第116話 隠された真実


燭台の小さな炎が、隙間すきま風に時折大きくあおられ揺らめいている。


「今、何とおっしゃいました…!?」

薄暗い幕舎の中で、李元静りげんせいは驚きの余り声を上擦うわずらせた。


「聞こえなかったか?俺は、相国のもとへは行かぬと申したのだ。」


「ま、まさかご冗談を…相国はご自分の至高しこうの宝を差し出すと言われておられるのです!これ程の厚遇を断るなど、考えられません…!今一度ご再考を…!」

元静は額に汗を浮かべながら必死に訴えた。

だが、奉先は揺らめく炎を瞳に映しながら、鋭くその顔を睨み、


「"逆賊"は父上ではなく、董仲穎とうちゅうえいの事であろう!朝廷を支配し、皇帝までも意のままに操ろうと企んでいる。これが逆賊でなくして何であろうか…!」


そう言って彼を一喝いっかつする。

青褪あおざめ言葉を失った元静は、戸惑って視線を泳がせる。


「父上に出会う前…」

「……?!」

今度はまぶたを閉じて静かな声色で語り出した。


「俺は、呂龍昇りょりゅうしょう様の下で刺客せっかくとして働いていた。心を持つ事は許されず、血も涙も無く人を斬れと命じられた…そんな俺に、父上は人道を説き、人として生きる道を開いてくれた…」


にわかに眼差しを上げた奉先は、鋭い眼光を元静に向け言い放った。


「父上は俺に人生を与えてくれた。これにまさる宝があるだろうか?!」


その言葉に、元静は遂に言い返す事が出来ず、黙って奉先を見詰めていた文遠は、目元にわずかな微笑を浮かべた。



「あいつが、丁将軍を裏切るなど…考えられない!きっとこれは、何者かによる陰謀である…!」

文遠は目の前に立つ玲華を、真っ直ぐに見詰め訴える。


「あいつを、信じてやってくれないか…!?」


「!!」


玲華は目を見開き、瞳に動揺の色を浮かべた。


「あたし…奉先を追わなきゃ…!」

突然、思い出したかの様に顔を上げた玲華は、馬房ばぼうから馬を引き出し、文遠と共に奉先の去って行った方向へ馬を走らせた。


空を覆う黒い雲は次第に厚みを増し、強い風に吹かれて渦を巻いている。

今にも泣き出しそうな空を見上げると、遠くの空にいかずち雷光らいこうが走っているのが見えた。

やがて丘を超えた辺りで、二人は前方を行く奉先の後ろ姿をとらえた。


「奉先、待て!!」

文遠は声の限りに叫び、彼を呼び止めた。

その声が届いたのかいないのか、彼は馬の歩みを止める事無く歩き続けている。

二人は馬を飛ばして追い付くと、前方へ回り込んで馬を降り、彼の馬の前を塞いだ。


「奉先…!俺から玲華殿に説明した。丁将軍の元へ戻ろう。玲華殿が将軍を説得して下さる…!」

文遠は奉先の馬を止め、彼を見上げながらそう言ったが、馬上の奉先は項垂れたままで無反応だった。


「おい、聞いているのか!?」

文遠は彼の腕を取り、強く引っ張る。


「文遠…!やめて、彼は戻らない…」


玲華のその声に、文遠は驚いて振り返った。

「え?!どういう事だ、玲華殿…?!」


「奉先は、叔父様の所へは帰らないわ。あたしたちも、彼と一緒に行くのよ…!」


玲華は二人を見詰めながら、はっきりと強い口調でそう答えた。


狼狽うろたえた文遠には、玲華の言っている言葉の意味がよく飲み込めないでいる。

やがて、俯いていた奉先は顔を上げ、目の前に立ち尽くす玲華に赤い瞳を向けた。


「始めから、おかしいと思っていた…」

そうつぶやくと馬を降り、ゆっくりと玲華に歩み寄った。


雅敬がけいは、あの書簡を俺の舎で発見したと言っていたが…そんな書簡など意味が無い事を、父上は知っておられた筈…」

「それは、どういう意味なの…?」

玲華は怪訝な眼差しを向け、奉先に問い掛ける。


「俺は、字が読めぬ…!父上はその事をご存知であった…」


「!?」


玲華は瞠目どうもくして彼を見上げたが、近付いた奉先はいきなり彼女の肩を掴み、強く迫った。


「玲華殿、あなたは父上に…俺を追えと、言われていたのではないのか?」


「あ、あたしは…何も…!」


玲華が声を震わせて答えたその時、文遠が叫んだ。

「おい!あれを見ろ…!!」


見ると、丘の上から遠く霞んで見える建陽の陣営に、黒煙が天高く立ち上っているのが確認出来た。


「あ、あれは…!」

「俺たちの陣営で、何かあったらしい…!」

文遠が奉先に走り寄り、彼の肩を叩くと、二人は急いで馬へ戻ろうとした。


「待って!奉先、行っては駄目よ!」

玲華が叫んで奉先に駆け寄ると、両腕を広げて彼の行く手を遮った。


「玲華殿!あなたは、何を隠している…!?」

「………!!」

鋭い眼光で睨む奉先の前に立ち塞がった玲華は、臆する事無く彼に強い眼差しを向けた。




強風にあおられ、炎は次々に幕舎へと燃え移って行く。

はためく軍旗を焦がしながら、黒煙は濛々もうもうとして空へ立ち上っていた。


「火事だーーー!水を運べーー!!」

建陽の陣営では、激しい火の手を抑えようと、兵士たちが右往左往していた。


幕舎へ飛び込んだ兵士は額に汗を浮かべ、慌てながら建陽に報告する。

「て、丁将軍…!何者かが、兵舎に火を放った模様です…!」


「全部隊に、慌てず迅速に消火に当たれと伝えよ!引き続き警戒を怠るな…!」

建陽は落ち着き払って兵士にそう告げると、立ち上がって腰の剣把けんぱを強く掴んだ。


「…やはり、動き出したか!」



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