第18話 謎の姉妹

将軍の兵士たちが州境へ辿り着いた頃、晴れ渡っていた空は一転し、小さな雨が降り始めていた。

谷合の街道を、一台の大きな華美なしゃと、数台の荷車、護衛の騎馬たちの列が連なって進んでいる。

一行は、将軍の護衛兵たちと合流し、城邑へ向かった。


その長い行列が暫く進むと、霧で霞んだ道の先に、大きな木の下に二頭の馬を停め、雨宿りをしているらしい二人の少女の姿が見えて来た。

一人は、紅色の着物を、もう一人は、青い着物を身に着けている。


車に乗った男は簾を上げ、手で護衛の一人に合図を送って、車を止めさせた。

護衛の男は、車に乗った主から何やら指示を受け、小さく頷くと、急いで少女たちの元へ向かった。

二人は、十代の同じくらいの年頃の様に見える。


「お前たち、何処へ行く?」

護衛の男が問い掛けると、青い着物の娘が、俯き加減に答えた。


わたくしたちは、鄭邑ていゆうの祭りへ向かう旅芸人です。あと少しという所で雨に遭ってしまい、困っております…」


少女たちは、頭に布を被っている為、はっきりと顔を見る事が出来ない。


男はもう一人の、紅色の娘の前に立ち、布の中を覗き込んだ。

「こ、これは…!」

男は少し驚いた様な顔をした後、小さく咳ばらいをした。

「我が主は、大変慈悲深いお方ゆえ、そなたらを、車に乗せても良いとの仰せだ。」

そう言うと、娘たちを促して、車の方へ向かった。


「主よ、お連れしました。」

護衛の男が、簾の外から、中の人物へ声を掛ける。

簾を開き、中から顔を見せたのは、恰幅かっぷくの良い中年男だった。

男は、少女たちを嘗める様に見た後、紅色の着物の娘に声を掛けた。


「娘よ、名を何と言う?顔を見せるが良い。」


娘は、布を指先で持ち上げ、うやうやしく、恥じらう様に顔を上げた。

長いまつげの奥から、大きな瞳を上げるその少女は、紅を引いた艶やかな唇を開いた。


麗蘭れいらん、と申します…」 


微笑みを浮かべた娘は、まさに絶世の美女であった。




「良し、準備は出来たか?」

長い黒髪をほどき、女物の紅色の着物を身に着けた孟徳は、立ち上がって、虎淵を振り返った。


「どうして、僕まで女の恰好を…?こんなので、大丈夫でしょうか…?」

青い女物の着物姿の虎淵は、不安な表情で、大きな溜め息をついた。


「女の方が、相手を油断させるのに好都合だ。それに、暁塊という男は、無類の女好きであるらしい。心配するな、似合っているぞ!お前なら、孟嘗君もうしょうくん食客しょっかくにもなれよう…!」


孟徳は笑って、虎淵の背中を軽く叩いた。


二人は宿で、すっかり姉妹に変装すると、出発の準備を整えた。

虎淵は、子猫を腕に抱いて、二人の様子を眺めていた玉白に近付くと、腰を落として、玉白の肩を優しく撫でた。

「玉白殿は、僕たちが戻るまで、少しの間、ここで待っていて下さい。」

「…一緒に行く…」

玉白は、振り返って孟徳を見た。


玉白の瞳は、何かを訴え掛けようとしているが、孟徳は、それを敢えて無視する様に言った。

「お前が居なくなったら、こいつはどうするんだ?」

玉白の腕に抱かれている、子猫を指差す。

玉白は、悲しげな顔で虎淵を見つめた。

「そんな顔をしないで下さい…!僕たちは、必ず戻って来ますから…」

そう言いながら、虎淵は目線を足元に落とし、下を向いた。

やがて、玉白は諦めた様子で小さく頷き、黙って俯いた。



悪路に差し掛かり、車輪は大きくきしんだ。

酷く揺れる車内で、虎淵は冷や汗を握り締めていた。


先程から、二人をいぶかしがっているのか何なのか、刺史の暁塊ぎょうかいは、二人にひたすらめる様な視線を送って来る。

あまりの居心地の悪さに、虎淵はちらりと、横に座っている孟徳に視線を向けた。

孟徳は、涼しげな様子で微笑をたたえている。


「お前たちは、姉妹か?」

「はい。この子は、妹の虎蘭こらんと申します。」


暁塊の問い掛けに、孟徳は淀み無く答えた。

「そうか、ふふ…なかなかの美人姉妹よ。」

暁塊は、満足げに笑いを浮かべ、切れ長な目を一層細めて、自分の顎髭を撫でた。


ここぞとばかりに、孟徳は腰を上げ、暁塊の隣に擦り寄る様に座った。

孟徳から漂ってくる、ほのかな甘い香りに、暁塊はうっとりと目を細めた。


「暁塊様、城邑へ着いたら、一つお願いしても宜しいでしようか?」

「何だ?」

「呂興将軍の屋敷へお寄りになるなら、私共わたくしどもも連れて行っては頂けませぬか?」

「そんな事なら、容易たやすい事よ。」


機嫌よく答えた暁塊は、少し身を乗り出すと、舌嘗めずりをした。

「だが…ただで、という訳にはいかんな…」


「ふふ…勿論、何なりとお申しつけ下さいませ。」


孟徳は、怪しげな目付きで、暁塊の顔を見上げた。

向かいに座った虎淵は、はらはらしながら、その様子を見ている。

一刻も早く、この車から飛び出したい気持ちで、一杯になっていた。


突然、車が大きく揺れたかと思うと、車はぴたりと停止した。

「ん…?何事だ…?」

暁塊は、車の小窓に掛かる簾を指で少し上げ、外の様子を伺った。

すると、護衛兵の一人が車へ走り寄り、車の外から中へ報告を行う。


「暁塊様!盗賊共が現れました…!」

「ふん、何をもたもたしておるのか…!さっさと蹴散らしてしまえ…!」


暁塊は鼻であしらいながら、護衛兵に命令した。


すると、その護衛兵は、口元に笑いを浮かべ、


「…はい、既に部下たちは皆、蹴散らされました…!」


と言うや否や、抜き放った剣で車の入り口の簾を切り裂き、その剣を、暁塊の顔の目の前に寸止めした。


「!?」


余りの突然の出来事に、暁塊は悲鳴を上げる間も無かったが、大きな鼻と額に触れそうな刃(やいば)に、改めておののいた。

護衛兵に化けていたその男は、兵士のかぶとを取り、長い髪を下ろした。


「き、貴様は…!!」

「確か以前、お前は二度と自分の民を苦しめぬと、俺と約束をしたはずだ…!」


男は、切れ長で鋭い目を暁塊に向け、低く澄んだ声を発した。


歳はまだ若そうだが、どこか落ち着いた威厳が備わっている。美形と言っても申し分のない、整った目鼻立ちをしていた。

「わ、解っておる…!い、命だけは…!」

暁塊は、わなわなと声を震わせた。


「だが、約束を果たす所か…俺に刺客を差し向けて来た…」


男の態度は冷静そのものだが、声には怒りが込められている。

「こ、この通りじゃ…!もう民への重税は決して致さぬと誓う!金品は好きなだけ持って行くが良い!」

暁塊は慌てて、車の床で平伏ひれふし、額を床板に擦り付けた。


それを見た男は、すっと立ち上がり、暁塊に向けていた剣を鞘に収めた。


「次は無いぞ…!」


暁塊の姿を見下しながらそう言うと、車内にいる二人の娘たちに目を向ける。

「この娘たちは、俺が貰っておく…!俺と共に来い。悪いようには致さぬ…」

男は先程とは全く違い、柔らかい口調で、二人に車から降りて来るよう、手を差し延べて促した。

その様子を、暁塊は少し顔を上げ、横目で忌々しげに睨んだ。


「…よくも…!計画を邪魔してくれたな…!」

「え…?」


男は、目の前の娘から発せられた言葉に、軽く驚きを見せた。

次の瞬間、娘は懐に隠し持っていた匕首ひしゅを、男の胸元目掛けて斬り付けてきた。


男は素早く跳び退いて、車から遠ざかった。


「孟徳様…!」


咄嗟に虎淵が呼び止めたが、孟徳は匕首を手に、男を追って車から飛び出した。

馬のいななきが聞こえ、虎淵が振り返ると、車からいち早く逃げ出した暁塊が、馬を蹴って走り去る所だった。

暁塊は憎らしい表情で、一度こちらを振り返った。


孟徳が突き出した匕首を、男は身軽な動作で、ひらりとかわす。

次の一手は、抜き放った剣で受け止めた。


「ほう…女のくせに、なかなかやるようだ…!」

「うるさい…!!」


かっと目をいからせて、孟徳は再び男に攻撃を仕掛けた。


男は、匕首が喉元に迫った寸前で、さっと素早く体をひるがえし、今度は左手の首刀で、孟徳のうなじの辺りを強く殴打した。


「……!!」


その瞬間、孟徳の膝はがくっと屈し、体は前に傾いた。

男は素早く腰を落とすと、彼の体を右腕でさっと抱き留めた。


「孟徳様…!」


叫びながら、こちらへ走り寄って来る虎淵の声が、朦朧もうろうとする意識の中、次第に遠ざかって行った。

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