第71話 幻影の兵


玄徳は先頭に立ち、翼徳と雲長を左右に引き連れ、騎馬部隊で谷間へ突入すると、振り翳した双剣で、襲い来る人形の突風を払いながら前進する。

その小さな人形には、実は鋭利に研ぎ澄まされた、薄く小さな刃物が取り付けられていた。

それを暴風に紛れ込ませる事で、幻影の兵士たちを作り上げていたのである。


玄徳は巧みに双剣を操り、人形を払い落としながら前進したが、その全てを落とす事は不可能である。

気付くと全身に無数の創傷を負っていたが、衣服を赤く染めつつも、それに構わず彼らは突き進んだ。


「あの暴風を起こす為の装置が何処かにある筈だ!それを破壊すれば、幻影の兵士を消す事が出来るであろう…!」


やがて彼らは谷を突破し、遂に暴風の中から脱すると玄徳は兵たちを分散させ、風を起こす装置を探した。

すると、早くもそれらしき物を発見した仲間の部隊が大声で叫ぶ。


「玄徳殿!あれを…!」

彼らの指差す方向を振り返ると、少し小高い丘の中腹辺りに、木製の巨大な羽を取り付けた送風装置のある砦が見えた。

辺りを見渡すと、その〝送風砦〟は一つでは無く、幾つか点在している事も判明した。


「あんな所に…良し、あの砦を急襲するぞ!」

玄徳は再び兵たちを集めて丘を登り、それぞれ砦へと向かわせた。


突如現れた玄徳らの部隊に急襲され、砦に篭り装置を動かす大きな歯車の軸を回転させていた黄巾の兵士たちは仰天し、忽ち砦から逃げ去って行く。

玄徳は直ちに、砦の送風装置を全て破壊させた。


谷間の暴風が収まった事で、壊滅しかけていた董卓軍は何とか部隊を立て直し、無事に谷間から脱する事が出来たが、黄巾軍の手痛い反撃を受け、最早戦闘は不可能と判断した仲頴は、そのまま全部隊を退却させる事にした。


「折角谷を抜けられたと言うのに、董将軍は退却を始めているらしい…!兄者、どうする?」

雲長が馬を走らせて、玄徳の側へ駆け寄った。


「うむ…やむを得ぬ。我々も退却しよう!」

玄徳は直ぐにそう判断を下すと、自軍の兵を呼び集め退却を始めた。


玄徳らの部隊が退却して行くのを見た黄巾軍は、今が好機と勢い付き、早速彼らの追撃を開始する。


「兄者、殿は俺たちが引き受ける!仲間を連れて早く逃げてくれ!」

真新しい武器を手にした雲長と翼徳が名乗りを上げ、自部隊を率いた二人は、後方から迫り来る黄巾軍の前に立ちはだかった。


「良し分かった!あまり無茶はするなよ…!」

玄徳は彼らに笑顔を投げ掛け、そう言って二人の肩を強く叩くと、馬を走らせて部隊の先頭に立ち、仲間を導いて退路を急いだ。


巨大な刃を持つ偃月刀を振り翳した雲長と、一丈(約230cm)余りもある蛇矛を構える翼徳が、部隊を連ねて狭い谷間の道を塞いでいる。

それを見た黄巾軍の兵士たちは、思わず立ち止まった。


「刀の錆になりたく無かったら、大人しく城へ引き返すのだな!」

翼徳が大声を放って、黄巾の兵たちを威嚇する。


「数ではこちらが有利である!奴らを踏み潰して進め!」

黄巾軍の指揮官が馬上で叫び、鼓を打って兵士を突撃させた。

勢いのある黄巾軍は、喊声を上げながら雲長らの部隊に向かって突き進む。


雲長は手にした偃月刀を風の如く横へ薙ぎ払い、殺到する兵士たちを次々に打ち倒す。

見るからに恐ろしげな蛇矛を馬上で回転させ、敵兵の真っ只中へと突っ込んだ翼徳は、襲い来る兵士たちを次々と突き倒しながら悪鬼の如く矛を振るう。

彼ら二人だけで、何と敵部隊の半数近くが倒されてしまった。


流石にその光景に青褪めた黄巾軍の指揮官は、再び鼓を打って部隊を引き上げさせ、劉備軍の追撃を諦めざるを得なかった。



「あの、張宝の妖術を破った者は何者か?」

退却する兵を引き連れて退路を進む仲頴は、馬上から配下の将に問い掛けた。

「あれが廬子幹殿の弟子、劉玄徳です。」


「ほう、あいつが…中々やるな。」

黄巾軍に敗退させられたものの、それには強い拘りを見せぬ仲頴は、自分の顎髭を撫でながら満足げな笑いを浮かべた。


その晩、仲頴は玄徳を自分の幕舎へ呼び寄せた。

雲長、翼徳を伴って現れた玄徳を、仲頴は機嫌良く迎え入れ、彼らに酒を振る舞った。


「今日の戦は、そなたたちの活躍のお陰で我々は窮地を脱する事が出来た。礼を言う。」

仲頴は玄徳に笑顔を向けると、彼の手に杯を持たせ、酒器から酒を注ぐ。


酒杯を手にしながら玄徳は、

「礼には及びません。董将軍の力添えが出来て、何よりです。」

そう言って仲頴に微笑を返し、深く礼をした。


仲頴は、今度は雲長と翼徳の方へ顔を向け、

「そなたらは、殿軍で敵を一歩も寄せ付けない程の活躍を見せたそうだな。実に素晴らしい武勇である!」

そう言うと、二人にも酒を注いで勧めた。


目の前に並んで座す三人を、暫く目を細めて見詰めていた仲頴だが、やがて徐に口を開く。

「玄徳殿、話に依るとそなたは、漢王室と縁があるそうだが、以前は王朝のお尋ね者であったと聞く。何故か?」


仲頴は柔らかい口調と表情ではあるが、目には鋭い眼光を漂わせて玄徳を見据えている。

その凍り付く様な視線を浴びながらも、玄徳は怯む様子を見せず、黙って仲頴を見詰め返す。


「民衆を苦しめる汚吏たちに、制裁を加えてやったのです。」

玄徳は悪びれず、そう答えた。


それを聞いた仲頴は相好を崩すと、豪快に笑声を放った。

「それは実に愉快である!わしはそなたが気に入ったぞ!下らぬ王朝になど従っておらず、わしと共に涼州へ行かぬか?」


突然の仲頴の誘いに、雲長と翼徳は驚いて顔を見合わせた。


「折角のお申し出ですが…今回はご遠慮致します。」


玄徳は涼しい表情のまま、静かに答えた。

暫し、場に冷たい空気が漂ったが、それを破る様に声を上げたのは仲頴である。


「そうか、ならば仕方が無い。その気になったら、いつでもわしを訪ねるが良い。」

仲頴は微笑を浮かべながら、あっさりとそう言い、それ以上の諦めの悪さを見せなかった。



夜更け、三人は仲頴の幕舎を後にし、輝く月夜の下を並んで歩いた。

遠くから馬の嘶きが聞こえて来る。

雲長が立ち止まって、嘶きの聞こえる方を振り返った。


「董将軍が乗っていた馬は、見た事も無い程立派な、赤い馬であった…」

「ああ、あれは〝赤兎馬〟と言って、西域の名馬なのだそうだ。」

玄徳も足を止め、振り返ってそう言った。


「董将軍に付いて行けば、あんな馬が手に入るなら、一緒に行っても良かったのではないか、兄者?」

翼徳は、少し残念な面持ちで玄徳の顔を見た。


「いや…董将軍には、付いて行くべきでは無い。あの男には、良い兆しが見えぬからな…」


玄徳は低くそう呟くと、夜空に青白く輝く月を見上げた。

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