第52話 牢からの脱出


むしろを掛けた小さなしゃに馬を繋ぎ、冷たい雨が降りしきる中、陵牙は屋敷の東門の近くで、管狼の姿が現れるのを待っていた。


「今…何刻であろうか…?」


本当に、管狼が現れるのかさえ定かでは無い。

陵牙は不安感にさいなまれつつ、門の方を眺めていた。

 

その時、突然車が大きく揺れ、何かが積み込まれる。


「!?」

陵牙は驚いて馬から飛び降りると、車の荷台へ走り寄った。


いつの間にか現れた管狼が、車の中へ誰かを連れ込んでいる様である。

陵牙は首を伸ばして、中を覗き込んだ。


「奉先…!!一体、何があったのだ…!?」


車の中に倒れ込んだ奉先の姿に、陵牙は狼狽ろうばいした。

衣服は血で汚れ、手足は傷だらけで、裸足のままである。


「今は、説明をしている暇は無い…!直ぐに此処から、立ち去らねばならぬ…!お前、誰にもこの事を知られておらぬだろうな…!?」


管狼は鋭く振り返り、陵牙を睨み付けた。


「…あ、ああ、多分…大丈夫だ…」

「知られたのか!?」


曖昧に答える陵牙の胸ぐらを、管狼は素早く掴んだ。


「し、仕方が無いだろう…!俺は、字が読めないんだ…!」

「何故、早く言わぬ…!?」

「言う時が無かった…!」


嗚呼ああ…!

管狼は雨が落ちる、暗い天を仰いだ。


だが、今更、陵牙を怒鳴り付けた所で仕方が無い。

管狼は懐から、城門を通過する為の手形を取り出し、陵牙の手に握らせた。


「良いか、これで城門は通過出来る…!事は、既に露呈ろていしているであろう…!最早、時間の問題である…!」


そう言うと、自身も馬を隠しておいた管狼は、急いで陵牙に車をぎょさせ、その後を追って馬を走らせた。


既に感付かれ、将軍に城門へ先回りされていては終わりである。

管狼はそれだけを懸念し、馬を飛ばしながら、そうならぬ事をひたすら天に祈った。



城門へ辿り着くと、そこにはまだ将軍や配下たちの姿は無かった。


「良し、間に合った様だ…!」

管狼は、車を御す陵牙に馬を寄せる。


「急いでこの城を出て、ひた走りに走れ!決して引き返しては成らぬ! 」

「あなたは、一緒に行かぬのか…!?」

陵牙は不安な顔で、管狼を見上げる。


管狼は、車の中に倒れた奉先を振り返った。

幸い、奉先は車まで来た所で、気を失い倒れてしまっている。

暫しその姿を見詰めた後、再び陵牙に向き直った。


「わしは、ここで龍昇りゅうしょう様を食い止める…!お前たちだけで行け…!」


そう言い残し、管狼は城門から離れた場所まで馬で引き返し、二人の乗った車が門を通過するのを、そこから見守った。

いつの間にか、雨と風は激しくなり、稲妻の閃光が辺りを照らし出している。


やがて城門が開かれ、彼らの乗った車が、門を通過して行くのが見えた。


その時、遠い闇の奥から、雷鳴のとどろきと共に、無数の馬蹄ばていの音が不気味に鳴り響いて来る。

それは恐らく、将軍と引き連れた配下たちであろう。 


来たか…!


管狼は馬を降り、腰から剣を引き抜くと、前方へ向けて構えた。

振り返ると、城門はゆっくりとだが、閉まり始めている。


急げ…早く閉じよ…!


歯噛はがみをしながら、管狼はそれを見詰めた。

暗闇から、将軍たちの姿が浮かび上がる頃、遂に城門は閉じられた。


馬蹄の集団はやがて、はっきりとその姿が捕らえられる距離にまで迫った。


「管狼…!貴様、どういう積もりだ…!?」


先頭に立つのは、呂興将軍である。


雷光の元、照らし出された将軍は怒りを押し殺し、冷ややかな目で問い掛けた。

その隣には、李月が馬を並べている。


「わしが、あれ程言ってやったのに…何故、こんな馬鹿な事を…!」

李月は憮然ぶぜんとしながら、管狼を見詰めた。


「わしには…こうする以外、道は無かった…!」


管狼は、馬上の将軍と李月を見上げ、何処どこか悲しげな眼差しを投げ掛ける。


「…陵牙に、協力をさせたな…お前の所為せいで、関係の無い者まで死なせる事になった…一度だけ、機を与えてやる…逃がした奴らを、今直ぐに此処へ連れ戻せば、お前の命は助けてやる…!」


「龍昇様…わしが、自分の命惜しさに、仲間を売る様な人間では無い事を…知らぬ筈はありますまい…?」


管狼は目元に微笑を浮かべ、不敵にそう言い返した。


「お前を殺すのは惜しいが…仕方が無い。斬り捨てよ…!」


将軍が冷たく命令を下すと、馬を降りた配下たちが剣を構え、管狼を取り囲む。

李月も馬を降り、前へ出て同じ様に剣を管狼へ向けた。


「この先へは、何人なんぴとであろうと通す訳には行かぬ…!!」


凄みのある大声たいせいを放つと、管狼は向かって来る配下たちに斬り掛かった。


管狼は次々に、襲って来る敵を斬り伏せ、倒して行く。

流石に将軍が選んだ側近であるだけに、管狼の剣捌けんさばきは冴えている。

将軍の配下たちが、束になって掛かっても、物ともしなかった。


まるで鬼神きしんが乗り移ったかの如く戦う管狼に、李月が挑み掛かった。


李月が振り下ろした剣刃を、管狼は素早く受け止め、剣を押し返す。


その時、横から部下の一人が、管狼へ鋭くやいばを突き出したが、管狼は一瞬にして身をひるがえし、その攻撃をかわすと、着地と同時にその者を斬り伏せた。


異様な程青白い鼻息を吐き出し、興奮気味に首を振る馬の首筋を撫で、馬上で黒龍こくりゅうなだめながら、将軍は管狼の姿を見詰めていたが、やがて将軍は馬から降り、静かに前へ歩み寄った。


「見事だ、管狼…わしの右腕だけの事は有る…!お前たち、下がっていろ…」


そう言うと、将軍は腰にいた長い宝剣を構え、管狼に向ける。


「わしが相手になろう…全力で掛かって来い…!」


「………!!」


管狼は一度身を引いて、黙って将軍を睨み据えていたが、辺りに閃光が走った瞬間、やいばを翻して将軍の懐へ剣を突き出した。


将軍は素早くその攻撃をかわし、管狼の剣刃けんじんを跳ね上げたのち、再び鋭く振り下ろされる刃を、右へ左へと、巧にかわして行く。


取り囲んだ配下たちは皆、固唾かたずんでその様子を見守っていた。


そして数合すうごう打ち合った後、管狼の刃を弾き返すと同時に、将軍は素早く宝剣を一閃いっせんさせた。

管狼は後方へ飛び退すさったが、胸元を真一文まいちもんに斬られ、切れた着物から血がにじみ出る。


「くっ…!」

管狼は左手で胸を押さえた。


将軍は表情を変える事は無く、鋭い眼光で管狼を見据えている。

管狼は顔を上げ、その目を睨み返すと、再び将軍に斬り掛かる。


ほぼ同時に、将軍も長い宝剣を翻し、素早く管狼へ向けて走り寄った。


管狼の剣刃が将軍の右肩を斬り裂き、鮮血が飛び散る。

次の瞬間には、二人は互いにその身を交差させていた。


将軍が、いつ剣を振ったのかは分からなかった。


しかし、将軍が振り上げた剣刃には、おびただしい血がまとわり付いている。


管狼には、一瞬何の物音も聴こえなくなった。

降り落ちる雨粒の一つ一つが、ゆっくりと落ちて来る様に見える。


管狼は振り返り、自分の右腕が斬り落とされている事に、ようやく気付いた。


「うっ…!ぐあぁぁ…!!」


斬り落とされた右腕の傷口を押さえ、管狼はその場に崩れ落ちる。

将軍は、血が流れ出る右肩を押さえながら立ち上がり、管狼の前に歩み寄った。


「これで、お前はもう剣を振る事さえ出来ぬ…お払い箱と言う事だ…」


将軍の言葉は、冷ややかに、雨と共に上から落ちて来る様である。

管狼は泥に塗れ、それでも必死に立ち上がろうとした。


「だが、簡単には死なさぬぞ…!存分に苦しんでから、死ぬが良い…!牢で拷問に掛けろ。処刑は明日の朝だ…!」


そう言うと、将軍は李月に命令し、管狼を取り押さえさせると、縄を掛けて連れて行かせた。

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