第49話 赤い月夜


翌日の夕刻、管狼と李月に案内され、その男が隠れ住んでいるという家へ向かった。


「男は、かなり用心深い奴で、用事がある時以外、殆ど外を出歩く事をしない。今も、家の中にいる筈だ…もう少し、暗くなってから侵入しよう。」

管狼がそう言い、向かいの建物に身を潜めた彼らは、そこから暫く男の家の様子を伺った。


やがて日が完全に落ち、辺りに暗闇が迫ったが、男の家に明かりが灯る事は無い。


「誰も、居ないのではないか…?」

「そんな筈は無い…良し、行ってみようではないか…!」


いぶかしがる奉先の肩を叩き、管狼は小さく言うと、李月に見張っているよう伝え、奉先を連れて男の家の方へ走った。


裏口の戸を開け、二人は中を覗く。

その日、月は異常な程に赤く輝いていた。

差し込む月の光りも、ほのかに赤く染まっている。


家の中はしんと静まり返っており、人の気配は全く無い。


「わしは、ここで見張っている。用心しろよ…奴は何処かに隠れているのかも知れぬ…!」

管狼が小声で奉先に呼び掛けると、奉先は黙って頷き、腰の宝剣に手を掛けながら、家の中へ静かに入って行った。


家の中は、ひどく殺風景である。

男の姿が何処にも無い所か、人が暮らしているという、生活感が全く見受けられない。

奉先には、始めから嫌な予感が付きまとっていた。


これは…


やがて嫌な予感は、確信に変わって行く。


罠か…!!


そう思った時、背後を何者かの影が走った。

素早く振り向き、奉先は腰から剣を抜き放った。


暗がりの中で、部屋を仕切る何枚ものすだれが揺れている。


何処だ…!


敵は、素早く彼の左側へ移動し、再び背後へ回ろうとしているらしい。


真後ろへ来た、と感じた瞬間、奉先は振り返り様に剣を振り下ろし、そこに立つ人影を、簾もろとも斬り裂いた。


斬り裂かれた簾が、奉先の足元にはらりと落ちる。

そこに立つ者の姿が、暗がりの中、赤い月の光りで照らし出された時、奉先は我が目を疑った。


立っていたのは、まだ年端としはも行かぬ、幼い童子であった。


その童子は、大きな瞳を上げて奉先を見上げている。

やがて、斬り裂かれた童子の着物が、真っ赤な鮮血に染まり、口から大量の血を吐き出すと、その場に崩れ落ちた。


「おい…!」

奉先は咄嗟に、右腕で倒れ掛かる童子の体を受け止めた。

童子は何かを言おうと口を動かしていたが、聞き取る事は出来ない。


やがて全身から力が抜け、童子の体はぐったりとして動かなくなった。


何故…!?何故こんな事に…!?


奉先の頭の中は錯乱した。

そこへ、異変に気付いた管狼が飛び込んで来る。


「何があった!?その童子は、どうした…?」

「…分からぬ…俺が、斬ったらしい…」


奉先は、絶命した童子を抱えたまま、暗闇に項垂うなだれている。

管狼は走り寄ると、腕から童子を引き離し、呆然とする奉先の肩を強く引っ張って立ち上がらせた。


「とにかく、もう行くぞ…!計画は失敗だ…将軍へ報告に行こう…!」


そう言うと、無理矢理引きずる様にして、その家から奉先を連れ出した。



そこから、どうやって将軍の屋敷へ辿り着いたのかさえ覚えていない。

気付いた時には、衣服や両手は血塗ちまみれれのまま、将軍の待つ居室の前に立っていた。


「どうだ?上手うまったか?」

焦燥しょうそうしながら、室内へ入って来る奉先をいぶかる様に、将軍が問い掛けた。


「…いえ、あの家に、男は居なかった…!」


奉先は落ち着き無く、床に胡座あぐらをかいて座っている将軍の前を歩き回っている。


「少し、落ち着いてはどうだ…?」

将軍はそう言いながら、自分の前の座席を指差す。


「何故、こうなったのか…分からない…!あそこには、童子しか居なかった…!」


「それで…?その童子を、お前は斬ったのか…?」


「暗がりで…良く見えなかった…!」

奉先は声を震わせて言うと、血に染まった手で自分の頭を抱えた。


「まあ、落ち着け…お前はきちんと、役目を果たしたではないか…!」


将軍のその言葉に、奉先は顔を上げ、振り返った。


「それは…どういう意味です…?」


「お前がる相手は、始めからその童子だったのだ…あれは、死んだ衛賢えいけんの息子よ。お前がらずとも、どの道命は無かった…」


冷めた目付きで、将軍はそう言った。

奉先には何の事か、一瞬では理解出来なかったが、やがて全身から一気に血の気が引くのを感じた。


自分は、まんまとめられたのだ。

愕然がくぜんとその場に立ち尽くす奉先の背後から、管狼と李月が入って来る。


「お前たち…始めから、知っていたのだな…?」

奉先は鋭く二人を睨み付ける。


「わしらは…ただ、お前を必ず一人で行かせろと言われただけだ…こんな事になるとは、知らされていなかった…」

管狼は、奉先から目を逸らし、俯きながら答えた。

彼は、嘘を言っていない様である。


奉先は、赤い目を上げて、今度は目の前に座る将軍を睨み付けた。


「俺に…わざと、童子を斬らせたのか…!?」


全身から怒りが込み上げて来る。

やがて、目を伏せた奉先は怒りに震え、まぶたを上げると同時に、左手で素早く腰の剣把けんぱを掴んだ。


その瞬間、管狼が走り寄り、奉先の腕を掴んで押さえ付ける。

せ…!」

背後から李月も掴み掛かり、あらがう奉先を羽交い締めにした。


それを見た将軍は素早く立ち上がり、奉先の目前に迫ると、彼の髪を鷲掴わしづかみにして首を上げさせた。


「貴様、何様の積もりだ…!ただの人殺しの分際で、わしに刃向かうとは…!」


「違う!俺は、人殺しでは無い…!」


取り押さえようとする、管狼と李月を振りほどこうと、奉先はもがいた。


「以前、趙泌ちょうひつという小男を殺せと命令した時、お前は、連れの小娘を逃がしたな…!その事に、わしは目をつぶってやったのに、それで聖人にでもなった気か!?良い気になるのでは無い…!」


奉先は憤然ふんぜんとし、赤い目をいからせて将軍を睨み付けたが、その姿を、将軍はただ冷淡に睨み返すだけである。


呼吸は乱れ、息をするのも苦しくなって来た。

次第に全身から、あらがう力が失われて行く。


「今まで、何人の人間をその手に掛けて来た…?その癖、童子一人殺せぬとは、笑止…!わしは、お前のその弱さを、克服させてやったのだ…!」


自分でも、訳が分からなくなって来た。

今まで自分は、何の為に剣を振って来たのか…?誰かをまもる為では無かったか…?


人を殺す為に、自分は生きているのか…!?


やり場の無い怒りと、悲しみが、強く胸を締め付ける。

奉先は遂に、その場に膝を屈し、頭を深く項垂うなだれた。


「そいつを、地下牢へ閉じ込めておけ…!反省し、わしに許しを請うまで決して出しては成らぬ…!」


将軍がそう言い捨てると、管狼と李月は奉先を立ち上がらせ、強引に部屋の外へ引っ張って行った。

それを冷ややかな眼差しで見送った将軍は、小さく舌打ちをしながら、窓の外から覗く赤い月を見上げた。




はくが小さな鳴き声を上げながら、部屋の入り口に爪を立て、かりかりと引っ掻いている。


「白、どうした?外へ出たいのか…?」

陵牙が近寄ると、にゃあ…と小さく鳴いて、大きな瞳で見上げる。


「仕方が無いなぁ…俺は、動物が苦手だって言うのに…」


陵牙は小さく溜め息を吐きながら、白の小さな体を、恐る恐る抱き上げ、兵舎から外へ出た。


夜風はまだ冷たく、肌を刺す様な寒さである。

陵牙は、白を腕に抱き、冷たい夜空に浮かぶ赤い月を見上げた。


「今宵の月は、何だか気持ちが悪い…それにしても、お前のあるじは遅いな…」


そう呟いて、白の小さな頭を撫でた。

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