王が必要か?孟徳殿…“皇帝”とは一体何だ…?支配者の傀儡かいらいとなる為のただの道具に過ぎぬではないか…」


「奉先…お前………」

孟徳は呟き、彼の悲しげな瞳を見詰め返す。


奉先は自らの出生の秘密を何も知らぬ筈であるが、“皇帝”の子として生まれた弘農王に対して、強い同情心を抱いているようである。

彼の言葉には、悲しさが込められている。

それは孟徳の胸に重く響いた。


だが、此処で引き下がる訳には行かない…

孟徳は一度強くまぶたを閉じ、深く息を吸い込んだ後、かっと瞼を開いて鋭い眼光を奉先に向けた。


「お前が何と言おうと、俺は弘農王を連れ戻す…!そこを退け!退かぬなら、お前を此処でたおすのみ!!」


そう言い放つが早いか、孟徳は剣刃をひらめかせて奉先に斬り掛かった。


奉先は素早く体をひるがえし、弘農王の印綬を咄嗟に懐へ入れてその剣刃を避ける。

間髪入れず襲い掛かる次の一撃を、今度は後方へ飛び退すさりながらかわした。


孟徳の剣先は更に、奉先の首を狙う。

奉先は腰の剣を鞘ごと抜き取って、孟徳の剣を弾き返した。

「剣を抜け…!!」

激しい剣幕けんまくで孟徳が怒鳴った。


「孟徳殿、俺は貴方あなたとは戦わぬ…!」

「………っ!!」

孟徳は強く歯噛みをしながら奉先を睨み付ける。


「俺は本気だぞ…!」

そう叫ぶと、地を蹴り疾風の如く奉先に迫った。


今度は鋭い突きを彼の胸元へ放つ。

閃く剣刃を右へ左へと躱し、握った剣の鞘で孟徳の剣を受け止めると、その衝撃が激しく腕に伝わった。


彼の腕には、剣を握る力がまだ完全には戻っていない。

「くっ……っ!」

奉先は思わず顔をしかめめ、小さく唸った。

手負いの身体では、孟徳の素早い攻撃を躱し切れないと判断し、む無く鞘から剣を抜き放ち応戦した。


孟徳は攻める手を緩めず、次々と攻撃を繰り出す。

奉先は全身の痺れをこらえ、孟徳の速さに追い付こうと懸命に剣で攻撃を躱す。

だが次の瞬間、孟徳の斬撃ざんげきは奉先の腕から剣を叩き落とし、彼の腕を斬り付けた。

傷口から飛び散った血が、草原に揺れる草花くさばなを赤く染め、地面に小さな波紋を広げる。


奉先は一瞬ひるみ、身体を回転させながら迫り来る剣刃を躱したが、孟徳の薙ぎ払った白い閃光せんこうが彼の胸元を真一文に切り裂き、着物の切れ目から僅かに血がにじみ出す。

胸元を強く押さえ、奉先は肩で苦しそうにあえいだ。


血濡れた剣を振りかざし、孟徳が一気に距離を詰める。

その瞬間、あるじが劣勢である事を察した飛焔が、大きくいななきながら二人の間に割って入った。


「!!」

激しく威嚇いかくする飛焔に、孟徳は思わず躊躇ためらい身を引いた。


「飛焔…っ」

咄嗟に飛焔に走り寄り、奉先は彼のたてがみを撫でながら首筋に額を押し当て、興奮する飛焔を宥める。


「奉先…お前、やはり怪我を負っていたのか…」


彼の動きが鈍い事には、最初から気付いていた。

傷を手当てした跡が、切れた着物の下から覗いているのを見て、孟徳は低く呟いた。


顔を上げた奉先は、はっとして孟徳の瞳を見詰め返す。


孟徳には、始めから彼をたおす気など無かったのだと気付いた。

彼は何時いつでも、奉先にとどめを刺す事が出来た筈である。

急所を外しながら手加減を加え、それでもえて攻撃を仕掛けて来たのは、彼なりの複雑な思いが有ったからに違い無い。


奉先はうれいを帯びた眼差しを孟徳に向け、


「孟徳殿…弘農王の事からは、手を引いて貰えないか…?」

そう言って彼の前に歩み寄った。


「それでは、お前は…董卓が立てた皇帝を、俺に認めろと言うのか…!?」

やや語気を荒らげ、孟徳は問い詰める。


「…出来ないか…?」

「……!」


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