第90話 参謀


袁本初えんほんしょらに殺害された宦官の数は、老若問わず実に二千人余りにも上った。

中には、ひげを生やしていなかった為、誤って殺された者も多数含まれていたと言う。

正に手当たり次第である。

王宮内は、文字通り血の海と化し、その後始末には数日を費やす有様ありさまであった。

 

その混乱の中、何太后と共に宦官擁護の側に立っていた異父兄あに何苗かびょうも、呉匡ごきょうらの指示に従った何進かしんの元配下たちによって殺され、これによって何氏の勢力はいちじるしく衰退する事となる。


城外で思い掛けず、皇帝と陳留ちんりゅう王を拾った董仲穎とうちゅうえいと共に、雒陽らくようへ入城して来た曹孟徳そうもうとくを、朝廷で待っていた本初は信じられないといった表情で見た。


仲穎は上機嫌で皇帝を連れ、何太后の待つ宮室へと向かうと、そこで自分が皇帝の庇護者ひごしゃである事を正式に認めさせ、早速朝廷内に集めた文武百官に対しても公言させた。


やがて、朝廷を後にする孟徳を追い掛け、本初は宮殿の外の長い通路で彼を捕まえた。


「董仲穎を雒陽へ入城させるとは、どういう積もりだ?!」

「天子を、あの男に奪われたのだ。仕方が無かった…」

「何だと!?お前が陛下と陳留王を取り戻すと言って、張譲たちを追い掛けて行ったのでは無かったのか!?俺が宦官共を排除している間に、董仲穎なんぞに天子を奪われるとは…お前は何をやっていたのだ!?」


本初は眉を吊り上げ、こめかみの辺りに青筋を立てて怒りをあらわにしている。

それから、小さく舌打ちをすると、


「全く…!」

と、呆れた口調で呟き、侮蔑ぶべつの眼差しで彼を見下ろした。


本初は、今まで態度にこそ現した事は無かったが、やはり心の片隅では宦官の孫である曹孟徳の事をさげすんでいたのであろう。

それを感じ取った孟徳は、途端にない気持ちになった。


元々、仲穎らを雒陽へ呼び寄せたのは、本初自身なのである。

それを棚に上げ、孟徳の失態をそしるとは納得が行かない。

完全に頭に血が上ってしまった本初には、冷静な判断が出来なくなっているらしい。

孟徳は思わず、去り際の本初に怒鳴り返した。


「俺は、始めから反対していたのに…董仲穎が来たのは、お前の所為せいであろう!」

「何だと…!?」


鋭く振り返った本初は、咄嗟とっさに孟徳の胸ぐらを掴み、血走った目で彼を睨み付けた。

唇を強く噛み締めながら、孟徳も本初を睨み返している。

二人は暫し睨み合ったが、彼の目元が赤くなっているのを見ると、本初はやや冷静さを取り戻した。


この様な時に、不毛ふもうな論争をしている場合では無い。

そう思い、孟徳の体を押し戻す様にして掴んでいた手を放す。


「すまぬ…俺が言い過ぎた…」

やがて本初は肩を落とし、再び孟徳に背を向けると、黙って通路を歩き去って行った。


雒陽ここを去った方が良いか…

これから、董仲穎による暴政が始まるであろう事は、火を見るより明らかである。

本初の後ろ姿を見送りながら、心の何処かに虚しさを感じた孟徳は強くそう思った。




董仲穎が雒陽へ引き連れて来た兵士の数は、ざっと三千弱といった所である。

そこで、仲穎は殺害された何進と何苗かびょうらの軍勢を引き入れ、軍事力の強化を図った。


その頃、丁建陽ていけんようの率いる軍も、既に雒陽へ入城していた。

雒陽へ入った建陽は、京師の巡察や警備をつかさどる、「執金吾しっきんご」という役職を与えられた。

執金吾は花形とも呼べる職であり、多くの兵を所有し、豪華な装備品をまとって雒陽内を練り歩く。


何とかして、あいつの兵士を奪い取る事が出来ないか…

その建陽の軍に対し、仲穎は欲望を剥き出しにした眼差しを向けていた。

だが仲穎は、建陽が武勇に優れ、聡明な将である事を良く知っている。


「執金吾の持つ兵を、我が物にする良い案は無いか…?」

彼は傍らに控える参謀の一人である、長身でせた色白の男に、質問を投げ掛けてみた。


「丁建陽殿を、亡き者にしたい…と言う意味でしょうか?」

その男は顔色一つ変える事無く、冷静な口調で淡々と答える。


「何か、策が有るのか?」

勿体振もったいぶる様な彼の物言いに、仲穎は多少の苛立いらだちを見せたが、男は相変わらず涼しげな顔をしている。


肝がわっているのか…一体何を考えているか、読めない奴よ…

彼は若くも見えるが、老けている様にも見える。年齢すらも良く分からない。

しかし、その不思議な雰囲気を持つ年齢不詳な男に、仲穎は非凡さを感じており、彼を参謀として迎え入れたのである。


李儒りじゅ、字を文優ぶんゆうと言うその男は、仲穎が雒陽へ入城すると、その幕僚ばくりょうに加わった。

皇帝を伴って宮殿に姿を見せた仲穎を、皆が奇異な眼差しで見る中、彼だけは眉一つ動かさず、


「天子を保護出来たのは、天命に他なりません…」

と言って、彼に慶賀けいがの言葉を送った。


細い眉に切れ長な目を持っており、眉目は整っているが、一見して印象の薄い顔立ちである。

仲穎は彼のその細い目をじっと見据え、

「早く答えを言え!」

と言わんばかりの表情を見せている。


文優はやがて口角を若干上げると、


「ご期待に沿う様、尽力致しましょう…」


そう言って、仲穎に向かって深く揖礼ゆうれいをした。


李文優は、馮翊ひょうよく郃陽こうよう県の出身である。

みやこからそう遠くない地であり、都会の知識人たちと交流する機会を多く得ていた。

その為、涼州からやって来た仲穎らとは、生活様式も考え方もまるで違っている。


文優は先ず、仲穎に人心を掌握する事の重要性を説き、投獄されていた清流派の知識人たちを解放し、高名な賢者、有識人たちを招いて、彼らに官職を与えるよう献策した。

また、かつて宦官と敵対して殺害された、竇武とうぶ陳蕃ちんはんらの名誉回復の措置を取る事をすすめ、民衆からの声望を高めようと図った。


仲穎は彼の意見に、一応の納得は見せたが、正直な所、そのやり方には手緩てぬるさを感じていた。

だが、かく新たな人事を行い、そんな中で、王允おういん子師ししを「司徒しと」に、高名さを聞いて招聘しょうげいした、蔡邕さいよう、字を伯喈はくかいと言う儒者じゅしゃを「祭酒」に任命するなどし、朝廷に新たな風を吹き込ませ、彼らに政務をらせる事にした。


しかし、司徒の王子師おうししは、始めから仲穎を野蛮な異民族と見做みなしており、彼や、彼の兵士たちの素行の悪さを度々指摘しては、それを議題に取り上げるなどして、真っ向から対立する構えを見せる。


更に、仲穎を不機嫌にさせるのは、皇帝の存在であった。


始めこそ、仲穎を恐れ萎縮いしゅくしていた皇帝であったが、王子師らの入れ知恵もあったのだろう、次第に彼に対し意見を述べる様になった。


ただのお飾りの癖に、生意気な…!

それが皇帝に対して、仲穎が向ける感情である。


それに引き換え、まだ九歳の陳留ちんりゅう王は非常に大人しく無口な子供で、笑った顔すら見た事が無かった。

皇帝には、後ろ盾として生母の何太后の存在があるが、陳留王には、養育していた董太后とうたいごうは既に亡く、邪魔な後ろ盾も無い。


仲穎は薄笑いを浮かべ、自分の顎髭を撫でながら陳留王を眺めると、呼び寄せた李文優に耳打ちをした。



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