第24話 龍の伝説

岩肌を打ち付ける雨が、取り付けられた、小さな雨戸を叩いている。

砦の中では、砦の住民たちが皆、自分たちに与えられた仕事を、黙々とこなしている。


藁で筵を編む女や子供たち。武器や防具を鍛造たんぞう鋳造ちゅうぞうする男たちなど様々である。


翼徳は、子供たちが集めて運んで来た薬草や、乾燥させた木の身の種などを、大きな器に入れ、それを石ですり潰す作業をしていた。


「翼徳、あの若者に、余計な話を聞かせたな…!」

雲長が隣のむしろに腰を下ろし、声を掛けて来た。


「あいつが、兄者を愚弄ぐろうする様な事を申すから…俺はただ、本当の事を言っただけだ…!」

翼徳は手を休めず、顔も上げずに答えた。


「それが余計だと言うんだ…!兄者が漢の血胤けついんの話を嫌っている事を、知っているだろう…」

「そう言う雲長兄貴は、あいつに兄者の部屋を教えたろう?」

「それは、兄者に話がある、と言われたからだ…!お前とは違う!」

「違わない…!」

翼徳は顔を上げて、言い返した。

「いいや、違う!」

雲長は目を細め、口を尖らせて言い返す。


「お二人共、また喧嘩ですか?師亜様が戻られたら、また叱られますよ…!」

明明が二人の間に割って入り、運んで来たお茶を二人の前に置いた。


「しかし、兄者も変わり者よ。暗殺者を自分で出迎えに行くとはな…」

雲長はそう言って苦笑すると、熱い茶をすすった。


「暗殺者など、俺があっという間にひねり潰して、この薬草に混ぜて粉にしてやるのに…!」

雑巾を絞るような手つきをして見せた翼徳を、雲長は呆れた様な顔で見た。


「お前なら、本当にやり兼ねぬ…」

それを聞いた明明は、思わず笑ってから言った。


「今度の暗殺者がどんな人なのかを、どうしても見ておきたいのだそうですよ。」


「翼徳、雲長!!また喧嘩か?」


濡れた衣を脱ぎ捨てながら、いつの間にか三人の前へ玄徳が現れた。

「師亜様、何でもお見通しですね!!」

明明は笑って答える。


玄徳は雲長と翼徳の間に入り込み、二人の肩を叩くと、翼徳がすり潰している粉を、指ですくって嘗めた。


「うえ、苦い…!これは何の実だ…?」

あんずの種だ。"杏仁きょうにん"と言って、咳止めなどの薬になるのだ。糖蜜とうみつと混ぜれば、飲みやすくなる。」

「へえ…!」

雲長の説明を聞きながら、玄徳は明明を振り返った。


「明明、孟徳は何処に居る…?」


「孟徳様でしたら、奥のお部屋で、子供たちにきんを教えていますよ。」

明明は、玄徳が脱ぎ捨てた衣を拾い上げ、丁寧に折り畳みながら答えた。


「琴を…?」

「はい!孟徳様は、素晴らしい琴の腕前をお持ちなのですよ!!」

明明が感心した様な口調で言うと、翼徳が口を挟んで来た。

「琴など…何の役に立つんだ…!」



砦の奥の部屋へ近付くと、孟徳の奏でる琴のが鳴り響いて来る。

岩肌に反響するその音は、実に幻想的に聞こえた。

部屋の入り口には、女子供たちが集まり、大勢の人だかりとなっていた。


玄徳はそこへ、静かに近付いて、中を覗き込んだ。

一人の少女が後ろを振り返り、彼の存在に気付いて、「あっ」と小さく叫んだ。

玄徳は唇に軽く指を当て、少女に笑貌しょうぼうを向ける。


子供たちに囲まれ、琴を奏でる孟徳の姿は、実に優雅で美しい。

玄徳は、暫しその光景をうっとりとした眼差しで眺めた。


やがて曲が終わり、長いまつげを上げた孟徳は、そこに玄徳の姿がある事に気付き、手を止めた。


「孟徳、少し話がある…」

そう言って、玄徳は孟徳に部屋の外へ出るよう、目で促した。




「この砦は、いにしえの王たちが隠れ住んだとされる場所だ。千頭の龍によって、まもられたと言う伝説から、"降龍の谷"と呼ばれる様になった…」


薄暗く長い通路を歩きながら、玄徳は語った。

その後ろを、孟徳は黙って付いて歩いている。


「古の王は…人々と同じ暮らしをし、同じ衣服をまとい、同じ物を食べた。人々は、一体誰が統治者とうちしゃであるのかさえ知らなかったと言う…人の上に立つ者とは、そうあるべきだと、思わないか…?」

玄徳は振り返って、孟徳を見た。


「…さあ、どうだろうな…」


孟徳は曖昧に返事をした。

何故そんな話を自分にするのか、玄徳の真意を計り兼ねていた。

玄徳は更に、言葉を続けた。


「権力を振りかざし、贅沢な暮らしをするのが王では無い…」


二人はやがて、広い空間に辿り着いた。そこは、兵士たちの訓練場だった。

広場の先は空に繋がっており、そこから雨が降り注いでいる。

そばにあった剣を手に取り、玄徳は振り返って孟徳を見ると、それを投げて渡した。


「孟徳、剣を構えよ…!」

「え…?!」


唐突に言われ、孟徳は戸惑った。

玄徳は、背中の大剣を抜き取る。


「そちらから来ぬなら、こっちから行くぞ…!!」

そう言うと、いきなり斬り掛かって来た。


孟徳は素早く剣を鞘から抜き放ち、大剣を受け止めた。

その衝撃は、想像以上に大きく、孟徳の腕は激しくしびれた。

右肩の傷口に激痛が伝わって来る。


「くっ…!!」

思わず顔をしかめ、後退あとずさる。


玄徳は容赦無く、剣を打ち出して来る。

孟徳は逃げ惑う様にしながら、玄徳の剣を跳ね返した。


強い…!!

奉先と同じくらいか…いや、それより上かも知れぬ…!!


数合打ち合うと、孟徳の息は乱れた。

それでも玄徳は手を緩めず、更に攻撃を繰り返す。

やがて孟徳の体は、大剣の威力に堪えかね、よろけて片膝を地面に突いた。


「はぁ、はぁ…!」

「何だ、お前の腕はその程度のものか…」

玄徳は、冷ややかに見下ろしながら言った。


孟徳は右肩を押さえながら顔を上げ、玄徳を睨み返した。

「…くそっ!!」

再び立ち上がり、剣を構え直して玄徳と対峙たいじする。


「ようやく、本気になったか…」


玄徳はほんの少し、口の両端を上げた。


孟徳の目から、殺気立った光の揺らめきが見て取れた。

空から降りて来る、青白い光と雨粒たちが、二人の背後に幻想的に広がっている。

突如雷光が閃き、二人の影を浮き上がらせた。

その瞬間、孟徳は剣先を閃かせ、玄徳に鋭く剣を放った。


玄徳は素早くその剣をかわし、跳ね返したが、直ぐに次の一撃が飛んで来た。

今度は、玄徳が防御する立場に回る。冷静に、孟徳の打ち出す一撃一撃を確実に受け止め、弾き返した。


初めての打ち合いだが、孟徳には、玄徳が既に自分の剣を見切っている様に感じられた。決定的な一撃が入らない。

一度孟徳は下がり、玄徳と距離を開いた。


「お前の剣は、奉先から習ったのか…?」

「ああ、そうだ…!」

それを聞くと、得心とくしんが行ったという面持ちで、玄徳は孟徳を見詰めた。


「その男の事だが…悪い事は言わぬ、諦めろ…!」


「どういう意味だ…?」

孟徳は、玄徳を見詰めたまま、怪訝けげんな顔で、構えていた剣を下げた。


「その男には、良いきざしが見えぬ…」


真剣な眼差しを注ぎながら、玄徳は答えた。

孟徳は押し黙ったまま、玄徳を見詰めていたが、やがて俯きながら言った。


「お前の"予言"と言うやつか…分かった…」

そう言うと、玄徳に背を向けて歩き出す。


「協力出来ぬと言うなら、構わぬ…!俺たちだけで、何とかする…!」


「どちらかが、死ぬ事になってもか…?!」


玄徳は、呼び止める様に言った。

その時、再び雷光が閃き、孟徳は立ち止まった。


「…死は、誰にでも訪れる。生き永らえる事が重要か…?」


呟く様に言うと、孟徳は振り返った。


「お前は、この砦に人々を押し込め、護っているつもりだろうが、それは違う…!お前は、運命に立ち向かう事を、恐れているだけだ…!」


暫し黙して、孟徳を見詰めていた玄徳は、静かに口を開いた。


「その先に滅びが見えていて、その道を進むのは、きわみと言うものだ…」

「俺は、そうは思わない…!大事なのは、命の長さでは無い、どう生きるかだ…!」


二人は対峙したまま、無言で睨み合った。

やがて、孟徳は表情を少しだけ和らげ、真っ直ぐに玄徳を見詰めて言った。


「俺は、奉先と共に生き、共に死ぬ…!それだけで良い…!」


孟徳は再び背を向けると、後ろを振り向く事無く、その場を去った。

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