第41話 五色棒


門衛から棒を受け取ると、それを体の前で構え、孟徳は永光と女の前に立ち塞がった。

永光は女の肩を押し退け、剣を孟徳に向けた。


「面白い、俺とやり合う気か…!この前の借りは、まだ返していなかったな…此処できっちり返してやる…!」


そう叫ぶと、永光は孟徳目掛けて剣を振るった。


酒に酔ってはいるが、永光の剣捌けんさばきは不味まずくは無い。

だが、彼の剣は空を切るばかりで、孟徳の体に触れる事は愚かかすりもしない。

孟徳は、素早い動きで永光の剣を避け続けた。


やがて、永光の足がふらつき始める。

孟徳はそれを見逃さず、永光の動きが一瞬止まったと見るや、鋭く棒を振り上げ、彼の腕や足をしたたかにに打ち据えた。


「ぎゃっ…!!」


永光は悲鳴を上げ、たれた箇所を押さえて後退あとずさる。

見る間に永光の顔は赤くなり、再び剣を握ると、こめかみの辺りに青筋を立てながら、孟徳に突進した。


「この…糞餓鬼くそがきが…!もう容赦し無ぇ!!」


そう叫びながら、力任せに剣を振り下ろす。

腕っ節に自信があるだけの事はあり、永光は予想より遥かに剛腕である。

飛び退いた孟徳の足元の石畳いしだたみは、永光が振り下ろした剣で、深くえぐれた。


酒に酔っていなかったら、歯が立たなかったかも知れぬな…


孟徳は永光の激しい攻撃をかわしながら、冷静に考えた。

更に剣刃は、修繕したばかりの門塀もんぺいや壁を破壊する。


門衛たちは只々唖然として、その様子を見守っていた。


「いい加減に止めねば、酷い目に会わせるぞ!」


孟徳はさっと剣刃を避け、後方へ宙返りをしたかと思うと、着地と共に素早く五色棒を永光の胸元へ突き出す。

胸を棒で激しく突かれた永光の体は後方へ弾かれ、壁に激突した。

その衝撃で壁に亀裂が走り、またたく間に壁は崩れ落ちる。


「ええい…くそ…!!」

崩れた瓦礫がれきを押し退けながら、永光は再び立ち上がった。


「しぶとい奴だ…!だがそれだけの根性があるなら、俺の部下にしてやっても良いぞ!」


「ふざけるな…!誰がてめぇの部下になんかなるか!!」


孟徳は笑いながら言ったが、永光は本気で憤怒ふんどしている。

今にも、頭から湯気が出そうである。


永光は再び剣を振り回して、孟徳に斬り掛かったが、最早その体力は限界に達している。

孟徳は攻撃をかわし、棒をくるくると回しながら、永光の腕、背中、腰と次々に打ち据えて行った。


「ぎゃっ!ひぃ…っ!あぎゃっ…!……!!」

その度、永光は悲鳴を上げる。


「まだ、あと三十発だ…!!」


孟徳はそう叫んで、永光に跳び掛かる。

全身を五色棒にしこたま殴打され、遂に永光は剣を放り出し、その場に頭を抱えてうずくまってしまった。


それでも孟徳は容赦無く、永光の体を棒で打ち続ける。

体を叩かれる音が響き、永光が悲鳴を上げる度、それを見ていた門衛たちは皆、思わず肩をすくめ、目をそばめた。


永光の悲鳴は次第に細くなり、やがて聞こえなくなった。


ぐったりとしたその体を、孟徳が棒で押して仰向けにすると、永光は泡を吹いて気を失っている。


「もう良かろう。傷を手当てして、帰してやれ!」


孟徳はそう言い、五色棒を部下に投げて渡すと、門の前でうずくまって震えている女に近付いた。


「お前は、あの男に連れて来られただけであろうから、見逃してやる。早く家へ帰れ…!」

そう言われた女は震えながら頷き、転がる様に足をもつらせながら、その場から逃げて行った。



「あ、あの野郎…!今度会ったら、ただじゃおかねぇ…!くそっ…い、痛てぇ…!」


すっかり夜が更けた街の通りを、永光は一人、覚束おぼつかない足取りで歩いていた。


目を覚ました永光を、孟徳は門衛たちに屋敷まで送らせようとしたが、永光はかたくなに拒絶し、一人で屋敷へ向かった。


狭い路地を通り、角を曲がると、屋敷まではあと少しである。

永光は冷たい壁に手を突きながら、よろよろと歩いた。


ふと、背後に人の気配を感じ、永光は振り返って後ろを見た。

「誰だ…?!誰か居るのか…?!」

息を殺し、目を細めて暗闇を凝視するが、そこに居る者の姿は見えない。

急に、永光は背筋に寒気を感じ、痛む体で必死に前へ進んだ。


角を曲がろうとした時、今度は突然前方から人影が現れ、永光の行く手をさえぎった。


「な、何だ…お前たち…?!」


いつの間にか、永光は前後を何者かに塞がれていた。

逃げ場は何処にも無い。

永光は額に汗を浮かべ、迫り来る人影に押される様に、冷たい壁へもたれ掛かった。



翌朝、寒風を頬に受けながら、爽やかな朝の空気を吸い込んで歩く孟徳は、狭い路地を抜けた先にある裏門を叩いた。


その屋敷の一室へ入って来る孟徳を、しょうの上で横になっていた虎淵は、驚きの表情で迎えた。


「孟徳様、来て下さったのですね…!」

「ああ、今日は非番なのでな…そのままで良い。」

急いで体を起こそうとする虎淵を手で制し、孟徳は牀の脇へ腰を降ろした。


「孟徳様、仕事は順調ですか?」

「勿論。お前も早く良くなって、朱公偉しゅこうい殿の元へ行かねば成らぬ。大夫たいふもお前を心配して、見舞いに来たいと申しておられた。」


「え?!朱大夫が…?!」


虎淵は瞠目どうもくして、孟徳の顔を見上げる。


「ははは…!お前は肝が小さい故、大夫殿が顔を見せれば、忽ち卒倒してしまうと言って、断っておいた!」

「も、孟徳様…」


孟徳が軽快に笑いながらそう言うと、虎淵は眉を寄せ、安堵と不満の混ざった、複雑な表情を見せる。


突然、孟徳は笑いを収め、じっと虎淵を見詰めた。


「だが…お前が元気になれば、俺の元を離れて行くのだな…それも、複雑な思いだ…」


「僕は、孟徳様の元を離れても…心はいつも、孟徳様の側に有ります…!」


虎淵はそう言って、孟徳の手を強く握り締めた。


その時、部屋の入り口で小さく咳払いをする声が聞こえる。

二人が振り返ると、戸口に玄徳が立っていた。


「取り込み中、悪いな…孟徳、ちょっと良いか…?」

「?」

孟徳は虎淵の牀を離れ、玄徳に付いて部屋を出て行った。


狭い廊下の隅へ孟徳をいざない、少し辺りに目を配ると、玄徳は声を殺しながら慎重に話し始めた。


「今、市場へ行って来て…邑民ゆうみんたちが、お前の事を話しているのを聞いた…」


「ああ…"乱世の奸雄"の話か?それなら…」

孟徳は笑って返そうとしたが、玄徳はそれを制した。


「いいや、そうでは無い。お前、邑民を殺したのか…?!」


「…え?!」


孟徳は驚いて、玄徳の顔を見上げた。

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