第132話 鍛冶職人の夫婦


来儀と玉蓮は夫婦であり、まだ若い玉蓮に対し来儀は十は年上の様である。

気立てが良く朗らかで美しい妻、玉蓮と、如何いかにも職人肌といった風情で、無口で仏頂面の来儀は実に不釣り合いに見えるが、それでいて相性が良いらしい。


わたしは以前、“人買い”にさらわれ、豪族の屋敷で奉公させられていたの。そこのあるじが剣を収集する趣味を持っていて、来儀は良く屋敷を出入りしていたのよ。」


奉先の傷口を手当てしながら、来儀との馴れ初めを楽しそうに話す玉蓮の声に紛れ、簾の外から来儀が剣を鍛えているらしい音が鳴り響いて来る。


貴方あなたが眠っている間に、勝手に剣を見せて貰ったわ、ごめんなさい…でも、これは素晴らしい剣だわ…!きっと良い職人が造った物なのね。」

玉蓮はそう言って微笑みながら、真新しい鞘に収められた奉先の剣を、両手で持って差し出す。

奉先は黙ってそれを受け取ったが、今まで誰がその剣を造ったのかなどと考えた事は無かった。


思えば、この剣もきっと誰かの手によって造り出され、人伝ひとづてめぐり巡って、彼の元へ辿り着いたのである。

この剣が今彼の手の中に有るのも、それは天命であったと言えるであろう。


ふと、そんな事を考えながら七色に輝く宝剣を見詰めていると、今度は窓の外から、飛焔のいななきと少年の笑い声が聞こえて来た。


少年は飛焔にえさを与えようと、腕に抱えた大きなおけから、飛焔の足元へ置いた桶に飼葉かいばを移そうとしていたが、飛焔は少年が抱えた桶の方へ頭を突っ込もうとする。

「飛焔、駄目だってば!これは他の馬にやる分だから…!」

そう言って逃げる少年を、飛焔が追い掛けている。


窓の外に広がる景色を、奉先は目を細めて眺めた。

この様な微笑ほほえましい光景を目にするのは、久し振りの事である。

心に安らぎと平穏を感じたのは、一体何時いつ以来の事であろうか。

戦を忘れ、こんな日々がずっと続いてくれれば…と、ふとそう願った。


「…私には、幼い妹がいるの…」

不意に、隣で同じ様に外を眺めていた玉蓮が呟いた。


「今、何処でどうしているのか…きっと、あの子と同じ年頃になっている筈だわ…元気でいてくれたら良いのだけど…」

玉蓮の瞳の端に、涙のしずくが光っているのが見える。


「………」

奉先は黙って玉蓮の横顔を見詰めた。


「…彼は、董卓とうたく天聖師道てんせいしどうの者たちから命を狙われている。かくまえば、貴女あなたたちまで危険な目に合うだろう…」


彼のその言葉に、玉蓮はさして驚きは見せず、小さく溜め息を吐く様に笑う。


「私も来儀も…貴方たちを救うと決めた時から、危険は覚悟していたわ。でも、心配しなくても大丈夫よ。私たちは、もうすぐこのむらを出て、西方さいほうへ行く積もりだったから。」

「…西方へ…?」

「ええ、西方の国へ渡って、異国の鍛工たんこう技術を学ぶの。」

「そうか…」

小さく呟き、奉先は少し考える素振そぶりをした後、おもむろに玉蓮を見上げて言った。


「…世話になったついでと言っては何だが、頼みたい事が有る…聞いて貰えるか?」

「?」

奉先の問い掛けに、玉蓮は不思議そうな顔で首を傾げたが、直ぐに微笑み返すと小さくうなづいた。



奉先と少年の前に胡座あぐらをかいた来儀は、暫し黙考していた。彼の隣には、妻の玉蓮が静かに正座し、渋い表情の夫を見詰めている。

やがて難しい顔を上げ、来儀が口を開いた。


「わしらは、一向に構わぬ。後は、少年…お前次第だ。」

来儀に視線を向けられ、少年は少し狼狽うろたえた。


「僕は…」

小さく呟き、ずと隣に座す奉先を見上げる。

「…おじさんは、一緒に行かないの?」


少年に問われ、奉先は彼に視線を送ったが、余り感情を表さず答えた。

「俺には任務が有るからな…急ぎ、京師けいしへ戻らねば成らぬ。」


それを聞いた少年は小さく「そう…」とだけ呟き、再び俯いた。


「坊や、心配いらないわ。私たちが付いてるから。」

玉蓮が優しく微笑み、少年を見詰める。

やがて顔を上げた少年は、決意を固めた様に強い眼差しを目の前の二人に向けた。


「うん…分かった。僕、来儀さんと玉蓮さんに付いて行くよ…!」


そう答えると、今度は奉先を振り返り彼に笑顔を送った。



傷はまだ完全にえておらず、腕にしびれが残ったままではあるが、奉先は直ぐに身支度を整え、馬小屋に繋がれた飛焔を引き出しに行った。


「そんな身体で、もう出発するの?」

少年と一緒に、その様子を見ていた玉蓮が心配な面持ちで問い掛ける。


「ああ、愚図々々ぐずぐずしていては、新たな刺客せっかくに此処を嗅ぎ付けられてしまうとも限らぬ。」

奉先は答え、腰の剣帯けんたい(ベルト)を締め直しながら二人を振り返った。


「それでは、世話になった。玉蓮殿、来儀殿にも宜しく伝えてくれ。」

それから、悲しげな眼差しで彼を見上げている少年に、ゆっくりと視線を落とす。


「弘農王…あなたはもう、弘農王では無い。これからは、玉蓮殿の弟として新たな人生を歩むのだ。」

そう言って、彼のうるんだ瞳を見詰めた。


「玉蓮殿の名を貰い、“蓮”と名乗ってはどうだ?」

「蓮…」

少年は呟く様に自分の名を口にする。

それから顔を明るく輝かせ、


「うん!ありがとう、おじさん。これ…何かの役に立つかも知れないから、持って行って。」

そう言うと、自分の腰に下げていた袋から弘農王の印綬いんじゅを取り出し、彼に手渡した。


「ああ、貰っておく。きっと役に立つだろう。」

奉先は彼に笑顔を向けて答えると、素早く飛焔の背にまたがった。


彼らの頭上に広がっている空は、何処までも青く澄み渡っている。

広がる蒼穹そうきゅうを見上げ、奉先が出発の合図を送ると、飛焔は大きくいなないて走り出した。


邑里ゆうりの門を潜り、細い小道を真っ直ぐに駆けて行く彼らの姿を、玉蓮と少年の二人は何処までも見守り続けた。

やがて、その姿が視界から消え果ててしまいそうになった頃、涙をこらえて見詰めていた少年は突然走り出し、邑里の門まで行くと声を限りに叫んだ。


「おじさぁーん!飛焔ー!僕、二人の事…絶対忘れないよー!」


少年の瞳からあふれる涙が、せきを切ったように頬を流れ落ちる。

その声は、果たして彼らの耳に届いたのか、蒼穹の彼方に二人の姿は既に見えなくなっていた。



むらを発ってから二日、目指す雒陽らくようまであと三日低度の距離まで来ていた。

そろそろ、董卓も痺れを切らしている頃であろう。

そんな事を考えつつ、飛焔と山を越える山道を進んでいると、ふと谷の向こう側を行く、何処かの軍勢の姿が目に入った。


敵か…?

奉先は目を凝らし、その軍が掲げている軍旗の文字を読み取ろうとしたが、距離が離れ過ぎていて読み取る事が出来ない。


そのままやり過ごしても良かったが、何故か無性に胸騒ぎを覚え、奉先は飛焔の脚を止めると元来た道を引き返し始めた。


やがて丘の上から、その軍勢がはっきりと見て取れる距離にまで近付いた。

掲げている軍旗の文字を読み取った時、奉先は思わず瞠目どうもくした。


あ、あれは…!?


その旗に書かれているのは『曹』の文字であった。

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