第63話 内通者

「張譲よ…われは真実が知りたい…!この者の申す事は、真実であるか?」

皇帝にとっては、驚くべき事ばかりである。皇帝は困惑した表情で張譲を見た。

張譲は顔を引きらせ、声を震わせると、目に涙を浮かべながら皇帝の足元にすがり付く。


「陛下…!この者たちは、わたくしに有らぬ罪を着せ、おとしいれようとしているのです…!」


そこへ、皇帝の前に進み出た王子師は、床にひざまづく張譲を指差しながら怒鳴った。


「張譲殿が黄巾党と密かに通じ、賄賂を手にして官軍の情報を敵に流している事も、既に調べが付いています!陛下、彼こそ我々をたばかる逆賊なのです…!」


更に子師は言葉を続け、張譲を苦々しい表情で睨み付ける。

「そのむすめが、張譲殿の侍女じじょとして屋敷で働いていた事も、既に家人かじんたちから確認が取れている。それでも、まだしらを切る積りか…?!」


その喧騒の中、皇帝の足元に跪き項垂うなだれる張譲の姿を、蹇碩けんせきは部屋の隅で青褪あおざめながら見守っていた。


やがて顔を上げた張譲は、孟徳らをやや不敵な笑みを浮かべて見回し、再び皇帝に向き直ると、今度は涙を流した。


「私が、黄巾党の者と密かに通じていた事は、事実でございます…しかし、それは黄巾党の内部を調査させる為であり、決して、陛下を裏切る積もりではございません…!私は、どんな時も陛下の事が一番であり、何よりも陛下の為とあらば、危険も顧みる事はありません…その結果、遂にこの様な目に遇ってしまったのです…!」


切々と語る張譲を、皇帝は怒りを抑えているのか、複雑な表情のまま黙って見下ろしている。


「陛下が私をお疑いでしたら、どうぞこの場で、私の首をおね下さい…!陛下に疑われては、生きている価値もございません…!」


その言葉に皇帝は驚き、瞠目した。

皇帝には迷いがある。それと見た王子師は、かさず皇帝の側へ走り寄り、声を荒げた。


「陛下!この者を、決して赦してはなりませぬ!黄巾党の者と通じても赦されるなどと知れば、我が官軍の士気にも影響を与えるでしょう…!」


張譲はしおらしく、皇帝の前にぬかずいている。

その姿に、皇帝は激しく心を揺さられていた。


「もう良い…!」

遂に皇帝は、怒りを吐き捨てる様に声を上げた。


危急ききゅうの事態であるこのときに、仲間同士で争っている場合では無かろう…!われはこの様な詰まらぬ争いを、見てはおられぬ…!」

皇帝はそう言って、その場の全員に背を向けると、朝廷から去ろうとする。


「陛下…!」

驚いた子師は、皇帝を呼び止めた。

振り返った皇帝は、明らかに不機嫌そのものである。


「もう良いと申しておる…!死んだ娘は、手厚く葬ってやるが良い…!」


そう言うと、皇帝はさっさと朝廷を後にした。


一体、何が良いのか…?!王子師は叫びたかった。

結局、皇帝は張譲を罰する事無く、彼を赦してしまったのである。

子師は力無く肩を落とすと、天を仰いだ。


王子師め…!皆の前で、わしに恥をかかせおって…!

床に跪いたまま、その姿を背後で見ていた張譲は、はらわたが煮えくり返らんばかりに目をいからせ、彼の背を睨み付けていた。


その頃、他にも黄巾党と内通していた悪徳宦官たちが何人も見付かっており、多数、摘発てきはつされていた。

宦官の大物である張譲の罪を暴く事が出来れば、宦官一掃の足掛かりを掴めたかも知れない。

悔しさをにじませる子師の背を、孟徳は黙したまま、ただじっと見詰めていたが、彼の心境もまた同じであった。




晴れ渡る空は次第に茜色あかねいろに染まり、夕焼け空に映える北邙山ほくぼうざんの丘の上に立った孟徳は、翠仙の遺体を埋葬し終え、目の前に広がる雄大な景色を眺めた。


「翠仙…お前と一度、此処へ立って、一緒にこの景色を眺めたかったな…」

孟徳は風に向かって、小さく呟いた。


「孟徳様、翠仙殿から、これをお預かりしておりました。」

風の中にたたずむ孟徳の背に虎淵が呼び掛けながら歩み寄り、懐から翡翠ひすいの首飾りを取り出すと、彼の前に差し出した。

孟徳は視線を落とし、虎淵の手の中で輝く翡翠を、悲しげな瞳で暫し見詰め、静かにそれを受け取った。


「孟徳様は、出会った時から一度も、翠仙殿の事を疑わなかったのですか…?」

「………」

孟徳は暫し黙して首飾りを見詰め、やがてそれを自分の首に掛けた。


「ああ、一度も疑わなかった…と言えば、嘘になるかも知れぬが…たとえ翠仙が敵の刺客であったとしても、俺は彼女を信じたかったのだ。翠仙を、愛していたから…」


孟徳の目に涙の雫が光り、頬を伝い落ちる。


「翠仙に命を奪われるのであれば、それも天命であると…本気でそう思っていた。恋は盲目であり…翠仙もまた俺を信じ、俺の為に自ら命を捨てたのだ…」


涙を流す孟徳に、貰い泣きをこらえる様に、何度もまばたきを繰り返す虎淵は、強い口調で言った。


「僕には、翠仙殿のお気持ちが、良く解ります…!孟徳様の為なら、僕も命を惜しみません…!」


「ふっ…虎淵お前、俺に恋をしているのか?」

「似た様なものです…!」

そう言うと虎淵は、潤んだ瞳のまま、白い歯を見せて爽やかに笑う。


孟徳には、虎淵の優しさが心に染みた。

濡れた頬を拭い、虎淵に微笑を返した時、夕闇に染まる遥か遠い紫紺しこんの空を、一筋の星が流れた。

孟徳は顔を上げ、瞳を輝かせてその星を見詰めた。


「翠仙…俺はお前の事を、決して忘れる事は無い…!」


やがて辺りの景色は夕闇に溶け込み、夜空に無数の星の影が広がり始めた。




宛県城でのいくさは、朱儁将軍と指揮下の孫堅による二方面からの急襲作戦が功を奏し、落城させる事に成功していた。


孫堅に主力部隊を預け、城の西南を攻撃させると、朱儁は自ら五千の精鋭部隊を率い、防備が手薄になった城の東北側に攻め掛かり、城内へ突入したのである。


官軍の主力を率いた孫堅は、黄巾軍の正面攻撃を跳ね退け、自ら果敢に先頭に立って城壁を乗り越えるという勇猛さを発揮した。


城を捨てた黄巾軍の残党は、小城へ逃げ込み抵抗を続けたが、既に戦意は低下し、やがて降伏を申し出て来た。


朱儁に従軍していた司馬の張超ちょうちょう、荊州刺史の徐璆じょしん、南陽太守の秦頡しんけつらは、

「彼らの降伏を受け入れるべきである。」

と朱儁に進言したが、朱儁は都合よく降伏して来る彼らには信を置けぬと考え、その申し出を拒否。徹底抗戦する構えを見せた。


降伏も許されず逃げ場を失った黄巾軍は死兵と化し、激しく抵抗を続けた為、なかなか降す事が出来ない。

朱儁は再び包囲を解いて、敵が討って出た所を捕らえる作戦に切り替え、脱出を謀った韓忠かんちゅうを遂に捕らえた。


しかし、韓忠に対し怒りを募らせていた、南陽太守の秦頡が彼を殺した為、一度降伏した黄巾軍は恐れ、今度は孫夏そんかと言う者を大将として再び抵抗を続ける。


その後、急襲により逃げ出した孫夏を、西鄂県せいがくけんの精山まで追撃した朱儁は、遂に彼らを打ち破る。


それにより、激しい抵抗を続けた南陽黄巾軍が鎮圧されるのは、冀州黄巾軍の鎮圧ののちの、十一月の事となるのである。

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