第118話 丁建陽の最期



「ぐっ…!がは…!」


突然、建陽は大量の血を吐き出した。


血走る瞳を動かし、建陽が自分の胸を見ると、焼けたどす黒い剣刃が鮮血をまとって突き出している。

死んだと思われた貫が、背後から建陽を襲い、背中から彼の体を貫いていたのである。


「はーっはっはっはっ…!これで策は成った!馬鹿め、共に地獄へ堕ちろ…!」

貫は、焼けただれたおぞましい顔を歪め、勝ち誇った様に声を上げて笑う。


咄嗟に走り寄った奉先が腰の剣を抜き放ち、貫の体を一刀両断に斬り伏せた。

真っ二つに切り裂かれた貫の体は、血飛沫ちしぶきを上げながら、再び燃え盛る炎の中へと消えて行く。


「父上!!」

その場へ崩れ落ちた建陽へ駆け寄り、奉先は彼の体を抱きかかえて絶叫した。

建陽は血の気の無い顔のまま、まぶたを重そうに持ち上げ奉先の顔を見上げる。


奉先の瞳は真っ赤に染まり、瞼に大粒の涙を溜めていた。

血にまみれた震える手を、手探りで彼の頬へと伸ばし、建陽は何かを呟く様に唇を動かす。

その手を強く握り締めた時、奉先の目から涙が溢れ出し、せきを切った様に流れ落ちた。


「わしが…愚かであった…」

消え入りそうなかすれた声で、息も絶え絶えとなりながらも建陽は呟いた。


「お前に、辛い運命さだめを背負わせてしまったな…赦してくれ…」


声を震わせながら吐き出したその言葉を最後に、建陽は大粒の涙を流して静かに瞼を閉じた。

やがて握った建陽の手から、握り返す力が失われる。



「父上…!父上ーーーっ!!」



止めどなく流れる涙を拭う事すらせず、絶命した建陽の体を強く抱き締めながら、ただただそう叫んで奉先は泣き続けた。


空に立ち込めていた暗雲から、やがて大粒の雨が落ち始め、乾いた地面を濡らした。

次第に強くなる雨が、燃え盛っていた炎を鎮火する。

雨は激しく降り注ぎ、気付けば陣営からすっかり火の手を消し去っていた。


何時いつしか建陽の幕舎の炎も消え、燃え落ちた天幕の間から雨が降り注いでいる。

冷たくなった建陽の体を床の上に横たえ、奉先は深く項垂うなだれたまま、その前にひざまづいていた。


頬を伝う涙は雨と共に流れ落ち、既に枯れ果ててしまった様に思えた。

赤くらした目で虚ろに建陽を見下ろしていたが、やがて床に落ちた剣に腕を伸ばし、血塗ちまみれの手に掴み取った。


火事が収まった事で、指揮官たちは兵士たちに指示を出し、燃え落ちた兵舎の片付けを始めていた。

「おい、丁将軍はどうした?どちらにおられるのか…!」

この混乱の間、建陽の姿を見た者は誰も居ない。

雅敬がけいは不吉な予感を胸に抱きつつ、周りの兵士たちを捕まえては問い掛けていた。


その時、背後から兵士たちのざわめきが上がり、雅敬は振り返って彼らの視線の先を追った。

兵士たちを掻き分けながら前へ出ると、焼け落ちた建陽の幕舎の入り口に立つ奉先の姿が目に映る。


彼は血塗れた剣を握り締め、そこへ立ち尽くしていた。


「奉先、貴様…!まさか…!」

雅敬は青褪め、彼の右手に握られた包みに目を留めた。

それは破かれた建陽の外套がいとうであり、包みの底からは、まだ凝固すらしていない鮮血がしたたり落ちている。


「………」

奉先は答えず無言のまま、取り囲んだ兵士たちを睨み付けている。


「お、おのれ…!この裏切り者、よくも丁将軍を…!」

雅敬は強く歯噛みをすると剣を抜き放ち、立ち尽くす奉先に斬り掛かった。


しかし、その攻撃は奉先の片腕に握られた剣に防がれ、雅敬の剣は弾き返された。思わずよろけた彼の腹部に、奉先の蹴りが入る。

「うぐっ…!」

雅敬は幕舎の床から転げ落ち、土砂の中へ倒れた。

体を起こして立ち上がろうとする雅敬を更に足蹴あしげにし、奉先は彼の体を踏み付けて土砂の中へ押し付ける。

そして鋭く赤い目を上げ、唖然あぜんとしながら取り囲む兵士たちを睨み付けると、


「俺の邪魔をする者は、誰であろうと斬り捨てる…!!」


そう凄みのある声を放ち、悪鬼あっきの如き表情で血濡れた剣の切っ先を彼らに向けた。

兵士たちは皆おののき、歩き去る彼を誰一人止める事が出来なかった。



冷たい雨の中、項垂うなだれて馬を進めていた玲華は、ふと濡れた顔を上げて後ろを振り返った。


「玲華殿、どうなされた?大丈夫か?」

前を進んでいた文遠は馬を止め、心配そうな表情で玲華に問い掛ける。


遠い空を見上げる玲華は、落ちて来る冷たい雨粒を暫し無言で見詰めていたが、やがて赤い瞳に涙を浮かべ小さく呟いた。


「奉先…あたしは、何があっても…あなたの事を信じてる…!」


遥か遠くに連なる山々と、暗雲の立ち込める黒い空との間を激しい稲妻が走るのが見えた。

辺りは既に漆黒の闇となり、時折激しく光る雷光だけが辺りの闇を照らしている。


降りしきる雨は次第に強くなる暴風にあおられ、何時しか横殴りの豪雨へと変わり、雒陽らくようの城門を激しく打ち付けていた。

再び雷光がひらめいた時、城門の真下に立つ黒い人影を照らし出す。


轟く雷鳴の中、泥と血に塗れたその人物は、城門の上から訝しげに見下ろす門兵を鋭く睨み付けながら、大声たいせいを放った。


「俺は、丁建陽配下の呂奉先である!相国に土産みやげがあると伝えよ!!」


やがて豪雨の中に立ち尽くす彼の目前で、重い城門がゆっくりと開かれると、彼は無言のまま門を足早に潜った。



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