第86話 大将軍暗殺


袁本初えんほんしょが各地に送ったげきに呼応した者の中には、西涼の董仲穎とうちゅうえいの姿もあった。

涼州での反乱鎮圧後、扶風ふふうに駐屯していた仲穎は、そこから常に京師の様子を伺っていた。


面白くなりそうだ…

仲穎は野性的な勘を働かせ、京師でこれから起こるであろう、血生臭い事件の臭いを既に嗅ぎ付けていた。

いつでも兵を動かせるよう準備しておく必要があると、仲穎は配下たちに命じて兵を集めた。


その頃、雒陽らくようへ向かっていた丁建陽ていけんようもまた、部下の張文遠ちょうぶんえんに指示を出し、河北かほくで募兵を行った。


舞台は整いつつある。いよいよだな…

本初は自らも兵を集め、いつでも挙兵出来るように準備していた、そんな時である。


「今、何とおっしゃいました…!?」


本初は何遂高かすいこうの居室で、思わず素っ頓狂とんきょうな声を上げた。


「だから…宦官どもがわしに、ゆるしをいたいと申し出ているそうなのだ。」


「お、お待ち下さい、大将軍…!これは、罠かも知れません!」

本初は慌てて、遂高の前へ立ち塞がった。

遂高は身支度を整えると、僅かな従者と共に何太后の元へ向かう積もりらしい。


その日、何太后からの使者が訪れ、張譲ちょうじょうを始めとする中常侍ちゅうじょうじたちが、これまでの大将軍に対する数々の無礼や態度を悔い改めたいと、太后に涙ながらに訴えたと言う。

更には、大将軍の日頃の労をねぎらう為のささやかなうたげを用意してあるので、嘉徳殿かとくでんまでお越し願いたいと申し出た。


「罠なら、蹇碩けんせきと同じく、返り討ちにしてやれば良い。宦官など、恐るるに足らぬ。」

遂高は余裕の表情で、額に汗を浮かべる本初の顔を、見下す様な目付きで一瞥いちべつする。

それには本初もやや苛立ったが、このまま遂高を行かせる訳には行かない。


「では、私が護衛の者と同行致しましょう…!」

「それでは、余計に宦官たちに不審感を抱かせる事になろう。わし一人で行く方が良い。心配するな、奴らにわしを殺す勇気など有るものか!」

そう言って笑い声を上げる遂高に、本初は尚も食い下がる。


「大将軍、宦官を甘く見ない方が良い…!」


そう叫んだ時、本初は自分で言った言葉に、はっとして驚いた。

だが、遂高は彼の慎重さを嘲笑う様な目を向けている。


それでも、本初の顔を立ててやるか…という気になり、彼と袁術えんじゅつ、字を公路こうろと言う、彼の異母弟おとうとに率いさせた五百の精兵を護衛として、何太后と中常侍たちの待つ嘉徳殿へと向かう事を了承した。


遂高のいのちは最早、風前のともしびである。だが、等の本人は全く危機感を抱いていない。

こうなっては、万が一の事態に備えておく必要がある。


「孟徳殿、そなたの不安は的中した…!大将軍はこれから、何太后と中常侍の待つ嘉徳殿へ向かうお積もりだ。共に大将軍の護衛として同行してくれまいか?!」


本初は急いで曹孟徳の元へ走り、共に大将軍の護衛として参内するよう願い出た。

青褪あおざめて話す本初に強く頷くと、


「分かった。では、急いで参ろう!」

と、孟徳は直ぐに理解を示し、本初と共に遂高の元へと向かった。



遂高は本初と孟徳を左右に侍らせ、袁公路の五百の兵士と共に長楽宮ちょうらくきゅうの前までやって来た。

そこへ勅使が現れると、

「これより先は、大将軍の為の宴席であり、他の方々は門の外で待つように。」

と告げる。


「勅使の申し出では、致し方ない。本初殿、孟徳殿、此処で待っていてくれ。」

二人を振り返りながら言うと、不安な眼差しを向ける二人に、遂高は余裕を見せ付ける様に微笑んだ。


くして、遂高は一人何太后の待つ嘉徳殿へと向かう事となった。


遂高が嘉徳殿の門前までやって来た時、突然現れた何者かの黒い影が、彼の行く手を塞いだ。

見ると、それは中常侍の張譲である。

遂高はいぶかしがって、張譲を睨み付けた。


「何だ、わしを暗殺する積もりで来たのか?馬鹿め…門の外には、袁本初と五百もの兵が待機しておるのだぞ!わしを殺せば、お前も即刻、死ぬ羽目になる…!」


遂高は凄みのある声でそう言い放ち、じける様子は見せない。

それに対し、張譲は目をいからせて言い返した。


「何進、お前は我々宦官のお陰で、大将軍にまで出世する事が出来たのに…その恩を忘れる所か、あだで返そうとは、恥を知れ!」


その直後、伏せられていた兵たちが一斉に現れ、驚いた遂高をたちまち宦官 段珪だんけい畢嵐ひつらんが率いた兵たちで取り囲むと、張譲は狼狽うろたえる遂高の背後から、一気に彼の体を剣で貫いた。



異変はやがて、門の外で待っていた本初と孟徳らにも伝わった。

本初は激しく門を叩き、門衛に門を開くよう怒鳴った。


すると、開かれた門の隙間から、首だけになった遂高が転がり出て来る。


「よくも、大将軍を…!!」

それを見た本初は目を吊り上げ、怒りをあらわにすると、門をこじ開けて宮中へと突入した。

袁公路に率いられた五百もの兵たちも、次々とそれに続く。


嘉徳殿の門前まで来たが、既に張譲らは逃げ去った後だった。

本初は宦官と見ると全ての者を斬殺しながら、後宮へと押し入って行く。

ひげの無い者は皆、宦官であろうと無かろうと、本初は容赦無く斬り捨てた。


天子てんしの身を確保するのが先決だ。俺は、陛下と太后を探し出して来る!」

孟徳はそう言いながら、そこで本初と別れ、皇帝と何太后の姿を探して回った。


やがて宮殿の一室で、何太后の姿を発見した孟徳は、彼女に走り寄った。

何太后は酷く取り乱し、孟徳の腕を強く掴むと声を上擦うわずらせて泣き叫ぶ。


「弁を…!陛下を取り戻して!張譲たちに、連れて行かれた…!」

「大丈夫です、陛下は必ず連れ戻します。ご安心下さい!」

そこへ現れた袁公路の軍に何太后の身柄を預け、孟徳は皇帝を連れ出したと思われる張譲たちの後を追った。

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