第70話 妖術使い


廬植ろしょくの後任として、冀州きしゅう広宗こうそう県に現れた董仲穎とうちゅうえいは、早速籠城する黄巾軍に対する廬子幹ろしかんの布陣を見て回った。

成る程、子幹の戦略は綿密であり、たとえ時が掛かっても、自軍の被害を最小限に抑えられる様考えられている。


朝廷も馬鹿な真似をする。

あのまま、廬子幹に軍を預けておれば、間違いなく今頃、黄巾軍は降伏していたに違いない…


馬上でふんっと鼻を鳴らし、大きな赤兎馬「飛焔ひえん」と仲頴の姿を、驚きの表情で見上げる兵士たちの間を悠々と歩く。

朝廷を牛耳ぎゅうじる宦官共にとっては、漢王朝が倒されようとそんな事はどうでも良く、自らの保身と蓄財の事しか頭に無い。

そう思うと、命懸けで戦うことは馬鹿らしく思えた。


次に、本陣が置かれた幕営ばくえいを訪れると、黄巾軍の内部を調査させた偵諜ていちょうからの報告を聞いた。

それにると、どうやら主導者である張角は病を発しており、容態ようだいはかなり悪い様子である。


「張角が死ぬのは、時間の問題か…」

仲頴は眉をひそめ、更に面白くない顔付きをした。


そもそも仲頴は、野戦での戦にはけており、その才を存分に発揮出来るが、攻城戦となると殆ど経験が無い。

その為、攻め口を見付けられないまま時ばかりが過ぎて行くが、それでも特に策を講じる事は無く、籠城する黄巾軍を包囲し続けていた。


このまま放っておれば、いずれ戦は終息しゅうそくに向かうであろう。

仲頴の胸の内にあるのは、その思いであった。



しかし、廬植に代わって董卓がやって来た事は、黄巾軍にとって転機でもある。

董卓は遥か辺境の地で、異民族を相手に戦っていた人であり、しかも攻城戦が得意では無い事も、黄巾軍の幹部たちは既に掴んでいた。

ここで董卓軍を敗退させれば、黄巾軍にも僅かな勝機しょうきが見えて来る。


抵抗力を失い掛けていると思われた黄巾軍はにわかに色めき立ち、活気づいた兵士たちは、その勢いで城を攻める官軍を次第に押し戻し始めたのである。

更に、董仲頴の耳に信じられない情報が舞い込んで来た。


「何だと?黄巾軍が、妖術を使っておるだと…!」


幕営で、仲頴は報告に来た兵士を鋭い眼光で睨み据えた。

まるで、蛇に睨まれた蛙の様になった兵士は狼狽うろたえ、声を上ずらせてはっきりと言葉が話せない。

そこへ共にこの戦場まで同行していた、賈人こじん衛子要えいしようが現れ、代わって仲頴に語った。


「私は以前、鉅鹿きょろく郡の張角という者について、耳にした事がございます。」


賈人は商売の為に、あらゆる地域を行き来する。

各地に情報の網を張り巡らせており、情報収集能力が高い。

何処にどの様な人物が居るかは、彼らに聞くのが一番手っ取り早く、彼らは一種の情報屋でもあるのだ。

その事を良く理解している仲頴は、それも兼ねて、子要を連れて行く気になったのである。

この戦場に、場違いとも思われる身なりをしたその若い男の言う事に、仲頴は大人しく耳を貸した。


「張角は符水ふすいを以て、人々の病を癒す力を持っていると言われておりますが、彼には二人の弟がおり、次男の張宝ちょうほうという者は天候を操り、風やいかずちを呼び寄せる事が出来ると言われているのです。」


それを聞いた仲頴は不機嫌な表情のまま、ふんっと鼻で笑う。

「妖術などと、馬鹿馬鹿しい…!わしは、その様ないかがわしい魔術や妖術という物は信じぬたちでな…」

「私も、その様なたぐいは信じておりませぬが…しかし実際、兵士たちはそれを目の当たりにし、皆怯えている様子です。」


仲頴は眉間に深い皺を寄せ、低く唸った。

「ううむ…!こうなったら、わし自らがその妖術使いとやらを叩きのめしてやる…!!」


そう言うと、仲頴はにわかに立ち上がり、直ぐ様配下の武将たちを呼び集めると、部隊を編成した。

新たに編成した部隊には、廬子幹に従っていた兵士たちも含まれていたが、彼らを指揮する武将が見当たらない。

そこへ、子幹の配下の一人が進み出て、仲頴に提案した。

「廬将軍のお弟子の、劉玄徳りゅうげんとくという方がいらっしゃいます。彼に兵を指揮させるのが宜しいかと…」

仲頴はその配下を振り返り、鋭く見下ろすと、


「良かろう、その者を直ぐに呼び寄せ、兵を指揮させよ!」

そう言って大声たいせいを放ち、素早く飛焔に跨がった。



董仲頴の使者を迎え、その命を受け入れた玄徳は、残った廬子幹の兵士たちを引き連れ、広宗の城攻めに参加する事となった。

早速、防具を身にまとい、新しい双剣を腰にいた玄徳は、雲長、翼徳らと共に出陣の準備を整えた。

広宗の県城へ向かう道中、玄徳の隣に馬首を並べた翼徳が声を掛けて来た。


「兄者は本当に、張角の首を取る積もりなのか?」

「何故だ?」

玄徳は振り返って、不思議そうに翼徳に問い返す。


「それは…黄巾党は、俺たちと同じ様に、朝廷に不満を抱いた民たちによって作られている。俺たちだって、以前は朝廷のお尋ね者だったろう?張角たちの事は、他人事とは思えぬのだ…」

やや俯きながらそう答える翼徳を、静かな眼差しで見詰めた玄徳は、

「そうだな…お前の言いたい事も、彼らに同情する気持ちも良く分かる。」

そう言って微笑した。


「だが、黄巾党は狂信きょうしん的な宗教団体だ。役所に火を放ち、黄巾党に従わぬ者には危害を加える。そもそも、武をもって王朝を打倒しようとするのは、良い結果にはならぬ。だから、俺たちは彼らとは違う。そうだろう?」


翼徳は顔を上げ、そう言ってさとす様に語る玄徳の瞳を見詰め返す。

「そうだな…俺たちは、漢王朝をたすける為に戦うのと決めたのだ…!」

「ああ、そうだ!俺たちはもう、降龍の谷の盗賊団ではない。この乱を鎮める為に、張角たちを倒さねばならぬ…!」

玄徳が強い眼差しでそう言うと、翼徳は強くうなずき、晴れやかな表情を浮かべた。


翼徳は他人に対しても、情が厚い…

馬首を返し、自部隊の方へと戻って行く翼徳の後ろ姿を、玄徳は目を細めて見送った。


董仲頴は、自ら率いて来た部隊を、城の最も攻め易いと思われるがわの門へと向かわせたが、その門へ行く途中に通り抜けねばならない谷間辺りで、部隊が停止してしまった。


「張宝の妖術で、行く手を阻まれております!」

いぶかしがる仲頴の元へ、伝達の兵が走り寄って報告をした。


「また妖術か…!小賢こざかしい真似をする。わしが行く!付いて参れ…!」

仲頴はそう叫ぶと、二の足を踏む兵士たちを叱咤しったしながら部隊を前進させた。


谷間に差し掛かると、何処からとも無く、不気味な笑い声の様なものが風の音と共に聞こえてくる。

その時点で兵士たちは不気味がり、尻込みをし始めた。

「ただの、子供騙しだ…!」

仲頴がそう小さく呟いた時、頭上から谷間を吹き抜ける風に紛れて、何やら白い物が舞い落ちて来るのが見えた。

良く見ると、それは人形ひとがたに切られたの小さな紙か、布切れの様である。


やがて、突然の強風が谷を吹き荒れ、無数の小さな人形ひとがたが渦となって彼らに襲い掛かって来た。

「あ、あれは幻影の兵士たちです…!!」

怯える兵士たちの間を突風が吹き抜けると、彼らは皆、何者かに切り付けられたかの様に、忽ち全身に創傷そうしょうを負った。


馬上の仲頴は盾で風を防いだが、それでも腕や頬を切られ、乗っていた飛焔までも全身に切り傷を負い、血を流して激しく暴れ始める。

「むう、これは…!」

仲頴は低く唸って、恐怖に駆られて逃げ惑う傷付いた兵士たちを見回した。


傷自体は大した事は無いが、恐怖心が彼らを支配している。

「妖術だなどと良くも言ったものよ…!集団心理を利用し、兵たちの恐怖心をあおっているだけでは無いか…!」

「しかし、効果は絶大と言えるでしょう…!これでは、前に進む事は出来ません!」

配下は吹き付ける風を防ぎながら、仲頴に向かって叫んだ。


そうこうしている内、城から撃って出た黄巾軍が、谷の上から矢を射かけて来る。

董卓軍は狭い谷間に挟まれ逃げ場を失い、次々と兵たちは矢の雨の中に倒れて行く。


「これでは戦にならぬ…!全軍撤退を開始せよ!」

仲頴はそう叫び、部隊を後退させ始めた。


そんな中、混乱し後退を始める董卓軍の間をう様にすり抜け、暴風の吹き荒れる谷間へ向かって行く部隊がある。

それは、玄徳らに率いられた兵士たちであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます