第20話 討伐軍

外は相変わらず、小雨が降っている。

雨足は然程さほど強くは無く、霧雨の様な雨だった。

道には、馬が走ったであろう蹄跡ていせきが残されている。

湿った地面を踏み締めながら、二人はまちの通りを走った。


「…ったく、自分たちが逃がしたくせによぉ…!何で俺たちが、こんな事を…」

陵牙は、ひたすら慨嘆がいたんを繰り返している。


その時、通りの向こうから悲鳴が聞こえ、声の方を振り返ると、祭りの出店が建ち並ぶ辺りで、色々な物が飛ばされて行くのが見える。


「いたぞ、あそこだ…!」


奉先は、陵牙の肩を叩いて、店の建ち並ぶ通りの方へ走った。


出店の人々が、暴れる馬の手綱を取って、何とか止めようと試みているが、その大きな黒い馬は、全く言う事を聞かない。

何人もが馬に蹴られては、出店に突っ込んでいる。


「げっ…!最悪だ、あの馬は"黒竜こくりゅう"と言って、将軍の一番のお気に入りなんだが…とにかく気性が荒くて、誰にも懐かない馬なんだ…!」


そう言っている間にも、黒竜は手綱を掴んだ人物を跳ね飛ばし、こちらへ向かって、再び走り出した。


「気を付けろ!危ないぞ!!」


誰かが叫んだ。

人々は悲鳴を上げながら、四方八方へ逃げ去って行く。

逃げようとする人波に揉まれ、一人の少女が路上に倒れ込んだ。

黒竜は、いななきを上げながら、真っ直ぐに向かって来る。


咄嗟に、奉先は地を蹴って疾走し、少女をその場からさらう様に、腕に抱き抱えた。

黒竜の巨体が、二人の真上をかすめる様に飛んだ。

少女を抱えた奉先は、そのまま転がる様に、向かいの店先に突っ込んだ。

背中を激しく打ち付け、思わず呻いたが、直ぐに体を起こし、倒れた少女を助け起こした。


「おい…!大丈夫か?!」


少女は一瞬、何が起こったのか分からないと言う顔で、奉先を見上げたが、自分の懐の辺りを手で探った後、慌てて辺りを見回し始めた。


何か、落としたか…?

そう思った奉先が、辺りを振り返って見ると、地面に散乱した店の品物に紛れて、書簡らしき物が落ちている。

奉先がそれを拾い上げると、少女は慌てて、その書簡を奉先の手から奪い取った。

少女は直ぐ様立ち上がり、衣服の汚れを払う事も無く、その場から逃げる様に走り去った。

「……?」

奉先は少女の行動に違和感を感じつつも、走り去る後ろ姿を黙って見送った。

あの子は…確か、昨日出会った娘ではないか…?


「おい!奉先…!あっちだ!!」


陵牙が叫んで、広場のある方向を指差し、走り出した。

はっとして我に返った奉先は、急いで陵牙の後を追い、広場の方へ向かった。


広場には、大勢の人々が人垣を作っていた。

その輪の中心に閉じ込められた黒竜は、激しく嘶きながら、輪の中を走り回っている。

やがて、広場に到着した陵牙と奉先は、人垣を掻き分けて輪の中へ入り、暴れる黒竜をなだめようと、二人で黒竜の進路を塞いだ。

黒竜は一度竿立ちになり、嘶きを上げたが、前脚を地に着けると、急に大人しくなった。


「やったぞ、奉先!今の内に、手綱を取る!黒竜の気を引いていろよ!」

「良し、わかった!」


陵牙は、そろりと奉先から離れると、ゆっくりと黒竜の背後に近付く。

黒竜の首の動きに合わせて、奉先は両腕を広げ、それ以上前に進めぬ様、気を配った。

黒竜は、前脚のひづめで何度か地面をいたが、やがて首を大きく振り、たてがみから覗く左目で、鋭く奉先を睨んだ。


次の瞬間、黒竜は勢いよく地面を蹴って、奉先目掛けて猛烈に突進した。


「!?」


奉先は、ける間も無く、黒竜の強烈な体当たりを喰らい、彼の体は宙を舞った。

「ほ、奉先…!!」

陵牙はその光景を、ただ呆気に取られて見ていた。


悲鳴を上げながら、人垣が割れたその先に、人工的に造られた大きな池がある。

その池の中へ、大きな水飛沫みずしぶきを上げながら、奉先の体が飛び込んだ。

陵牙は慌てて、池周りを囲む大きな岩に取りすがった。

すると黒竜は、今度は陵牙目掛けて体当たりを食らわし、勢い余って、陵牙も池の中へ突き落とされた。


池は然程の深さは無く、二人は池の中で体を起こし、水を吐き出したが、鼻から水が入り、激しくせ返った。

奉先が顔を上げると、割れた人垣から飛び出した黒竜が、嘶きを上げながら、再び走り去って行くのが見える。その姿は、次第に遠ざかって行った。

二人は呆然として、ただその姿を見送っているだけであった。


それから、二人はお互いの顔を見合わせたが、いきなり奉先が吹き出した。

それに釣られて、思わず陵牙も笑声を放った。


「ふっ…ははは!あっはっはっはっ…!!」

「あーはっはっはっはっはっはっ!!」


二人は池の水の冷たさも忘れた様に、腹を抱え、肩を大きく揺すって笑った。


辺りを取り囲んだ邑内の人々は、二人を訝しそうに見ていたが、やがて集まって来た童子たちが、二人を指差して笑い始めると、周りの大人たちも、一様に笑った。




結局、黒竜には逃げられ、不首尾に終わった二人は、ずぶ濡れのまま、仕方なく厩舎へ向かった。

二人が門を潜ると、先輩武将が二人を見咎みとがめ、走って来る。


「お前たち…!何をやっていたんだ!馬は既にうまやへ戻っておるわ…!」

「え…!?」

二人は呆気に取られて、お互いを見合わせた。


走って厩の中を見ると、黒竜は既に馬柵ませの中に入れられ、大人しく飼葉かいばんでいる。


「腹が減って、自ら戻って来おったわ…!この馬鹿共!祭りは台なしだ!お前たちは邑民ゆうみんたちの良い笑い者だぞ!!」


先輩は声を荒げ、二人を激しくののしった。

「もう良い!さっさと兵舎へ戻って、風呂へでも入れ!」

先輩に怒鳴られながら、二人は渋々厩舎を後にした。


「討伐軍からは外され、馬にまで馬鹿にされるとは…本当にツイてないぜ…!」


風呂から上がり、裸のままの陵牙は、濡れた衣服を竿に掛けながら、深い溜息をついた。


「構わぬではないか…討伐軍になど加わら無くても、他に仕事は幾らでもあるだろう。」

奉先も陵牙の隣に、濡れた衣服を掛ける。


「お前は、それで良いかも知れぬが…俺は嫌だ…!功を上げ、将軍に認めて貰いたいのだ!」


「………」

悔しがる陵牙を、奉先は黙ってじっと見詰めた。


やがて奉先が室内から出て、廊下を歩いていると、後ろから男に呼び止められた。

振り返って見ると、将軍の側近二人が立っている。

「将軍がお呼びだ。直ぐに着替えて参れ。」

そう言って、奉先に急ぐよう指図した。



二人の側近に付き添われ、奉先は呂興将軍の屋敷へ向かった。

雨はいつの間にか上がり、辺りはすっかり夜の闇に包まれていた。

側近が持つ炬火の明かりだけが、道を照らしている。側近の二人は、終始無言であった。

奉先もただ押し黙って、二人の後を付いて歩いた。

やがて屋敷に着くと、直ぐに将軍の待つ部屋へ通された。


室内に、将軍と奉先の二人きりになると、将軍が口を開いた。

「街での事は聞いたぞ。黒竜を捕らえ損なったそうだな…」

将軍は薄明かりの中で、微笑した。

「…はい…」

奉先は、どこか気まずい空気を感じながら答えた。


「まあ、心配するな。汚名返上の機会を与えてやる。」


そう言うと、将軍は奉先に床の筵へ座るよう手で指示する。


「お前には、討伐軍に参加して貰う。」

「討伐軍に…?」


奉先は複雑な面持ちで俯いたが、やがて顔を上げた。


「それなら、陵牙を連れて行っては如何いかがです?」

「陵牙…?ああ、あいつか…あいつに兵を指揮する能力は無い…!」

将軍はきっぱりと言った。


「それに、この任務はお前でなければ、駄目だ。お前の任務は、師亜暗殺だ…!」


「暗殺……!」


奉先の表情は曇った。


「師亜を、確実に仕留めねばならぬ…!それが出来るのは、お前をいて他には居ない…」


将軍は静かだが、鋭い眼光で奉先を見据えている。

奉先が、気乗り薄な様子である事を見抜いている将軍は、更に言葉を続けた。


「この任務を成功させれば、お前の一番欲しい物をやろう…」


奉先は、微笑する将軍の目を見詰めた。


「…自由だ!お前をわしのもとから、解放してやる…!」


その言葉に、奉先は思わず瞠目どうもくした。

「だが、しくじれば…一生わしの配下となり、めいに従って貰う…!」

将軍はどうだと言わんばかりに、問い掛ける眼差しを送って来る。

奉先は、暫く押し黙って、将軍の目を見据えた。


「俺に…選択の余地など、あるのですか…?」


それを聞くと、将軍は白い歯を見せて笑った。

「それもそうだな…!これは極秘任務だ…決しての者に漏らしてはならぬ…!」


そう言うと将軍は席を立ち、奉先を残したまま、部屋を出て行った。

薄暗い部屋に取り残された奉先は、沈黙の中で、ただ虚空を見詰めていた。


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