第50話  地下牢 


夜空に浮かぶ赤い月は、霞んだ薄い雲の間から、不気味な光を地上へと降らせている。


管狼、李月の二人に拘束こうそくされ、奉先は薄暗い屋敷の地下へと、引き立てられて行った。


この屋敷の地下に牢があるなど、今まで知らなかった。

恐らく、刃向かう者や、捕らえて来た者をそこへ閉じ込め、拷問に掛けたりするのであろう。


悪趣味な将軍のやりそうな事だと、奉先は朧気おぼろげに思った。


そこへ連れて来られた者は、自分がどんな目に合わされるかと、恐怖に震えながら、そのじめじめとした薄暗い通路を歩いた事だろう。


今正いままさに、自分がその立場にいる筈であるが、不思議と恐怖心は沸き上がらない。

思考が、既に麻痺しているのであろうか…

奉先には、まるで他人事ひとごとの様に思えていた。


やがて、頑丈な鉄で組み合わされた、鉄格子のある扉が見えて来る。

扉の外側には、大きなかんぬきが取り付けられ、内側からは開ける事が出来ないらしい。


その重い扉を開くと、その奥に、どれ程の広さがあるかも分からない暗闇が広がっていた。


管狼と李月は、奉先をその中へ引っ張って行くと、壁から伸びる鎖に取り付けられた、幾つかのかせを、彼の手足、更には首にも固定する。


奉先はさして抵抗する事も無く、意外な程大人しく鎖に繋がれ、冷たい石の床に座り、項垂うなだれたままであった。


管狼は奉先の前に膝を突き、彼の顔を覗き込んだ。


「奉先…将軍は…龍昇りゅうしょう様は、お前を嫌って、こんな事をしているのでは無い…お前に、強くなって貰いたいのだ…!」


管狼の声が耳に入っているのか、いないのか、奉先は反応を示さず、黙したままである。


「…あの童子を斬らせたのも、お前の為になると、心を鬼にしてやった事であろう。悪い事は言わぬ…龍昇様に許しを請い、こんな所から一刻も早く出るのだ…! 」


奉先を説得している管狼を、李月は腰に両手を当て、側で呆れた様に見下ろしている。


「管狼、余計な事は良い…!もう行くぞ!」

そう言って、憮然ぶぜんとしながら背を向け、さっさと牢から出て行こうとする。

管狼は暫くの間、俯いた奉先を見詰めていたが、やがて腰を上げ、李月に続いて牢を出て行った。


牢の扉にかんぬき施錠せじょうし、二人は地下から地上へと続く階段を上がった。


「余り、あいつに関わるな。情が移ったのではないか?」

李月が、歩きながら不満気に話し掛ける。


「…わしは昔、幼い一人息子を病で失った…生きておれば、あいつと同じ年頃になっていたであろう…お前も妻子を持てば、分かる筈だ。」


地上へ出て、赤い月明かりに照らされながら、管狼は呟いた。


「わしは妻子など要らぬ。餓鬼はうるさいだけだし、女は抱くだけで充分だ…!」

「そうだな…確かに、お前には向いておらぬか…」

管狼が言うと、李月は声を上げて笑い、大股で廊下を歩いて行く。


遠ざかる李月の背を眺め、管狼は歩みを止めると、地下牢へ続く通路を振り返り、その先を暫し見詰めた。




その暗闇の中では、時間の感覚が失われる。


どれ程の時が経ったのか…数刻すうこくが経過した様な気もするが、ほんのつかの間であった気もする。


最早、自分が眠っているのか、起きているのかも、よく分からなくなっていた。


何処かにねずみの巣があるらしく、牢の片隅を小さな影が動き回っている。

奉先は、何処からともなく、暗闇に細く小さく差し込む明かりの方を、ぼんやりと見詰めていたが、やがて視線を、足元の冷たい床に落とした。


こんな場所に、体の自由を奪われ、閉じ込められるとは…自業自得である…


あの時…俺は何故、門を開かなかったのか…?

どんな自分であっても、きっと孟徳殿は、受け入れてくれた筈である。


この屋敷で、初めて孟徳と再会した時の事を思い出していた。


門の向こうから呼び掛ける、孟徳の声を聞いた時は、正直驚いたが嬉しさもあった。

一人の配下の為、危険をかえりみずここまで追って来てくれたのだ。


俺は一体、何にこだわり、何を恐れていたのであろう…?

今となっては、後悔しか無い。


奉先が目を閉じると、まぶたの裏に、大きく目を見開いて、自分を見上げる血塗ちまみれの童子の姿が浮かんだ。


強くなるとは、どういう意味だ…?

心を捨て、獣の様に人を殺し、心に痛みを感じなくなれば、強くなったと言えるのであろうか…?


違う…そんなのは、絶対に間違っている…!


奉先は深く項垂れたまま、闇の中で自問自答を繰り返した。



突然、重い扉が開く音がして、奉先は目を開いた。

いつの間にか眠っていたのであろう、意識が朦朧もうろうとしていた。


牢へ入って来るのは、管狼であった。

管狼は、奉先の前に膝を突き覗き込む。


「…腹が減っているだろう?飯を持って来てやった…」

そう言いながら、管狼は器に入れた、一握り程度の焼き飯を差し出した。


奉先はうつろにそれを眺めたが、食べる気にはなれない。


「奉先、お前はわしの命を救ってくれた…あの時、お前が居なければ、わしは確実に敵に斬り殺されていただろう…わしも、李月もあの時死んでおれば、お前は一人で逃げる事も出来た筈だ。何故そうしなかった…?」


「…さあ、そんな事を、考える余裕など無かった…」


奉先は顔を上げる事無く、小さくかすれた声で答えた。


「わしらを、仲間と認識しておったからでは無いか…?お前は、仲間の為なら、どんな窮地きゅうちであっても、果敢に戦える…!その勇猛さこそ、龍昇様がお前に期待し、愛して下さっている事であろう…!」


管狼は、強く奉先の肩を掴んだ。


「詰まらぬ意地を張っては駄目だ…!わしらと共に、龍昇様の手足となって働こうでは無いか…!」


ようやく、奉先はゆっくりと顔を上げ、管狼の顔を見上げる。

その目には、怒りと悲しみが宿っている…管狼はそう感じた。


「…俺は、もうあの人には従えぬ…!」


怒っているのか、泣いているのか…奉先の目は赤く潤んでいる様に見える。

やがて管狼は静かに立ち上がり、その薄暗い牢を後にした。


それから毎日、管狼は奉先の元を訪れ、粘り強く彼を説得したが、奉先は中々首を縦に振らない。

次第に、目に見えてやつれて行く奉先の姿に、管狼は自分の無力を感じるばかりであった。

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