第83話 新たな旅立ち


危ないっ…!

奉先は思わず身を乗り出し、叫び声を上げそうになった。


同時に、それを見ていた玲華も大きく息を呑み、両手で自分の顔を覆う。


龍昇の剣は、建陽の胸を貫いたかに見えた。

だが、建陽は素早く上体を反らしながら剣刃をきわどく避け、片手を地面に突くと、立ち上がり際に鋭い蹴りを繰り出し、龍昇の顎を狙って放つ。

龍昇はそれを、右腕で防御したが、体勢を崩され思わず身を引いた。


今度は立ち上がった建陽の方から仕掛ける。

二人は数合に渡り、火花を散らして打ち合った。

鋭く重い斬激ざんげきが龍昇の剣を圧倒する。


両手で自分の胸元を押さえ、肩で激しく呼吸をしている玲華は、最早もはや立っているのもやっとな状態である。

「玲華殿、しっかり…!」

背後から文遠が駆け寄り、玲華の両肩を強く支えた。


やがて暴風と共に、大粒の雨が落ち始めた。

またたく間に豪雨へと変わる。

二人は互いに距離を置き、再び剣を構えて対峙し睨み合っていた。

激しい雨風が視界をさえぎって行く。


吹き荒れる雨粒が二人の剣刃に当たり、甲高い音色を奏でている。

それが暴風によってき乱された瞬間、二人は同時に剣を突き出した。


龍昇の剣は雨粒を切り裂きながら、建陽の心臓を狙って真っ直ぐに突き進む。

建陽の剣もまた、龍昇の心臓へ向かって走った。が、互いの剣が交差する瞬間、建陽は素早く剣把せんぱ逆手さかてに握り返し、迫り来るやいばを躱しながら、龍昇の右腕を斬り付けた。


「……!!」


腕を斬り付けられた龍昇は、咄嗟に傷口を押さえ、信じられないといった表情で建陽を振り返った。

傷はそう深くは無かったが、彼の着物の袖は見る間に赤く染まる。


龍昇の刃もまた、相手の胸元を斬り付けており、建陽の着物は裂け血がにじみ出す。

だが建陽は平然とした表情で、再び剣を構えた。


「おのれ…!」

龍昇は小さくうめきながら、再び雨粒を切り裂き、建陽に挑み掛かる。

二人が激突した瞬間、激しい水飛沫みずしぶきが立ち昇った。


互いの剣がぶつかり合う毎に、切り裂かれた雨粒が飛沫ひまつとなって辺りに飛び散り、剣の道筋が鮮やかに映し出される。

その光景はまるで、湖面の上を舞い踊るかの如くであった。


数合打ち合ったのち、やがて握る力を失った龍昇の右手から、渾身こんしんの力で打ち出された建陽の一撃によって、跳ね上げられた宝剣が天高く舞い上がった。

宝剣は激しく回転しながら落下し、泥濘ぬかるんだ地面に突き立つ。


龍昇は思わず片膝を泥濘ぬかるみの中へ突き、その場に崩れ落ちた。


その瞬間、誰一人として声を上げる者は無かった。

その場にいた全員が、息をするのも忘れている。


強く剣把を握ると、建陽は剣刃を高く振りかざし、一気に龍昇の首筋を狙って振り下ろした。


だが、剣刃は彼の首を切断する事は無く、すんでの所でぴたりと止まっている。

龍昇は鋭い目を上げて、建陽を睨み付けた。


「龍昇…わしにあって、貴様に無い物が何か…分かるか?」


「…?!」


その問い掛けに、龍昇は怪訝けげんな様子で眉を顰める。

後方で二人を見ていた奉先も、はっとして建陽を見詰めた。


「それはな…執念しゅうねんだ…!決して負けられぬという、強い思いだ。愛しまもらねば成らぬ物が、わしには有る…!」


建陽はそう答えると、龍昇の首筋から一度剣を引いた。


「お前は、誰かを護る為に命を懸けて戦った事が有るか?無いであろう…!お前は、自分以外の者を決して信用せぬ。ゆえに、人を愛するという事が出来ないからだ…!人を愛さぬお前が、わしに敵う事は決して無い!」


龍昇は建陽の言葉を聞きながら、不満を表情に表した。


「馬鹿な…!執念などが、わざを上回るなど有り得ぬ…!」

「お前には、死んでもそれは、理解出来ぬであろう…」


建陽は静かに、再び剣を振り上げる。

刃をひらめかせて一気に振り下ろした瞬間、その剣刃は龍昇の首筋へ届く寸前、激しい金属音と共に遮断された。


「お待ち下さい、丁将軍…!」


彼の攻撃を剣で遮ったのは、奉先である。

龍昇をかばう様に、二人の間に立っていた。


「真剣勝負の邪魔を、するのでは無い…!」

建陽は目を瞋らせ、奉先を怒鳴り付けた。


「既に、勝負は着いている!兄上が斬られるのを、黙って見過ごす訳には参りません…!」

「奉先、こいつはお前を"義弟おとうと"と呼んではいるが、お前を愛してはおらぬ。威をもって、服従させているだけだ…!」


奉先は少し眼差しを下げると、背後の龍昇へ視線を送った。

泥濘みの中、龍昇は右腕の傷口を押さえ、悔しげに唇を噛み締めながら奉先を見上げている。


「それは、良く分かっている…心の底から彼を憎んだ事も有った…しかし、龍昇様は俺にとって、たった一人"義兄あに"と呼べる存在なのです…」


少し悲しげな声でそう言うと、奉先は建陽の前に膝を突き、彼に拱手した。

「どうか、兄上の命だけは…お助け願いたい。」


「………」

降りしきる雨の中にたたずみ、建陽は暫し奉先を見下ろしていたが、やがて剣を静かに鞘へ収めた。


「龍昇よ…命拾いをしたな。弟に感謝しろ…」


そう言うと建陽は仲間たちの方を振り返り、ゆっくりとそちらへと歩き去る。


「叔父様!!」


涙を流しながら玲華は叫ぶと、走って彼の胸に飛び込んだ。

玲華を強く胸に抱いて、建陽は彼女の頭を優しく撫で下ろす。


「玲華…お前の言う事は、正しかったな。」

建陽はそう言いながら微笑した。

「叔父様…」

涙を溜めた瞳を上げ震える声で言うと、玲華は再び彼の胸に顔をうずめ、声を上げて泣きじゃくった。


やがて、一刻余り降り続いていた雨風は嘘の様に上がり、雲間からまばゆい光が地表へと降り注ぐ。


「何をしている…?お前は、丁将軍の物になったのだ…わしの気が変わらぬ内に此処を去らねば、後悔するぞ…!」

龍昇は赤い目を上げながらそう言うと、彼の前に立ち尽くしている奉先を睨み付けた。


奉先はただ黙って、龍昇を見下ろしているが、その目には憐憫れんびんの情が漂っている。

その目を直視する事を嫌い、思わず龍昇は視線を逸らした。


奉先は無言のままであったが、おもむろに片膝を地面に突き、顔を逸らした龍昇に向かって拱手する。

その後、黙って立ち上がると、広場の片隅で抱き合う玲華と建陽に歩み寄った。


「丁将軍、俺は…」

言い掛けた奉先を、建陽は手で制した。


「わしはただ、あの男の鼻を明かしてやりたいと思っただけの事…お前は、もう誰の物でも無くなった。きたい所へ、行くが良い。」


そう言うと建陽は目を細め、玲華の肩を胸に抱き寄せたまま、奉先に微笑んだ。

奉先は少し戸惑いを見せたが、やがて建陽に向かって拱手した。


「丁将軍、俺はあなたに付いて行きたい…!」


雲間から差し込む光を瞳に映しながら、奉先は瞳を輝かせて建陽を見詰めている。

建陽は顔をほころばせると、


「そうか。では、本気でわしの養子となってみるか?!」

と、明るい声色で答えた。



翌朝、空は明るく晴れ渡り、何処までも青々と広がっていた。

その下を、城邑を去る建陽の兵士たちが、次々に城門を通過して行く。

見送りに現れた陵牙に、奉先が走り寄った。


「陵牙、お前も一緒に行かないか?」

「お前が居なくなるのは寂しいが…俺は、呂興将軍の側に付いていてあげたいと思う。」

陵牙は少し悲しげな眼差しで、彼を見詰めた。


「それに、お前には残念だが…はくは、今ではすっかり俺に懐いているしな!俺が面倒を見てやらないといけないんだ。」

そう言って笑うと、陵牙は着物の懐から、白の頭をこっそりと覗かせる。

小さく、「にゃあ」と鳴き声を上げ、白はごろごろと喉を鳴らした。

「お前、生き物が苦手だったのでは無かったか?!」

奉先は白の小さな頭を撫でながら、陵牙の顔を驚きの目で見た。


「陵牙…お前が俺を支えてくれたお陰で、俺は今日まで生きて来られた。感謝している…!」


奉先は陵牙を見詰めながら、少し瞳を赤くした。


「降龍の谷で、俺の命を救ってくれたろう?俺がお前を支えるのは、当然だ!」

そう言って、陵牙は奉先の胸を、握った拳で軽く叩く。

次の瞬間、奉先は陵牙の肩を強く引き寄せ、彼の体を強く抱き締めた。


「お前は俺の一番の親友だ…!白と、兄上の事を頼むぞ…」

瞳に涙を浮かべた奉先が、声を震わせながらそう言うと、陵牙は黙って涙を流した。


やがて全ての兵士が城から出ると、城門が音を立てて閉まり始めた。

馬上で振り返ると、見送る城邑の人々と陵牙の姿が、閉じ掛けた門の間からまだ小さく見えている。


ふと、城門の上の櫓を見上げると、そこには一人佇たたずむ管狼の姿が目に映った。

そこから彼の表情を読み取る事は出来なかったが、奉先には一瞬、彼が笑った様に見えた。


陵牙、管狼…お前たちの事は、決して忘れない…!


奉先はかすむ視界を手で払い除け、馬の腹を蹴ると、前を行く建陽と玲華に馬を並べた。


「奉先、仲間と別れの言葉は充分に交わせたか?」

建陽は微笑を浮かべながら、彼に問い掛ける。

その様子を隣で見詰める玲華も、彼に微笑を向けていた。


「はい、父上。…しかし、彼らには語り尽くせぬ思いの方が、ずっと多いのです…」


そう言うと奉先は二人に微笑みを返し、遠い空の彼方を見詰める。

遥かな地平線の先へと伸びて行き、やがて青空へと繋がる長く白い道は、その先に一体何が待っているのか、想像も付かない。


だが、確実に新たな一歩を踏み出して行く奉先の胸には、この先暗い未来が待ち受けているなど、思いも寄らぬ事であった。

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