第65話 朝廷からの使者


翌日、玄徳は再び義兄弟たちを伴って、盧子幹の元を訪れ幕舎へ向かった。

すると突然、幕舎の中から、割れ鐘の様な怒鳴り声が響いて来た。

その声は子幹である。


「何かあったのか!?」

驚いた翼徳が思わず声を上げ、三人はお互いの顔を見合わせた。

急いで幕舎の方へ走り寄り、何やら慌てている護衛兵たちに声を掛けていると、中から昨夜見掛けた小太りの男が、憤然としながら姿を現した。


「盧子幹め…!よくも恥をかかせてくれたわね…!私を怒らせたらどうなるか、思い知らせてやるから…!」

男は着物の袖で額の汗を拭いながら、真っ赤になった顔を羽扇でせわしく扇いでいる。


左豊さほう様!どうか、お怒りをお鎮め下さい…!主は漢の為、全身全霊で戦に挑んでおいでなのです!それをどうか、ご理解頂きますよう…!」

慌てて幕舎から飛び出した子幹の配下が、男の前に膝を突き、そう必死に訴えている。


「お黙りなさい!漢の為と申すなら、まず朝廷の使者であるこの私に、敬意を払うべきでしょう!」


ふんっと男は顔を背け、取り付く島も無いといった様子で、ひざまづく子幹の配下を足蹴あしげにしながら歩き去る。

玄徳たちは、呆気に取られてその光景を見ていた。


「大丈夫か?何があったのだ?」

地面に倒れた配下に手を差し伸べながら、玄徳が問い掛ける。

「ああ、あなたは…将軍のお弟子の方…!」

配下は顔を上げて玄徳を見ると、彼らを子幹の幕舎へ案内した。


幕舎へ入ると、子幹は未だ興奮冷めやらぬといった様子で、舎内をいらいら々と歩き回っている。


「おお、玄徳か…実は、戦況を調査させる為、朝廷から視察官が派遣されて来た。小黄門しょうこうもんの左豊と言う宦官だが、視察が終わると、わしと話がしたいと言いだし連れて参った所、わしに賄賂わいろを要求して来おった!」


子幹は、兵糧が不足している為、お渡しする事が出来ないと、始めの内はやんわりと断っていたが、諦めの悪い左豊は、りに選って子幹をすりに来た。

遂に堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れた子幹は、


「皇帝の権威を笠に着る宦官が…!恥を知れ!」


と、左豊を怒鳴り付けたのである。

それを聞いた玄徳は、苦笑しながら子幹を見上げた。 


「そうでしたか…それは先生らしい。しかし、あの男…かなり性根しょうねの悪い人物と見ました。このまま、ただでは済まされぬのでは有りませんか?」

「ふん…っ!あんな宦官の言いなりになるくらいなら、死んだ方がましである!」


子幹はあくまで、強気な態度を押し通す積もりらしい。

玄徳は何も言わず、子幹に拱手すると幕舎を後にした。


「あの左豊って奴はいまいま々ましいが、将軍も中々の頑固者ではないか!兄者、何故将軍に何も言ってやらぬのだ?」

「師をいさめるのは、礼に反する。それに、先生には悪い所が一つも無い。悪いのは、あの左豊という宦官だ…」

肩を並べて歩く翼徳の問い掛けに、冷静さを帯びた声で答える玄徳は、次第に歩みを速める。


「兄者、何か策があるのだな…!」

玄徳の歩調に合わせながら、雲長が問い掛けた。

雲長の方を振り返った玄徳は、目に微笑を浮かべる。


「左豊たちを追うぞ…!」


そう言うと走って軍門を潜り、玄徳は乗って来た馬に跨がると、同じく馬に跨がった雲長、翼徳らと共に左豊ら一行の後を追った。




左豊の一行は既に子幹の陣営を離れ、帰路きろいていた。

四頭立ての車馬しゃばに乗った左豊は、馬をぎょす従者を急かしている。


「ほら、もたもたするんじゃないわよ!一刻も早く、みかどの元へ帰り着かないと…!」

その時、殿しんがりから伝達の兵が駆け付けて来た。

「左豊様!何者かが、我々の後を追って来ている模様…!」


「何ですって…!?」

左豊は振り返って、後方に見える道の先を凝視した。

確かに、後方に砂塵が舞っているのが見て取れる。

その量からすると、然程さほどの集団では無さそうである。


「盧子幹め…!私をめるんじゃないわよ…!」


左豊はそう呟くと、羽扇で隠した口元を歪めて嘲笑あざわらった。



「奴ら、随分と急いでいるな…」

ようやく、前方に左豊たち一行の姿を発見した玄徳は、訝しげに呟くと、更に馬の速度を速めた。

やがて左豊一行は進路を南へ向け、林へと続く道へ入って行く。


「兄者、罠かも知れぬ。用心しろ…!」

馬首を並べて呼び掛ける雲長に、玄徳は黙って頷いた。


林へ突入し、少し速度を落として辺りを警戒する。

前方の左豊たちの姿は、既に目前である。


「止まれ!!」


玄徳はそう叫びながら、背中の剣を抜き放った。

雲長、翼徳もそれに続く。


左豊の車馬を護る兵たちも馬の足を止め、全員が抜刀する。

玄徳らは、彼らの剣をやすやす々と跳ね上げ、一気に左豊の車馬まで迫った。


「お前たちは何者か!?我々は朝廷の勅使である、無礼は許さぬぞ…!」

左豊はしゃの上で立ち上がり、玄徳らを一喝する。


「無礼は承知の上。あんたをこのまま、雒陽らくようへ帰らせる訳には行かぬのでな…」


玄徳はそう言って素早く馬を降り、左豊の車へ歩み寄る。


「わ、私に手を出したら…ただじゃ済まないわよ…!」

「ふんっ…俺は元々お尋ね者なのだ。今更、罪を重ねる事に躊躇ためらいはない…!」


狼狽うろたえる左豊を睨み付け、玄徳は剣を構えて迫る。


「兄者!そいつを殺すのか!?」

左豊の護衛兵たちを素手で殴り倒しながら、驚いた雲長が叫び、玄徳の側へ走り寄った。


「こんな奴は、漢王朝の弊害にしかならぬ!斬り捨てた方が世の為であろう!」


「おい!あんた、兄者は本気だぞ!兄者を怒らせたら、俺たち義兄弟きょうだいでも手が付けられぬ…!大人しく言う事を聞いた方が身の為だ…!」

怒り心頭しんとうを発する玄徳をなだめながら、雲長は左豊へ向かい声をひそめながら、そう言って説き伏せる。


「止めるな、雲長!こんな奴を生かす必要は無い…!」

「ひぃ…っ!」

左豊は肩をすくめ、上体をけ反らせた。


すると突然、玄徳の頭上から黒い影が現れ、何者かが左豊の車の前を塞いだ。

「!?」

そこには、黒い着物を纏った、二人の屈強な男たちが立ちはだかっている。


「あんたたち!助けに来るのが遅いわよ…!さっさと、そいつらを倒してしまいなさい!」

腰を抜かした左豊は車に座り込み、玄徳らを指差しながら二人の男たちに怒鳴る。


口角から泡を飛ばす左豊を、冷めた目付きで一瞥いちべつする彼らは、黙ったまま玄徳らを睨み付けた。

「詰まらぬ猿芝居は、もう充分だ…」

左目に眼帯をした男は、そう低く呟く。


「何だと…!俺たちの邪魔をするのでは無い…!」

雲長が剣を構えて男らに迫り、鋭い一撃を繰り出した。


男たちは雲長の素早い攻撃に身をひるがえし、二手に別れると、髭の濃い大男は雲長に、眼帯の男は玄徳へと斬り掛かった。


「ぼやっとするんじゃない!さっさと馬を走らせるのよ!」

「は、はい…!」

その隙に、左豊は従者を叱り付け、車馬を走らせ始める。


「逃がさぬ…!」

玄徳が車を追おうとすると、眼帯の男がそれを遮った。

玄徳には、男を一閃にして斬り捨てる自信があったが、相手は勅使の一行である。

ここで無駄に殺しをするのは、後々分が悪くなりそうだと思った。


「ちっ…!」

小さく舌打ちをすると、男と睨み合う。


先程から、何か違和感を感じていたが、よく見ると男は左手に剣を握っている。

その立ち姿に、玄徳はある人物の影を重ねて見た。


この男…あいつに似ている…


そう思ったのも束の間、男は玄徳に鋭く剣を突き出し、間断かんだん無く攻撃を繰り出して来る。

玄徳は大剣をかざして男の攻撃を跳ね返し、数合打ち合ったのち、襲って来る剣刃けんじんを受け止めた。


剣を交差させたまま、暫し膠着こうちゃくする。

すると男は突然、今まで使わなかった右腕を振り上げ、素早く横へ薙ぎ払った。


右手に匕首ひしゅを隠し持っていたのだと思ったが、着物から覗く男の右腕は、肘から先に剣刃を取り付けた義手であった。


玄徳は上体を反らしながらそれを躱したが、男の攻撃は速く予想以上に剣先が長い。

玄徳の長い髪が切断され宙を舞った。


「兄者!!」

残りの護衛兵たちを相手に奮闘していた翼徳が叫び、玄徳の方へ走り寄ると、剣を振り翳して眼帯の男へ斬り掛かる。


「こいつの相手は俺がやる!早く左豊を捕まえに行ってくれ…!」

「分かった…!此処はお前に任せるぞ!」


素早くかばう様にして立つ翼徳の肩を叩くと、自分の馬へ駆け寄り、玄徳は左豊の車が去って行った道へ向けて馬を走らせた。

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