第96話 丁原暗殺計画


護衛の兵士たちに囲まれながら、建陽と部下たちは林の出口へ向かって進んでいた。

やがて、前方に月明かりで明るく照らされた林の出口が見えて来る。


その時、馬上で仲間の兵士に小さくあごで建陽を指し示したのは、護衛の先頭に立っていた男である。

彼の合図に頷いた仲間の兵士は、素早く腰の剣を抜き放ち、それと同時に他の護衛兵たちも剣を抜き放った。


次の瞬間、護衛たちは突如牙をき、建陽と部下たちに斬り掛かる。


だが、それより速く振り返った建陽は、何と馬上で後ろ向きになりながら矢を放ち、襲い来る護衛兵たちを次々に射落とした。


「な、何?!」

それを見て一瞬 ひるんだ男は、自分を目掛けて飛んで来た矢をすんでかわす。

態勢を立て直した時には、建陽の剣刃けんじんが目前に迫っていた。


「ひっ…!」

男が思わず声を上げると、建陽は男の喉元で剣をぴたりと止めた。


「奉先からのめいなどと、見え透いた嘘をつくものだ!それに、わしの姪は既に此処を去っておる。諜報ちょうほうが甘いぞ!」


建陽はそう言って男を怒鳴りつける。

「くそ…っ」

男は、額に汗を浮かべつつ歯噛みをした。


「董仲穎殿に伝えろ!わしは逃げも隠れもしない。正々堂々と勝負を挑めとな…!」


そして男の喉元から剣を離すと、部下たちを退がらせて道を開けさせる。

落馬し負傷した護衛たちは、足を引きるようにしながらその場を去って行く。

男は悔しげな表情で建陽を睨んでいたが、やがて仲間の後を追って馬を走らせた。


彼らの姿が夜の闇に消えて行くのを、建陽は黙って馬上で見詰め続けた。



「父上、怪我けがは有りませんか?!」

陣営に辿り着いた建陽からその話を聞かされ、奉先は瞠目どうもくした。


「ははは、大丈夫だ。わしがあんな間抜まぬけ共に、られると思うか?」

建陽は豪快に笑い、酒の入った杯を手に取る。

二人は建陽の幕舎の中で向かい合っていた。


「仲穎も姑息こそくな手を使う…どうやら、策略家が傍に居る様だ。」

気にいらぬといった風に、そう呟きながら酒を口に運ぶ建陽を、奉先は心配そうな顔付きで見詰める。


「これからは、何処へ行く時も俺が同行しましょう。」

「そこまでする必要は無い。心配するな!」

笑って答える建陽に微笑を返したが、奉先は一抹の不安を感じていた。


「それはそうと、奉先…!お前、玲華の事をどう思っている?」


「え…?!」

突然の問いに、思わず狼狽うろたえた。


故郷くにへ帰る玲華を、州堺しゅうきょうまで送り届けた時、潤んだ赤い瞳で振り返る彼女の姿を思い出す。


「玲華殿は、命の恩人です。俺には勿体もったいない方だ…」


視線を落とし、伏し目がちにそう答える奉先をじっと見詰め、玲華の想いが永遠に叶わぬものである事を、建陽は感じ取った。


玲華には可愛そうだが、仕方が無い…

そう思い、建陽は静かに目を伏せ呟く。


「まあ良い。天のみぞ知る、と言う事だな…」



奉先が幕舎を出ると、外で建陽の側近である、雅敬がけいと言う男と擦れ違った。

彼はいつも面白くない顔で奉先を見るが、今も同じ表情で、軽く挨拶をする奉先を一瞥いちべつする。

雅敬はそのまま、建陽の幕舎の幔幕まんまくを開いて、中へ入って行った。


「丁将軍。」

雅敬は建陽の前で拱手する。


「雅敬か、どうした?」

「あの者を、余り信用なさらぬ方が宜しいですぞ…」

雅敬は険しい表情でそう答えた。


雒陽らくよう城内で、彼が董卓の配下と会っているのを、見た者がいるのです!」

それを聞いた建陽は、一瞬にして表情を曇らせる。

「それは確かか…?」

「はい。信頼出来る部下からの報告ですから、まず間違いありません。」

雅敬は強く頷き、自信有りげに胸を張った。


「…そうか、分かった。」

建陽は短くそう答えると、幕舎を後にする雅敬を難しい表情のまま見送った。


情報が錯綜さくそうしている。何を信じ、疑うか、見極めるのは難しい…

ただ、己の信念を貫くのみだ…

建陽は静かにまぶたを閉じ、薄暗い幕舎で一人瞑黙めいもくした。



建陽の暗殺に失敗した董仲穎は、弟の叔穎しゅくえいに兵を率いさせ、建陽に戦いを挑ませた。

董卓軍は屈強な涼州りょうしゅう騎兵隊を有しているが、一方の丁原軍が有するのは、それに劣らぬ并州へいしゅう騎兵隊である。

雒陽城外の平原で激しくぶつかり合ったが、董卓軍は丁原軍を撃ち破る事が出来なかった。


しかも、丁建陽の養子である呂奉先の率いる部隊の勇猛さには全く歯が立たず、呂奉先は、一人で一部隊を潰滅かいめつさせる程であった。


そのまま仲穎と建陽は膠着こうちゃく状態となり、やがて冬が到来した。




小雪が舞い落ちる寒い日の午後である。

その日、董仲穎に招かれ、曹孟徳は彼の屋敷を訪れていた。

屋敷の広い庭に大きな円卓が置かれ、呼び寄せられた諸侯、豪族、役人たちが卓を囲んで座している。


その光景は何だか奇妙なものであり、孟徳には小さな胸騒ぎがしていた。


やがて皆の前に満面の笑顔で現れた仲穎は、何故か非常に上機嫌であった。

彼は卓を囲む客たちに豪華な食事を振る舞い、上等な酒も用意してもてなす。

始めは緊張と戸惑いで箸が進まなかった客人たちも、やがてくつろいで談笑などを始めた。


その様子を眺めていた仲穎は、おもむろに立ち上がり、彼らの円卓の周りを歩き出す。


「実は三日前、わしに孫娘が生まれてな、今日は祝いの席だ。皆存分に楽しんでくれ。」


「左様でしたか!そうとは知らず、何の貢ぎ物も持たず…」

諸侯の一人が立ち上がり、仲穎に恐縮した態度を見せると、

「何、構わぬ。」

仲穎は笑って、彼に座るよう手で示す。


そして、

「それに、わしが欲しいのは物などでは無い…」

と言って、目元から笑いを消した。


「忠誠心。わしが今欲しいのは、諸君の忠誠心である…!」


その言葉に、客人たちは互いの顔を見合わせ、小さくざわめきを上げる。

仲穎は微笑を取り戻し、再びゆっくりとした足取りで、客人たちの背後を歩き始めた。


「此処には、わしを"涼州人"と呼んでさげすんでいる者も居るだろう…涼州の者は野蛮で、政治能力が無いと。だがわしは、そんな事は気にしてはおらぬ。何故なら、諸君がわしに協力してくれれば、その様な事を心配する必要は無いからだ。わしは、人種の壁を越えて、この漢王朝を復興させたいと願っている…」


そう語る仲穎の言葉を、客人たちはただ黙って聞いていた。その場には、いつの間にか緊張感が漂っている。

そんな中、孟徳も彼らと同じ様にして仲穎の姿を目で追っていた。


やがて、仲穎は一人の客人の背後で立ち止まると、素早くいた剣を抜き放ち、いきなりその背中を斬り付けた。

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