第51話 非情の狼


数日が経過し、管狼は将軍の部屋を訪れた。


「"非情ひじょうおおかみ"と呼ばれたお前が、毎日、あいつを説得に行っているそうではないか…どういう風の吹き回しか…?」

管狼の顔を見ると、将軍は目元に微笑を浮かべて問い掛けた。


「わしも、人の子という事です…龍昇様、そろそろ許してやっては如何いかがです?」


それを聞いた将軍は、途端に気色きしょくを悪くする。


「わしに許しを請わねば、許さぬと申したであろう…!わしは、一度決した事をくつがえす様な人間では無い事を、お前は良く知っている筈だ…!」


「勿論です…しかし、あいつも頑固で、中々首を縦に振りません…このままでは、衰弱して死んでしまうでしょう。」


「…あいつが、それを望むのであれば、そうすれば良い…!」

将軍は冷たくそう言い、気に食わぬといった表情で管狼から顔を背けた。


止むを得ぬか…


管狼は小さく溜息を吐き、席を立つと部屋を出て行った。


外へ出ると、廊下で李月が待っている。


「無駄だと、申したであろう…!」

両腕を組んで踏ん反り返る李月は、当然という面持ちでそう言った。


「………」

「…おい…変な気を、起こすのでは無いぞ…!」

何も答えず、無言のまま歩き出す管狼の背中に、李月が呼び掛けたが、管狼は振り返らなかった。



あの管狼が、心を動かされているとは…


管狼が部屋を去った後、将軍は暫く一人で黙考した。


「珍しい事もあるものよ…」

そう呟くと、小さく笑った。



屋敷の門の前を、うろうろと歩き回っている人影がある。

門衛たちが彼を不審な目で見ていると、門が開き、中から配下数名を従えた呂興将軍が現れた。


「あ…!将軍!」

彼は叫ぶと、将軍の側へ走り寄った。


「…陵牙か…何だ?」


将軍は歩みを止め、怪訝そうに振り返る。


「あの…実は、もう十日近くも奉先が兵舎へ戻っておりません。何か、ご存知かと…」


陵牙は心底心配している様子で、不安げな眼差しで将軍を見上げている。

将軍は、暫く黙って陵牙の顔を見詰めたが、やがて目元に微笑を漂わせた。


「奉先は、わしの義弟おとうとである。いつまでも、兵舎へ寝泊まりさせては、不憫ふびんと思ってな…今は、わしの近くで寝泊まりさせてやっておるのだ…」


それを聞いた陵牙は、少し驚いた顔で瞠目どうもくしたが、やがて得心とくしんが行ったのか、小さく頷き、


「…そうでしたか…お手間をお掛け致しました…」

そう言って、将軍に拱手きょうしゅし、歩き去る将軍と配下たちを見送った。


「…はくを兵舎に残したまま、何も言わずに出て行くなんて…」

遠ざかる彼らを見詰めながら、陵牙は小さく溜息を漏らした。


「何て、薄情な奴なんだ…!」


陵牙は憤然ふんぜんとし、きびすを返すと、その場から立ち去ろうとした。


「待て…!」


突然背後から呼び止められ、陵牙は振り返った。


「お前、奉先とは仲が良かったな…?」


そこに立っているのは、将軍の側近の管狼である。


「…はい、彼は親友ですが…何か?」

「お前に、頼みたい事がある…今夜、会えないか?」


管狼は陵牙に素早く近付くと、彼の手に小さな切れ端を握らせた。


「…!?」


陵牙は戸惑ったが、管狼が声を上げるなと目で合図を送って来る。

管狼は、陵牙が頷くのも待たず、さっと彼の前を通り過ぎると、将軍と配下たちを追って行った。


暫く立ち尽くしていた陵牙は、握らされた小さな布の切れ端を開いた。

そこには、何やら文字の様なものが書かれているが、余り文字が読めない陵牙には、何の事か良く分からなかった。


誰かに、読んでもらうか…


しかしあの様子では、人に知られたく無い様である…

きっと、奉先に関係があるのだろう…!


陵牙は、その切れ端を縦や横にしながら、書かれた文字を何とか解読しようと試みた。 



夕刻、陵牙は相変わらず小さな切れ端を相手に、首をひねっていた。

陵牙の座した床に置かれた、その切れ端の上を、はくが不思議そうに歩く。


「こら、あっちへ行け…!」

陵牙は、しっしっと片手を振って、白を追い払った。

その様子を見ていた、同じ部屋の先輩が背後から覗き込む。


「一体、何をやっておるのだ?」

そう言うと、陵牙の前に置かれた布の切れ端を、素早く取り上げた。


「あ…!おい、めろ…!」

陵牙は慌てて取り戻そうとしたが、先輩は笑って陵牙を制する。


「怪しいな…!恋文か!?どれどれ…"の刻、東門とうもんしゃって待て"…?何だ、これは…?」

「あんた、読めるのか!?亥の刻とは…あとどれくらいある!?」


陵牙はその先輩に、掴み掛からんばかりの勢いで問い掛けた。


「さ、さあ…今からなら、四刻半といった所か…?」

「四刻…!しゃを用意しろという事か…急がねば…!」


陵牙はそう言って、急いで兵舎から飛び出した。



暗い夜空は、次第に雲行きが怪しくなり、月は完全に雲に覆われてしまう。

夜半前やはんまえには、冷たい雨が降り始めた。


雨の落ちる音が、暗い地下牢にも響き渡って来る。


扉が開かれ、中へ何者かが入って来る気配を感じ、奉先は目を上げた。

入って来た人影は、奉先の側へ素早く近寄り、手足を拘束しているかせを外そうとしているらしい。


「管狼、あんたか…何をしている…?」

奉先は声を出している積もりだが、その声は弱く掠れ、はっきりとは聞き取れない程である。


「此処から出るのだ…!今夜、龍昇様は出掛けておられ、この屋敷には居ない。門衛たちには、眠り薬を混ぜた酒を飲ませ、眠らせておるから心配は無い…」


そう言いながら、管狼は手早く枷を取り外した。


「余計な事を、しない方が良い…!俺を逃がせば、あんたが危険な目に遭うだけだ…!」


奉先は、振り絞る様に言った。

管狼は構わず、奉先の肩を抱え、立ち上がらせようとする。


「わしの心配など良い!このままでは、お前は確実に死ぬ…!こんな所で、死んではならぬ…!」


「何故だ…何故そこまでして、俺を助けようとする…!?」


奉先は訝し気な目を向け、管狼を見据えながら問い掛けた。


「…お前は、わしを助けてくれた。今度はわしが、お前を助ける番である…それに…わしは昔、幼い我が子を助けられなかった。また、同じ思いをするのは嫌だ…!」


管狼は、奉先の肩を支えながら顔を上げ、虚空こくうを見上げた。


「……それなら、あんたも一緒に逃げよう…!あんたが行かぬなら、俺も行かぬ…!」


奉先は、管狼を睨み付ける様にして言った。

管狼は驚いて奉先を振り返り、暫し黙って彼の目を見詰め返したが、やがてその目を細めた。


「分かった…わしも、共に行こう…!」


奉先は管狼に体を支えられ、何とか立ち上がったが、自分でも驚く程、足に力が入らない。

それでも、何とか歩を進め、二人は地下牢を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます