第102話 震天動地


一筋の稲妻が暗闇を切り裂き、雒陽らくようの王宮の屋根に直撃した。

屋根の一部は破壊され、打ち付ける暴風雨が城内の木々を激しく揺らしている。


再び辺りをまばゆ閃光せんこうが照らし出した時、大きな屋敷の門前に一人の男の影が浮かび上がった。


広い屋敷の廊下を、家臣たちが慌てた様子で走っている。

広間へ辿り着くと、宴会の客たちと共に、奥で機嫌良く酒を飲みながら、左右に美女を侍らせたあるじの前へ進み出て拱手する。


「たった今、相国しょうこくに御目通り願いたいと申す者が…!」

それを聞くと、杯を口に運んでいた董仲穎ちゅうえいは口の端を上げて、にやりと笑った。


「ふっ…!ようやく、現れたか…」

杯の酒を一気に飲み下すと、門前の男を室内へ呼び寄せるよう、家臣たちに命令を下した。


やがて、広間へと姿を見せた男の衣服は雨と血に濡れ、泥だらけのままである。

その異様な姿に、集まっていた宴席の客たちは皆怪訝けげんな眼差しで男を見上げたが、彼の手に握られた、まだ血のしたたる布の包みを見て、場の空気は一瞬にして凍り付き、全員が青褪あおざめた。



「丁建陽の首、献上に参りました…!」



室内に稲妻の閃光が走り、雷鳴がとどろき渡る中、男はそう言って床に膝を突き、床の上に血塗ちまみれの布の包みを無造作に投げ出すと、血走った赤い目を上げて仲穎に拱手した。


「よくぞ参った…!約束通り、褒美は幾らでもくれてやるぞ。呂奉先ほうせん!」


満面の笑みを浮かべながらその場に立ち上がった仲穎は、宴席の皆に酒を振る舞うと、上機嫌で杯を高く掲げ、狼狽うろたえる客たちに祝杯を挙げさせた。





屋敷の外は、相変わらず嵐が吹き荒れている。

隙間風が室内に入り込み、燭台のあかりを激しくる。

孟徳もうとくは居室で、護衛の楽文謙ぶんけんを前に、神妙な面持ちで書簡に目を通していた。


「こ、これは…!」


孟徳は不意に、眉間に深く皺を寄せて呟いた。


「孟徳殿、悪い知らせですか!?」

文謙は思わず身を乗り出して問い掛ける。

書簡から目を上げた孟徳は、暫し文謙の顔を険しい表情で見詰めていたが、やがてふっと愁眉しゅうびを開き、


虎淵こえんが、姉上の香蘭こうらんと結婚する事になったそうだ…!」


と、文謙ににっこりと微笑んで答えた。


「!?」


文謙は呆気に取られ、口を大きく開いたまま固まっている。

その顔を見て、思わず孟徳は吹き出した。


「あはははっ!何て顔をするんだ…!虎淵に先を越されてしまったな、文謙!」


孟徳はそう言いながら、腹を抱えて床の上で笑い転げる。

我に返った文謙は、思わずむっとして、


「お、俺は別に…!孟徳殿の方こそ、まだ嫁をめとっておらぬでは無いか…!」

と、息巻く様に言い返した。


「お前に心配されなくても、俺は大丈夫だ…!」 

起き上がった孟徳は、少し不機嫌な態度で答える。

少し言い過ぎたかと反省しながらも、内心半信半疑の文謙は小さく首を傾げた。

「…本当かなぁ…」

それを横目に見ながら小さく咳払いをすると、孟徳は再び書簡に目を向けた。


「そんな事は、どうだって良いだろう…!それよりめでたい話だ、虎淵を祝ってやろうではないか!」


そう言って目元に微笑を浮かべ、書簡を眺めながら小さく感嘆かんたんの溜め息を漏らす。


奉先がこの事を知ったら、きっと喜ぶであろうな…


孟徳は目を細め、室内でかすかに揺れ動く燭台のあかりを見詰めた。



この冬、雒陽では近年まれにみる大雪たいせつとなり、冬の間、殆ど戦闘も行われず、平穏な日々が続いていた。

やがて雪解けとなり、春の足音が近づいていた頃である。

ここ数日、春の嵐で天候は不安定で、昨晩から降り続いていた雨はやがて豪雨となり、激しい雷雨へと変わった。


雨足は途絶える事無く、その日も一日中降り続いていた。 

そんな雨の中、文謙の御すしゃに乗り込み、孟徳は董仲穎からの召集に応じて朝廷へと向かった。


朝廷内に集まった文武百官たちの間には、何やら物々しい空気が漂っていた。


何かあったらしい…

不穏な様子に辺りを見回していると、彼の姿を見掛けた、侍中じちゅう蔡伯喈さいはくかいが小走りに近付き、彼に耳打ちした。


「曹孟徳殿…!大変な事になりましたぞ、実は…!」


伯喈が話し始めようとした時、朝廷内が一瞬にして静まり返る。

見ると、董仲穎が皇帝を引き連れて朝廷内へ入って来る所であった。


仲穎は皇帝をうやうやしく玉座へといざない、自らは皇帝の脇に置かれた床几しょうぎ(椅子)に座した。

その日の仲穎の様子は、いつにも増して上機嫌である。

側近の者を呼び寄せ何やら耳打ちをすると、やがて布を掛けた盆を捧げ持った側近を引き連れ、長身の男が姿を現す。

男は確か、李文優りぶんゆうと言う、仲穎の参謀となった人物である事を孟徳は思い出した。


「皆の者、今日は実に良い知らせが出来るぞ…!」

仲穎は床几から腰を上げ、集まった文武百官を見渡しながら大声たいせいで告げた。


「昨晩、ある人物がわしの元を訪れた。その者は、王朝の逆臣ぎゃくしんを見事に討ち果たし、その首を献上に参ったのだ…!」

そう言いながら、ゆっくりとした足取りで前へ進み出ると、盆に掛けられた布を素早く取り払う。


次の瞬間には、朝廷内の全員が一斉に息を呑んだ。


盆に乗せられていたのは、丁建陽の首である。


「逆臣、丁建陽は討伐された!わしに刃向かう者は、ことごとくこの通りとなる…!」

仲穎はさらされた建陽の首を指し示し、不敵に笑みを浮かべながら朝廷内の全員を一喝した。


あの武勇に名高い丁建陽がたおされるとは、誰一人予想だにしていなかった。

文武百官らは皆こうべを垂れ、仲穎を恐れて声を上げる者も居ない。


孟徳もまた、信じられないといった表情で青褪あおざめ、ただ愕然がくぜんとして床にひざまづき、建陽の首を見上げている。


まさか、奉先が…!


そんな彼の姿を認めた仲穎は、にやりとほくそ笑み、意味深な視線を彼に送った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます