第46話 戦《いくさ》の後《のち》


「その猫、どうした?お前が拾ったのか?」


陵牙りょうが胡乱うろんな眼差しで、とこで横になりながら、白い小さな子猫とたわむれている奉先ほうせんを見た。


「ああ、そうだ。可愛いだろう?」

子猫を抱き上げると、陵牙の顔の前にぶら下げる。


「うっ…お、俺は動物が苦手なんだ…!」


奉先の腕を押し戻しながら、陵牙は渋い顔付きをした。


「そうなのか…?それは知らなかった。」

そう言って笑いながら、奉先は子猫に頬を擦り寄せる。


「こんな所で飼う積もりか…?将軍に見付かったらどうする?」

「心配無い。将軍には、見付からぬ様に気を付ける。なあ、はく…!」

はく?名前まで付けたのか?!…しかし、白いからと言って"はく"と付けるのは、安直過ぎやしないか?」

陵牙は呆れた顔で、子猫に頬擦ほおずりをする奉先を見た。


「良いのだ…はくで。」


奉先は目を細め、白の小さな頭を撫でた。



降龍の谷での戦いで、師亜しあの率いる盗賊団たちに大敗をきっしてしまった呂興りょこう将軍であったが、数日後、師亜たちが砦から居なくなったという偵察兵の報告を受け、急いで谷へと向かった。


将軍は、率いて来た兵たちを砦へと突入させたが、砦の中は既にもぬけの殻となっていた。


結果的に、将軍は師亜を砦から追い出す事に成功し、刺史しし暁塊ぎょうかいは大いに喜んだが、将軍は釈然とせず、それから毎日、不機嫌に酒をあおる日々を送っていた。



その日、奉先は将軍に呼び出され、夕刻に将軍の屋敷へ向かった。


門の前には、将軍の側近二人が立って待っている。

二人は奉先を見ると、白地あからさまいやな顔をしたが、付いて来いとあごしゃくって屋敷へ入って行った。


相変わらず、歓迎されておらぬ様だな…


奉先は黙って、二人の男の後を付いて歩いた。


この側近の男たちは、将軍が奉先を配下にし、更には義兄弟ぎきょうだいとなった事を知ると、慶賀けいがする所か、驚き呆れた。


長年、将軍に近侍きんじしてきた彼らとしては、仲間の刺客たちを殺し、どこの馬の骨とも分からぬ者を歓迎する気にはなれない。


殺された刺客の分まで、彼に働いて貰おうというのは分からぬでも無いが、それにしても、奉先に対する将軍の待遇は破格はかくである。

何故、それ程に将軍が奉先を気に入るのかも、彼らには全く理解出来ない。


将軍の居る部屋の前まで来ると、二人は相変わらず面白くない顔付きで、終始一言も発さず、その場から立ち去った。


部屋へ入ると、既に将軍は泥酔でいすいしており、だるげな顔で、入って来る奉先を見上げた。


「遅かったではないか…!待っていたのだぞ…!」


「申し訳ございません。」


奉先はいて来た宝剣を脇に置き、将軍に向かい合って、床に正座した。

将軍は覚束おぼつかない手つきで、酒器しゅきからさかずきへ酒を注ぎ、奉先の前に差し出す。


「お前も飲め…」

「俺は、酒を飲みませんので…結構です。」


将軍は酔眼すいがんを鋭く上げ、感情を表に現さぬまま答える奉先を睨み付けた。


「付き合えと言っているのだ…!全く、詰まらぬ奴だ…!」


声を荒げる将軍には動じず、奉先は小さく溜息をいた。


「兄上…少し、飲み過ぎではありませんか…?」


「お前が、わしの心配などするのか…?」

将軍は、ふんっと鼻を鳴らし、再び酒を煽る。


「そんな事より…お前を呼んだのは、仕事の話しをする為よ…!」


そう言うと将軍は、傍らに置いた地図を広げ、その上に指を置いた。


「ここより東に、じょうというまちがある。そこに、衛賢えいけんという賈人こじんが住んでいるが、その者は反乱軍を手引きし、奴らに多額の資金を援助しているという…」


奉先は両膝に手を乗せたまま、将軍の指し示す場所を目で追った。


「反逆罪で奴を捕らえ、仲間の居場所を吐かせた上、隠し持っている資産を全て没収する…!抵抗するなら、殺しても構わぬ…!」


将軍は不敵に笑みを見せながら、目を落としたまま、黙考しているらしい奉先の顔を見た。


「浮かぬ顔をするな…お前がるのは、王朝の反逆者だ。それに、一人で行くのでは無い。管狼かんろう李月りげつを共に行かせる。あいつらは衛賢を見知っているからな、心配は要らぬ…」


奉先は眼差しを上げて、将軍の酔眼を見詰めた。


管狼と李月は、先ほど一緒にいた、あの二人の側近たちの事である。

彼らと、奉先の仲が悪い事を知らぬ筈は無いが、敢えて彼らを一緒に行かせるというのは、彼らが将軍の目であり、監視されているという事だ。 


「わかりました…それで、いつ発つのです?」

「明日の朝には、出発してもらう。今日は、此処へ泊まって行くが良い…」


そう言い終わると、将軍は突然、睡魔すいまに襲われたのか、気だるげに手で奉先を追い出す仕草をすると、その場で床の上に横になった。


「兄上、此処で寝ては体を壊します。」


奉先はそう言って、将軍の肩を揺すって起こそうとしたが、将軍はわずらわしげに彼の手を払い退ける。

仕方がない…と、奉先は将軍の肩に腕を回し、かかえる様にして抱き起こすと、強引に立ち上がらせて、寝所しんしょまで連れて行った。


しょうの上に俯せに倒れ込んだ将軍は、そのまま寝息を立てて眠り始める。


「…俺が刺客なら、今頃殺されているな…」


無防備に眠り込む将軍を見下ろしながら、奉先は呟いた。


いっそ…このまま将軍を殺して、此処から逃げようか…


奉先はうつろな目を将軍の背に向け、腰にいた宝剣に手を掛けると、剣把けんぱを強く握り締め、ゆっくりとさやから引き抜きながら背後に迫った。


仄暗ほのぐらい燭台の明かりに照らされた剣刃は、怪しい七色の輝きを放つ。


奉先の殺気に全く気付かぬ様子の将軍は、相変わらず大きく寝息を立てながら眠り続けている。


「………!」


沈黙の時が流れ、止まったかの様に感じられた。


奉先は剣を完全に鞘から抜き放つ事はせず、暫くそのまま微動だにしなかったが、やがて小さく息を吐きながら、ゆっくりと剣を鞘に戻し、完全に収めると、再び自分の腰に掛けた。


仮初かりそめであったとしても、義兄ぎけいである…裏切る訳には行かぬか…


奉先はそう思いとどまり、静かに目を伏せると、素早くきびすを返して、寝所から出て行った。



奉先が部屋から出て行く音が遠退とおのくと、将軍は牀の上に横になったまま、そっと閉じたまぶたを上げた。


ゆっくりと体を起こし、右手に握って胸の下に隠し持っていた匕首ひしゅを取り出した。


「…襲って来たら、これで心臓をえぐり出してやる積もりだったのだが…」

そう言いながら、怪しく光る匕首の切っ先を眺める。


「ふん…っ、詰まらぬ奴よ…!!」


そう言って、匕首を床に投げ捨てると、再び牀の上に体を大にして寝そべった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます