第32話 千頭の龍

やがて孟徳の剣は折れ、倒れた兵士から抜き取った剣で戦った。

しかし、倒しても倒してもりが無い。

仲間の兵たちも皆奮闘したが、一人また一人と敵に倒されて行く。


最早もはや…此処までか…!」


疲弊ひへいしきった孟徳が天を仰いだ時、砦へ向かっていた玄徳の率いる騎馬隊が戻って来て、敵中を突破し、こちらへ向かって来るのが見えた。


玄徳は大剣たいけんを振りかざし、馬上の兵たちを薙ぎ倒す様にして、次々に地面に叩き落として行く。


「この先の間道は既に封鎖した。別の道を使って、砦へ戻るぞ!走れるか…?!」


創傷そうしょうによって、玄徳の真っ白い着物にも血が滲んでいるのが見えた。

孟徳は黙って頷き、徒歩で玄徳たちの騎馬隊の後に付いて走った。


「奴らを逃がすな!追え…!」

敵の騎兵部隊の隊長が叫んで、地響きを立てながら、彼らの後を追って行く。


切り立つ崖沿いの道を使って、玄徳たちは砦へ向かって進んだ。

玄徳らの騎馬は馴れた足取りで進んでいるが、道幅は狭く、足を踏み外せば崖下へ転落してしまう様な場所である。

やがて、前方に砦が見えて来た。

孟徳の体力は最早限界に達していたが、気力で何とか持ちこたえていた。


後ろを振り返ると、敵の騎兵部隊も崖沿いの道を通って、直ぐ後ろまで迫って来ている。

孟徳は兵たちを急がせて砦へ向かわせると、自らは剣を片手に、向かって来る敵の前に立ちはだかった。

「孟徳様…!」

虎淵は驚いて、孟徳に駆け寄った。


「虎淵、お前は先に行け!砦で、玉白が待っている…!」

「それは、孟徳様も同じでしょう…!僕は、引きません!」

そう言って、虎淵も剣を構えた。


「お前たち、こんな所で死ぬ積もりでは無いだろうな…!」


振り返ると、直ぐそこに玄徳が立っている。大剣を手に二人に近付いた。


「我々の為に、良く此処まで戦い抜いてくれた…」

玄徳は二人を見詰めながら、微笑した。


「もう充分だ、お前たちは逃げろ…!」


「まだ、諦める積もりは無い…!最後まで、俺は戦う…!」


孟徳はそう言って、剣把けんぱを強く握ると、押し寄せる敵兵に向き直った。

玄徳と虎淵も、孟徳の隣に立ち、剣を構えて敵を迎え撃つ構えを取る。


地を蹴る騎兵部隊の馬蹄ばていの音が、次第に大きくなって来る。

地響きを立てながら迫り来る敵兵が、遂に彼らの目前にまで達した。


その時、突然辺りに低い地鳴りが響き渡った。


「?!」


崖の上から、ぱらぱらと石や砂が降って来る。

敵兵たちの乗った馬も異様な気配に気付き、突然停止すると、激しくいななきを上げて立ち上がる。


孟徳は頭上を見上げた。

そして、彼の目は信じられない物を捉えた。


「あ、あれは…!龍…!!」



天から、銀色に輝く龍が舞い降りて来る…!!


孟徳の目には、そう映った。

「孟徳様…!危ない!!」

虎淵が叫んで孟徳に飛び付き、後方へ勢い良く押し倒した。


降りて来た龍は、敵兵たちの真上から、一気に地面へ落ちて砕け散り、逃げ遅れた騎馬たちを巻き込みながら、激しい水飛沫みずしぶきを上げて崖下がいかへと落ちて行く。


水の勢いはとどまる事無く、孟徳たちと敵兵たちを分断する様に流れ落ちている。

体を起こした孟徳が、砦の方を振り返って見上げると、砦の岩肌のあらゆる箇所から突如出現した滝が、何本も流れ落ちているのが見えた。

夕陽に浮かび上がるその光景は幻想的であり、身震いする程美しかった。


「千頭の龍の伝説は…本当であった…!」


孟徳は瞳を輝かせて、その光景を見詰めた。


「あの砦の中には、幾つもの水脈があってな…ここ暫く降り続いた雨で蓄えられた水が、遂にせきを切って外へ飛び出したのであろう…」


玄徳も砦の方を見上げた。


「だが…こんな事になるとは、俺も予想していなかったがな…!」

そう言って孟徳の方を振り返り、初めて見る様な笑顔を向けた。


崖下を見ると、下を流れる小さな川は次第に水嵩みずかさを増し、やがて激流へと姿を変えて行く。

「ここに居ては、我々も危険だ…!」

玄徳はそう言って二人を立ち上がらせると、三人は崖沿いの道を砦の方へ向かって走った。



呂興将軍の騎兵部隊は、行く手を阻まれた上、引き返そうにも道幅が狭く、円滑に進む事が出来ない。

右往左往していると、やがて砦の方から、谷間を激流が下って来るのが見えて来た。


「…まずい…!退却だ!退却しろー!」


騎兵隊の隊長が、声をらさんばかりに叫んだ。

兵たちは慌てて狭い道を引き返し始めたが、押し合いの末、馬が足を踏み外し、大勢の兵士が馬と共に崖下へと転落して行く。

逆巻く激流が岩肌にぶち当たり、阿鼻叫喚する兵士たちを、次々に飲み込んで行った。


砦の方から、長く低い地響きが鳴り響いて来る。

谷間を退却していた陵牙の部隊にも、その異様な音が聞こえていた。

奉先は馬を止め、砦の方を振り返った。


「何の音だ…?あれは…」

いぶかし気に目を細め、陵牙が呟いた。


やがて谷の向こうから、白い物がこちらへ向かっているのが見えた。

白い壁の様にも見えるそれに、奉先は青ざめた。


「陵牙…!兵を連れて、丘へ上がれ!」


そう叫ぶと、馬を走らせ、崖を駆け上がった。

そして眼下の兵たちに、声を限りに叫んだ。


「全員丘へ向かえ!振り返らず、真っ直ぐ走れ!!」

その声に、兵たちは一瞬どよめいたが、皆我先にと丘の方へ走り出す。


だが、怒涛どとうの如く迫り来る水の勢いは凄まじく、あっという間に彼らの部隊に到達し、兵士たちを飲み込んで行く。

「陵牙…!」

丘の中腹まで兵たちを引き連れて上がっていた陵牙が、激流へと落ちて行くのが見えた。


崖に登った奉先の馬も、見る見る水位の上がって行く水に沈み始め、遂に激流に巻き込まれた。

馬と共に渦巻く水中へ引き込まれた奉先は、必死に水面を目指したが、大量に流れて来る馬や兵士たちが妨げとなり、辿り着く事が出来ない。

何度も意識を失い掛けながらも、流れて来た流木を掴み、やっとの思いで水面へ辿り着いた。


激しい流れで何度も水を被り、水中に飲まれそうになりながら陵牙を探したが、彼の姿を見付ける事は出来ない。

必死に流木にしがみつき体を預けると、奉先は遂に意識を失った。



丘の上からその光景を目にした偵察隊が、急いで呂興将軍の元へ駆け戻る。

「敵は、水計を用いて我が軍を壊滅しました…!此処も危険です!高所へ避難を…!」


「水計だと…?!」


将軍は信じられぬという表情で、偵察兵を睨んだ。


だが迷っている暇は無い。

将軍は残った全部隊を、速やかに丘へ上がらせた。

その直後、谷の奥から凄まじい激流が迫って来た。

あと一歩遅ければ、将軍の本隊も巻き込まれていたに違いない。

眼下を流されて行く自分の兵士たちを、将軍はただ見ているしか無かった。


「おのれ…師亜め…!全軍撤退だ…!」


将軍は血走った目で、生き残った部隊の将たちに命令した。



やがて、流れ落ちる滝の勢いが収まり始めた頃、玄徳たち三人が砦へと辿り着いた。


「兄者!無事だったか…!」


嬉しそうに叫んで、翼徳が走り寄って来る。

疲労困憊ひろうこんぱいした三人は、砦の門をくぐるとほぼ同時に、地面に倒れ込んだ。


「あれを見たか?!砦の反対側でも小競り合いがあったが、突然噴き出した滝に恐れを成して、奴らしっぽを巻いて逃げて行きやがった!」

がっはっはっ!と機嫌良く笑いながら、翼徳は戦況の報告をする。


「翼徳…少し黙ってくれないか…!」

玄徳は仰向けに倒れ、目を閉じたまま、息を整えながら言った。


「何だよ兄者、だらしないではないか!この程度で、へたばるなんて…!」

体を起こした玄徳は、何か言いたそうに眉を寄せて翼徳の顔を見たが、言葉が出て来ない。


「孟徳…!虎淵…!」


奥から玉白が走り寄り、倒れた二人の前に膝を突くと、心配そうに覗き込む。

傷付いた二人の姿に、玉白の胸は締め付けられ、まぶたに涙が溢れた。


「玉白、怪我はもう良いのか…?」

孟徳が体を起こしながらそう言うと、玉白は孟徳の胸に飛び付いた。


「心配かけたな、すまなかった…」


強く胸に抱き着く玉白の肩は、小さく震えている。

孟徳は微笑し、玉白の頭を優しくで下ろした。

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