第80話 玲華と叔父


玲華の叔父であるその男は、并州へいしゅう刺史しし丁原ていげん、字を建陽けんようと言う人物である。

彼は涼州りょうしゅう出身で貧しい家柄であったが、恵まれた体格を持ち、持ち前の剛毅ごうきな性格から曲がった事が嫌いで、同年代の仲間たちからは常に慕われ人望が厚かった。


武芸全般にその能力にすぐれ、剛腕で身体能力も人並み以上のものを持っており、騎射きしゃを最も得意としていた。

また、貧しいながらも学問にも打ち込み、県の官吏かんりを経て并州刺史、騎都尉きとい等を務めた経験もあり、正に文武両道であった。


黄巾討伐では、名だたる将たちに引けを取らぬ戦い振りで各地を転戦し、乱平定後は、黄巾の残党たちを掃討そうとうする戦いにいとまが無い。


そんな彼に、姪の玲華は故郷ふるさとの料理を振る舞ってやりたいと、三頭の立派な牛と凡そ百五十斗(約300L)余りもの酒を運び、此処までやって来たのである。


「そのような為に、わざわざ危険をおかしてまでこんな所へ来るとは…玲華、お前のお転婆てんば振りには全く手が焼ける!」


建陽は、自らの部隊を駐屯させた野営地の中を、玲華と肩を並べて歩いている。

玲華の従者たちを盗賊から救ったのは、建陽の率いる軍の兵士たちだった。


建陽は玲華が盗賊に追われ、林の中へ逃げ込んだ事を知ると、自ら彼女を救うべく探しに向かい、その途中で偶然、奉先と出くわしたのである。


「だって叔父様、もう一年以上も戦場にいて、一度も故郷へ戻っていないでしょう。兵のみんなだって、一日も早く帰りたいと思ってる筈だわ…せめて故郷の味を、味わわせてあげたいのよ。」


玲華はそう言って大きな瞳を上げ、建陽を見詰めた。

それを見ると、建陽は自分の顎髭をしごきながら、苦笑を浮かべるしかない。

建陽は玲華の肩を強く抱き寄せ、二人寄り添って歩いた。


早速、連れて来た三頭の立派な牛をほふって、その肉を焼き、岩塩や香辛料で味付けをする。

次に、大量に焼いた胡餅こべいにそれらを挟んで、酒と共に兵士たちに振る舞った。


この頃、西方の文化が庶民の間でも持てはやされており、小麦や米粉等で作る胡餅(パンの一種)と呼ばれるものが食されていた。

その為、比較的そういった食材を揃えるのは容易たやすかったが、やはり故郷の味は格別である。



「玲華殿…!」


背後から呼び止められ、玲華は振り返った。

そこには頬を紅潮させ、満面の笑みを浮かべた一人のたくましい青年が立っている。

彼は玲華と目を合わせると、少し照れ臭そうに頭を掻いた。


文遠ぶんえん…!あたしの事を、覚えててくれたの?!」

玲華は嬉しそうに笑顔を返すと、彼に走り寄った。


「あなたの事を、忘れる筈は無い…!」

文遠は少し戸惑い慌てつつも、眉根まゆねを寄せ真剣な顔付きになり、そう言って玲華を見詰める。

その表情に、玲華は思わず吹き出しそうになった。


彼は張遼ちょうりょう、字を文遠といい、若いながらも部隊を率いる立派な将である。

武芸にひいで、その能力を買われて建陽の配下となった。


玲華とは以前に一度会っただけだが、彼は一日も玲華の事を忘れた事は無い。

それ所か、玲華が自分の事を覚えていてくれた事が、彼には信じられない程の喜びだった。


「元気そうね!」

玲華は目元に柔らかい微笑を浮かべ、文遠を見詰め返す。


「玲華殿も、元気そうで何より!それに…とても、とても美しく…おなりで…」

口篭くちごもりながら話している彼の背後に、傷の手当てを終え、幕舎から姿を現す奉先を見付けた玲華は突然大声で、


「奉先!!」


と叫びながら、文遠の腕を掴んで走り出した。


「れ、れ、玲華殿?!」

突然の出来事に、訳も分からず文遠は玲華に引っ張られて走る。


奉先は二人に気付いて立ち止まり、彼らに振り向いた。

「玲華殿…!」


「紹介するわ、彼は文遠。まだ若いけど、部隊を率いる立派な将なの!叔父様の一番の期待の星よ!」

「そ、それ程では…」

文遠は、また照れ臭そうに頭を掻いた後、今度は姿勢を正して奉先に体を向けると、小さく咳払いをした。


「俺は、張文遠と申す。よろしく。」


彼は胸を大きく張り、低く通る声でそう名乗る。


「俺は、呂奉先だ…」


目を細めわずかに微笑を浮かべたが、奉先は余り感情を表さぬように彼に答えた。


歳は同じ頃であろう。

あの丁建陽に見出みいだされ立派な将となり、戦場で活躍している彼をうらやましく思わない、と言えば嘘になるが、羨望せんぼうの眼差しを以て彼を見ると、自分がひどみじめな存在だと感じざるを得ない。


自分も、もっと早くあの様な人物に出会っていれば、刺客として働く事も無かったであろうか…

奉先は瞳に、やや暗い影を落とす。


「奉先、大丈夫?元気が無いみたい…」

玲華は彼の顔色を読むのが非常に早い。

奉先は思わず苦笑して、玲華を見詰めた。


「俺は、もう行かねばならぬ。また世話になってしまい、申し訳無いが…」

そう言い掛けた時、玲華が彼の腕を掴んだ。


「待って、まだ良いでしょう?お礼なら、ちゃんと叔父様に言わないと…!」

玲華は必死に彼を引き留めようとしている。


「仕事をしくじったので…一刻も早く、主に報告へ行かねばならぬのだ…」


「仕事を…しくじった…?」

「『失敗した』と言う事だ。」

「そんなの、分かってるわ…!」

文遠が口を挟むと、玲華は振り返って頬をふくらませる。


「何の仕事…?」

「それは…」

玲華が真っ直ぐな瞳で問い掛けると、思わず奉先は言葉に詰まった。


その時、玲華の従者の一人がこちらへ近付き、

「お嬢様、丁将軍がお呼びです。」

と声を掛けて来た。


「分かった、直ぐ行くわ!」

これは好機とばかりに喜んで、玲華はその従者を振り返る。


「いえ、お呼びなのは彼だけです。」

そう言うと、従者は奉先を指差した。



既に夕刻は過ぎ、野営地には漆黒の闇が迫っている。

燭台しょくだいの明かりが舎内を仄暗ほのぐらく照らし出し、建陽は幕舎の中で一人、両腕を組み瞑座めいざしていた。


幕舎の外から呼び掛ける声に、彼は「入れ。」とだけ短く答え、舎内へ呼び寄せる。

奉先は座した建陽の前に膝を突き、黙ってそこへ正座した。


「お前の主は、誰だ?」

口を開いた建陽は、不躾ぶしつけな態度で尋ねる。


「俺の主は…」

奉先は眉を微動だにさせず、建陽の険しい瞳を見詰める。


「呂 龍昇りゅうしょう様です。」


「龍昇か…わしは、あいつを餓鬼の頃から良く知っている。わしと同じ涼州の貧しい家の出だが、あいつは野心家で腕も立つ。下陵かりょう上替じょうたいの世にあって、のし上がって行った者だ…」

建陽は一度深い溜め息を吐き目を伏せたが、再びまぶたを上げると、


「遠回しな言い方はそう、奉先…即刻、此処を立ち去れ…!」


険しい表情で奉先を睨み据え、強い口調でそう言った。


「お前が玲華をどう思っているかは知らぬが、あの子はお前を気に入っているらしい…今は、わしがそばに付いておる故、あの子の心配をする必要は無い。お前には、お前の居場所があるであろう…」


「………」

奉先は何も答えず、ただ建陽の顔を真っ直ぐに見詰めている。


「あの子は誰より大切な、わしのたった一人の姪だ…彼女を傷付ける者は、誰であっても絶対に許さぬ!お前に、あの子を幸せにする力は無いであろう!玲華の事を思うなら、傷付ける前に去るべきである。違うか…?」


建陽は出来るだけ、感情を押し殺しながら問い掛けている積もりだが、奉先には彼からの威圧がひしひしと伝わって来る。

やがて膝元へ視線を落とし、俯いた奉先は小さく声をらした。


「世話をお掛けし、申し訳ありません。有り難うございました…」


そう言うと両手を地面に突き、深々と頭を下げた後、おもむろに腰を上げると静かに幕舎から出て行った。


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