第100話 督郵の男


「兄者、何処へ行くんだ?!」


書斎での騒ぎを聞き付け、裏庭の方から走って来る翼徳と出くわした。


「今から、督郵とくゆうに会いに行って来る。お前たちは、此処で待っていてくれ…!」

そう言って役所の門を足早に潜った時、今度は雲長が走り寄って来た。


「兄者、俺たちも一緒に行くぞ。何があろうと、俺たちは何時いつも一緒だと、誓い合った仲であろう!」


雲長が強い口調で言いながら自分の胸を拳で叩き、二人は急いで玄徳の後を追い掛ける。

振り返った玄徳は二人を見詰め、黙ったまま小さく頷くと、三人は肩を並べ次第に強くなる雨の中、傘も持たずに足早に歩いた。


督郵が宿泊している富豪の屋敷へと辿り着いた頃には、雨足は一層強くなり、三人はすっかりずぶ濡れの状態であったが、それには構わず、玄徳は握った拳で激しく屋敷の門を叩いた。


やがて応対に現れた屋敷の使用人は、彼らの姿を見て驚き、慌てて門を閉じようとした。


「待て…!督郵が此処へ泊まっているだろう?彼に会いに来た!」 

咄嗟とっさに玄徳は、閉まり掛けた門を手で押さえ、使用人に呼び掛けた。


「と、督郵殿は、県尉殿にはお会いになりません…!お帰り下さい!」

「何故だ?!」

おろおろとしながら門を押し戻そうとする使用人に、玄徳は食い下がる。


「それには、お答え出来ません!お帰りを…!」

「…そうか、分かった…」

玄徳は顔を伏せ、小さくそう呟くと、


「後で、修理代を請求してくれ…!」


言うが早いか、屋敷の門を思い切り蹴破った。

使用人はその勢いで後方へ吹き飛ばされ、地面に倒れて気を失う。


三人は素早く屋敷の中へ入り、彼らの行く手を遮ろうと向かって来る他の使用人たちを、素手で次々に打ち倒して行った。

やがて、奥から剣をたずさえた用心棒たちが現れ、容赦無く三人に斬り掛かって来る。


先頭を走る玄徳は素早く腰の剣を抜き放つと、襲い来る剣刃を弾き飛ばし、相手を素早く体落としで投げ飛ばす。

雲長、翼徳の二人も剣を手に、用心棒たちの攻撃をね退けながら、空拳くうけんで彼らを叩き伏せた。


巨漢の翼徳の腕から繰り出される打撃は、用心棒たちの剣を破壊する程の威力であり、突き出された数本の槍を素早くかわした雲長は、彼らの槍の柄を掴み取り、全て真っ二つにへし折ってしまった。

流石にその光景には、用心棒たちも震え上がる。


遂に、三人は督郵の泊まる部屋の前までやって来た。

玄徳は入り口の扉の前に立ち、暫し扉を睨み付けていたが、やがて顔を上げ勢い良く開いた。


部屋の中では、男をもてなす為に集められた美女たちが悲鳴を上げ、次々と開かれた扉から逃げ出して行く。


そんな中、部屋の奥には片膝を立てゆうゆう々と酒を飲んでいる男の姿がある。

男は勢い良く酒器を卓の上に置き、酔眼を上げて玄徳を睨んだ。


「玄徳…!久しぶりではないか、元気そうだな…!」


男は大声たいせいでそう呼び掛けると、口を歪めて不気味に笑う。


「やはり、あんたか…!」

玄徳は剣を鞘に収め、ゆっくりと男に近付いた。


「ははは、わしを覚えていてくれたとは、嬉しいではないか!」 

男は笑い声を立てているが、冷酷さを持ったその目は笑っていない。


「まあ座れ、久々の再会だ。暫く見ぬ内に、すっかり大きくなった…」

そう言いながら男は、自ら酒を杯に注ぎ入れ、玄徳の前に差し出す。

玄徳は黙ってそれを見下ろしていたが、やがてゆっくりと腰を下ろし、卓を挟んで男と向かい合った。

その両隣に、翼徳と雲長も座る。


「お前の母は、まだ健在か…?」

男は薄笑いを浮かべたまま、そう問い掛けた。


「兄者、この人は…」

雲長が呟き、玄徳を見上げると、


「俺の、母を捨てた男だ…!」


真っ直ぐに男を見据え、そう答えた。


その時、遠くから雷鳴のとどろきが聞こえ、静まり返る室内にかすかに低く鳴り響いた。

玄徳と男は、無言のまま暫く睨み合っていたが、やがて不敵に笑いながら男が口を開く。


「人聞きの悪い事を言うな、村長むらおさから何を聞いたか知らぬが、わしがあの村を出たのは、お前の母の所為せいだ…!」

「どういう意味だ…?!」

再び酒を煽り始める男の姿を、玄徳は怒りの表情で睨み付ける。


「お前が村を去り、帰って来なくなってから…あの女は、わしがお前を殺したのだと疑う様になった。幾ら説明しても信じて貰えず、やがて常軌じょうきを逸した女は、わしを殺そうとまでしたのだ…!」


「母上が、まさか…!」


玄徳は驚きの声を上げ、瞠目した。


「あの女は…結局わしなんかよりずっと、お前の事を愛していたのだろう…母親とは、そんなものだ…」

男は小さく溜め息を吐きながら、酒の入った杯を口へと運ぶ。

両膝の上で拳を強く握り締め、玄徳は目を伏せて俯いた。


母を狂わせたのは自分だったのだ…

激しい後悔の念が沸き上がる。


しかし、どの道自分が傍に居ては、母を不幸にするだけだと分かっていた。

あの頃の自分には、どうする事も出来ず、選択する道は他に無かった…

母が自分を産んだその時から、運命は定められていたのだ。


「母上…」


幼い頃、膝の上で甘える玄徳を優しい瞳で見下ろし、「備や…」と囁きながら、温かい手で頭を撫でてくれた母の姿が思い出される。

玄徳の拳の上に、涙の雫がはらはらと舞い落ちた。

肩を震わせて泣いている玄徳を横目に見ながら、男は鼻でふんっと笑う。


「村を出た後、知り合った女が、たまたま豪族の娘でな…その娘壻になり、わしは今の地位を手に入れたと言う訳よ…!」

男の語る内容は、殆ど玄徳の耳には入って来なかった。


「まあ、いずれにせよ、わしはあの村を去る気であった。わしの様な色男が、あんな年増女としまおんななど、本気で愛すると思うか?!」

声色に嘲りを含めながら、男は愉快げに高笑いをする。

俯いていた玄徳はおもむろに顔を上げ、赤い目を向けて男を睨んだ。


「俺の事は、幾らでも罵れば良い…!だが、母を愚弄ぐろうする事だけは絶対にゆるさぬ…!」


「何だ、わしを脅す積もりか?!」

男は尚も、目元に嘲笑を浮かべている。


握った拳を怒りに震わせながら、男を睨み付けている玄徳の姿からは、言い知れぬ瘴気しょうきの様なものが漂っている。

それを感じ取ると、急に男の背筋に悪寒おかんが走った。


「全く…昔から、お前は気味の悪い餓鬼だった…!」

目元から笑いを消し、そう言い捨てると同時に、男は手にした杯の酒をいきなり三人に浴びせ掛け、杯を投げ捨てる。


「わしに危害を加えれば、貴様ら全員、罷免どころでは済まなくなるぞ!!」

「てめぇ!何しやがる…!!」


男が声を荒げて怒鳴ると、翼徳が顔を真っ赤にして怒鳴り返し、勢い良く立ち上がろうとした。

咄嗟とっさに、玄徳の腕が翼徳の肩を押さえる。

雲長も翼徳と同様に、憤然とした表情で俯いた玄徳を振り返った。


「兄者…!」


「お前たちは退がっていろ…手出しは無用だ…」


玄徳は静かに怒りをたたえた瞳を上げ、男を睨み付けた。

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