第55話 黄巾起義


年が改まってすぐ、一つの事件が起こった。


太平道の教祖、張角の腹心である馬元義ばげんぎが雒陽に潜伏し、宦官たちに内通工作を行い、内と外から一斉に蜂起する計画を密かに進めていたのだが、部下の裏切りにより、計画が皇帝側に発覚してしまった。

馬元義と一味は即座に捕らえられ、馬元義は車裂くるまざきの刑によって殺された。


この事態を重く見た皇帝は、三公や司隸しれいに命じ、宮中の衛兵や民衆を取り調べ、乱に荷担しようとした者や内通者千人余りを誅殺し、張角捕縛のめいくだした。


計画が露呈してしまった張角は、予定より早く計画を実行せねば成らなくなり、諸方の信者たちに命じて一斉に蜂起した。


張角は自ら"天公将軍"と称し、二人の弟たちを、それぞれ"地公将軍"、"人公将軍"として、集めた武装信者たちを指揮させた。

彼らは皆、「黄天の世」を目指す事を掲げ、頭に黄巾を巻き着けた為、"黄巾党"と呼ばれた。


皇帝は、宋皇后が廃され新な皇后に何氏かしを迎えており、その異母兄である何進かしんを大将軍とし、近衛兵を率いて首都雒陽を守備させ、八つの関に都尉といを置いた。


その後、当時最も名声が高かった、北地太守ほくちたいしゅ皇甫嵩こうほすうらの進言によって、"党錮とうこの禁"により捕らえられていた党人たちを許し、官界から追放されていた清流派の知識人が、反乱軍と結束する事を防ぐ処置を行った。


更に、皇甫嵩は皇帝の私財放出を上申。蓄財した銭と皇帝所有の馬を軍に提供し、人材を募って各地の諸侯しょこう、豪族らの協力を得た。

皇帝は皇甫嵩を左中郎将に任命し、右中郎将の朱儁しゅしゅんと共に、四万の兵を率いて豫州よしゅう潁川えいせん方面の黄巾討伐へと向かわせた。


黄巾党の本拠と言える冀州きしゅう方面には、北中郎将に任命された、盧植ろしょくが討伐に向かった。


この乱で、王允は豫州刺史を拝命し、荀爽じゅんそう孔融こうゆうらを幕僚ばくりょうに迎え、黄巾討伐の為の軍備を整えた。


王子師は意気揚々として、孟徳の篭った書庫を訪れた。


「曹孟徳殿、是非わしの幕僚に加わり、共に黄巾討伐へ行こうではないか…!」


漢王朝の衰亡を憂慮している事を知っている王子師は、孟徳が喜んで討伐軍に参加すると見ていた。

しかし、彼を見詰める孟徳の目は、喜ぶ所か益々憂いを帯び曇っている。


「王先生…この乱に乗じて、功を挙げようと諸侯、豪族がこぞって参戦している事をご存知でしょう…」

「勿論、皆この王朝を助けたいと願っているのだ。それに、黄巾討伐に成功すれば、名を挙げる絶好の機となる。君にとっても、好機であろう…!」


「確かに、その通りです…しかし、考えても見て下さい。黄巾党の者の殆どは、悪政に苦しみ、り所が無く、仕方なく張角に頼った農民や平民たちばかりです。黄巾党を討伐すると言う事は、王朝の民を殺す事と同じではありませんか…?そのような戦に…俺は、行きたくはありません…!」


孟徳は、子師を真っ直ぐに見詰めて答えた。

それを聞いた子師は、目に険しさを現し、孟徳を見据えた。


「王朝転覆をはかり、打倒をくわだてる黄巾党に従った時点で、その者たちは全て賊軍ぞくぐんである…!賊軍を討伐するのは、当然の事。正当性は我らにこそ有る…!」


二人は暫く睨み合った。

王子師の言う事は、もっともであり、正論である。


だが、それには心が無い…


戦となれば、いやおうにも敵をたおさねばならない。


全ての敵を降伏させるには、その数は余りにも多く、時間が掛かり過ぎる。

そうなれば、朝廷側から圧力が掛かり、下手をすれば職務怠慢とみなされ、死罪に処される可能性もあるだろう。


どう考えても、この戦に参加するのは、気が重過ぎる。


「今こそ、漢王朝の底力を発揮せねば成らぬという時に…君には、失望した…」

子師はそう言って小さく溜め息を吐くと、孟徳から目をらして立ち上がり、振り返る事無く、さっさと書庫から出て行ってしまった。


孟徳は書庫に座したまま、やがて辺りが暗闇に包まれるまで、一人黙考した。



四月、穎川郡へ進軍した朱儁率いる官軍と、波才はさいの率いる黄巾軍が激突した。

敵をあなどった訳では無いが、黄巾の勢いは予想より遥かに強く、朱儁の軍は波才に打ち破られ、敗走してしまった。

更に、長社ちょうしゃ県に陣を敷いていた皇甫嵩の軍を、波才は十万もの黄巾軍で包囲したのである。


この知らせに、朝廷は騒然となった。

皇帝は、直ぐに援軍を派遣する事を決定したが、有能な武将は殆ど出払っており、兵を率いる指揮官がいない。


誰に兵を預けるかで悩んでいると、宦官の張譲が、皇帝の前へ進み出て助言を述べた。


「援軍を指揮するのは、曹孟徳が良いでしょう。」


それを聞いた皇帝は、首を傾げた。

「曹孟徳とは…議郎の、あの曹操…孟徳の事か…?」


皇帝の目に映る曹孟徳とは、文官であり、華奢きゃしゃと呼べる程小柄で、少女の様な風貌をした若者である。兵を率い戦場で戦う様な勇猛さを、とても想像出来ない。


「お言葉ですが、陛下…指揮官に必要なものは、勇猛さだけでございません。知恵や勇気のある者が、最も相応ふさわしいのです。曹孟徳は、そのどちらも兼ね備えております。それに、彼が預かるのは我が王朝の鍛え抜かれた官軍。何もご心配には及びません。是非とも、彼にお命じ下さいますよう…」


張譲がもっともらしく論ずるのを聞いて、皇帝は成る程と納得した。

それに、何より一番信頼している宦官のげんである。


「良し、分かった。其方そなたが申すのであれば、間違いは無いであろう。曹孟徳を騎都尉きといに任じ、直ぐ様、戦地へおもむく様伝えよ…!」


そのめいが下されると、張譲は頭を低くして皇帝に礼をしたが、その下では目を細め、ほくそ笑んだ。



「あの曹孟徳を推薦するとは…張譲殿、どういった見解がお有りか…?!」

蹇碩は、宮殿から退廷する張譲を捕まえ、辺りに目を配りながら問い掛けた。


「約束致したであろう。いざとなれば、曹孟徳は死地へ追いやると…」


張譲は蹇碩に向き直る事無く、事も無げに答える。

更に、今度は声を低くし、訝し気な蹇碩に横目で視線を送った。


「黄巾党とは、密に連絡を取り合っておる…曹孟徳は、戦死に見せ掛けて始末すれば良い。この王朝が倒れようが倒れまいが、我々は生き延びる事が出来るという訳だ…」


それを聞くと漸く安心した様に、蹇碩は目元に微笑を漂わせた。

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