第53話 奉先の決意 《二章 最終話》


奉先は突然、目を開いた。

気付くと、冷たく狭い車の床にうつぶせに倒れている。

その車は、酷い悪路あくろを走っているらしく、上下左右に激しく揺れていた。


重い体を引きずりながら、奉先は車の前方へ這い寄り、荷台から身を乗り出すと、馬をぎょしている者の肩を背後から掴んだ。


「うぎゃ…!!」


陵牙はいきなり肩を掴まれ、心臓が飛び出す程驚き、大きな悲鳴を上げた。


「何だよ!?驚かせるな!気付いたのだな、良かった…!」

陵牙は馬に鞭を呉れながら振り返り、青白い奉先の顔を見下ろす。


「陵牙、お前か…!?管狼はどうした…!?」

「あの人は…将軍たちを食い止めると言って、城に残った…!」


「何だと…!?」


奉先は瞠目し、咄嗟とっさに手綱を取る陵牙の腕を掴んだ。


「陵牙!今直ぐに、馬を止めろ…!」

「!?」


「引き返すのだ…!!」


怒鳴る奉先を、陵牙は驚きの表情で見下ろした。


「何だって?!馬鹿な事を言うな!そんな体で、将軍と戦えると思うのか?!戻れば、俺たちまで殺される…!管狼殿は決して引き返すなと言って、俺たちを逃がす為、自ら犠牲となったのだぞ…!」


「分かっている!だが、将軍は簡単には管狼を殺さぬ筈だ…!まだ間に合うかも知れぬ…!」


「駄目だ!お前が何と言おうと、俺は引き返さない…!」

陵牙は頑固に首を横に振り、そう言うと奉先から顔を背ける。


奉先は陵牙の腕を掴む手に、力を込めた。


「頼む…!城門の前で、俺を降ろすだけで良い…!」


赤く潤ませた目を上げ、必死に訴える奉先の顔を横目に見ながら、陵牙は深い溜息と共に言葉を漏らした。


嗚呼ああ…!もう、どうなっても、俺は知らないぞ…!」


陵牙は天を仰ぎ、手綱を強く引いて馬の足をゆるめると、馬首を返して元来た道を引き返し始めた。

やがて雨風は弱まり、東の空は白々と明け始めていた。




鎖に繋がれ、傷だらけの足を引きずりながら、管狼は広場へと続く道を、馬に引かれて歩かされた。

残された左腕と、首にもかせを取り付けられ、強引に引っ張られる。


途中、何度も泥濘ぬかるみまり、足をもつらせて倒れた。

その様子を、城邑じょうゆうの人々は遠巻きにして、面白がって見る者もあれば、痛々し気に見ている者もある。


管狼の衣服は鞭で酷く打たれ、ずたぼろになり、露出した肌には無数の傷跡があった。

泥の中に倒れた管狼は、肩で激しく息をしながら顔を上げたが、その顔は無残な程殴られて醜くゆがみ、左目を潰されている。

そのおぞましさに、邑民たちは皆目を背ける程であった。


やがて広場へ辿り着くと、そこには処刑台が用意されており、台の上には、剣を握った李月と将軍が待っている。

管狼は残った右目で、うらめし気に二人を見上げた。


「わしへの裏切りは、誰であってもゆるさぬ…!それをこの場で、皆に証明して見せねば成るまい…!」


そう言うと将軍は、配下に命じて管狼を台の上へ上がらせ、自分の足元へ引き据えさせた。


将軍は暫し黙して、俯く管狼を見下ろしていたが、やがて床へ片膝を突き腕を伸ばすと、管狼の乱れた髪の上からその頭を優しく撫でた。


「どれだけ拷問を受けても、一度も命乞いのちごいをしなかったそうだな…大した奴よ…お前がわしの側近であった事、誇りに思うぞ…」


将軍はそう言って冷笑を浮かべ、静かに立ち上がると、剣を握った李月に目配せをする。

李月は一度大きく息を吐き、今度は大きく吸い込みながら、握った剣を頭上に高く振りかざした。


処刑台を取り巻き、見守る人々にも緊張が広がり、その場の全員が固唾を呑み沈黙する。


俯く管狼の首に狙いを定め、李月が剣を振り下ろそうとしたその時、突如人々の間からざわめきが起こった。


それに気付いた将軍は、素早く李月に近寄り、手で制する。



見ると、人々の間を覚束おぼつかない足取りで、黒い亡霊の様に歩く者の姿がある。


さざ波の様に身を引く人々は、異様な目で彼に道を開け、処刑台から真っ直ぐに一筋の道が伸びた。

項垂うなだれていた管狼はゆっくりと顔を上げ、赤く充血した右目をそちらへ向けた。


「奉先…!やはり、戻って来たな…!わしは、お前はきっと戻ると思っていた…!」


将軍は良く通る大声たいせいで、道の真ん中へ立ち尽くす、黒い亡霊に呼び掛けた。


「何故だ…何故、戻った…!?」

消え入りそうな程弱々しい声で、管狼はうなる。


奉先は黙したまま俯き、その場に立ち尽くしていたが、やがて顔を上げまぶたを開いた。


「将軍…管狼を、解放して頂きたい…!」


赤い目を上げ、処刑台の方を真っ直ぐに見据えながら、奉先は 声を振り絞った。

将軍は李月に剣を下ろさせ、奉先を睨み付ける。


「それで…?どうする積もりだ…!?管狼を斬れば、わしを殺すと言いたいか…!?」


「あなたに…ゆるしを請いに来た…」


そう言うと、奉先は再び瞼を閉じ、ゆっくりとその場に両膝を突いた。


「俺は…間違っていた…自分が、まともな人間だと自惚うぬぼれていた…」


更には、泥濘ぬかるんだ地面に両手も突き、深く首を項垂うなだれた。


「俺は、あなたの言う通り…生まれた時から、人殺しである…!二度と、あなたのめいに背いたり、盾突いたりはしないと誓う…!管狼と陵牙は、俺を哀れに思い助けようとしたに過ぎず、その罪はこの俺が負う…!管狼を、解放して頂きたい…!」


それを見た将軍は、ふんっと鼻で笑い、目を細めて奉先を見下ろした。


「わしと、取り引きをしようと申すか…!小癪こしゃくな…!」


処刑台の下にひざまづく奉先の姿を見た管狼は、やり切れぬ表情で顔を背ける。


「奉先…!」


その時、密集した人々を左右に押し分けながら、引き返して来た陵牙が、奉先の側へ走り寄った。


「陵牙…戻って来てくれたのか…」


奉先は虚ろな眼差しで、陵牙の顔を見上げる。


「ああ、俺たちは親友だろ…!何があっても、死ぬ時は一緒だ…!」


陵牙は奉先の肩を強く抱き寄せ、潤んだ瞳で笑って見せた。

その二人の姿を、暫し見詰めていた将軍は、やがて相好そうごうを崩す。


「…だが、お前がそこまで申すなら、考えぬでも無い…わしとて、長年側近として働いてくれた、管狼を斬るには忍び無い…」


そう言うと、将軍は管狼の側へ片膝を突き、彼の耳元に口を寄せると、微笑を浮かべながら囁いた。


「管狼、遂に奉先を口説き落としたな…!お前なら、やると信じておったぞ…!」


見開いた右目からこぼれる涙が頬を伝い、管狼は震える唇を強く噛み締めた。

将軍は管狼の肩をねぎらう様に叩き、再び立ち上がると、天に響く大声たいせいで高らかに言い放った。


「お前を赦そう、奉先…!これからは管狼に代わって、わしの手足となり、存分に働いて貰う…!」


そして勝ち誇った眼差しで、処刑台の下に跪く奉先を見下ろし、二人を処刑台の上へ手招いた。

奉先は陵牙に肩を支えられながら、台の上へ続く階段を上る。


台の上では、笑顔で二人を迎える将軍の姿があった。

その足元にうずくまる管狼は、涙に濡れた右目に悔しさを滲ませながら問い掛けた。


「わしは…此処で死ぬ運命であった…!何故、あのまま逃げなかった…!?」


「いや…あんたを犠牲にしてまで、俺は、生き伸びる訳には行かぬ…」


奉先は強くかぶりを振り、管狼の前に膝を突くと、彼の傷だらけの冷たい左手を握り締め、悲しげな目で、無残な管狼の姿を見詰めた。


「もっと早く、こうすべきであった…赦してくれ…!」


そう言うと奉先は肩を震わせ、深く項垂れると、膝の上に乗せた拳の上に、大粒の涙のしずくを落とした。



-《第二章 完》-

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