第14話 華やかな城邑

鄭邑ていゆうの城内は、夕闇が迫っているにも関わらず、まち中に明かりが燈され、人々が賑やかに行き交っている。

大通りに建ち並ぶ、店や民家には、華やかな飾りが施され、広場では楽器を演奏する旅楽士や舞姫たちによる舞踊が、年に一度の祭りを盛り上げていた。


その華やかな風景を、露台ろだいから望める屋敷の一室で、呂興将軍は小さな酒宴を開いていた。


将軍の前には、木で組んだ箱型の台座が置かれ、その上に男の首が乗せられている。

復命した配下たちの顔を見渡し、将軍は満足げな表情で、酒器に注がれた酒を口に運んだ。


「良くやった。わしをたばかろうとした者に、情けは無用だ…」

そう言うと、配下たちにも杯を配り、酒を振る舞った。


そんな中、一人だけ杯に全く手を伸ばさぬ者がいる。

男は、俯いて座したまま、目の前に置かれた杯を、ただじっと見つめている。

将軍は、他の者たちに下がるよう手で合図を送り、部屋にその男だけを残した。


露台へ出た将軍は、欄干に手を掛け、邑の華やかな景色を見下ろした。


「あの大男を、見事に討ち果たすとは、やはりわしの目に狂いは無かった、という事よ…」

誰に話すとも無く、将軍は呟くと、部屋の方を振り返って男を見た。


「それにしても、お前の主殿あるじどのには感心した…配下一人の為に、我が身をなげうつ覚悟とは、殊勝しゅしょうな事よ…」


そう言って冷笑する将軍は、室内に飾られた宝剣を手に取り、黙って俯いたままの、男の前に腰を降ろした。


見事な装飾が施されたその剣を、鞘から抜き取ると、燭台の明かりに照らされ、怪しい輝きが室内に走った。

その美しい剣身には、鏡の様に将軍の姿が映っている。

己の姿をしげしげと見つめていた将軍は、やがて首を回して男を見やり、鋭い剣先をその首にあてがった。


「だが、お前はどうだ?結局、主を裏切り、わしの配下となった。今更、戻りたくても戻れぬであろう…奉先よ…!」


そう言いながら、喉元に切っ先を押し当て、顎を上げさせた。


奉先は固く口を結んだまま、鋭い目付きで将軍の顔を見上げた。

将軍は、目元に笑みを浮かべ、口元を歪めている。


「ふっ…はははははは…!」

やがて、勝ち誇った様に、声を立てて笑った。


奉先は目を伏せ、何処か遠くで響いて来る様な、奇妙な将軍の笑い声だけを聞いていた。




振り下ろされた剣は、奉先の首の真横で止まっていた。

奉先の長い髪が、肩越しに、ばっさりと切り落とされている。


「………!」


奉先は目を開いたが、今の状況を把握しきれないでいた。


うっすらと雪の積もった刑場には、暫し沈黙が流れた。

奉先は体を縄で縛られ、将軍の配下たちに、断頭台に取り押さえられている。

白い地面に切り落とされた、黒い髪の束を手に取った将軍は、

「お前の命は、わしが預かった…!」

そう言って微笑し、奉先を見下ろした。


将軍はおもむろに、奉先の前に腰を落とし、彼の首を片手で強く掴んだ。


「お前は、十人もの刺客せっかくたちを一人で倒した…彼らは皆、わしの優秀な部下たちだった…!お前の様な、田舎者の武人に、何故そのような事が出来たのか、わしはそれが知りたい…!」


「………」

奉先は無言のまま、将軍の顔を見上げている。


「わしの部下になれ…!」


将軍は鋭く、奉先の瞳を覗き込む目付きで言った。


「俺は、曹家の武士だ…主を替える気は無い…!詰まらぬ事を言わず、斬れ!」

奉先は、将軍を睨みつけた。


ふっ…と将軍は鼻で笑う。

「お前は、本当にお前一人の命で、全てが解決すると考えているか…?」


「………?!」


「今の朝廷は、宦官かんがんたちの専横が横行している。宦官に賄賂わいろさえ渡せば、曹家など潰すのは容易いという事だ…!」


「曹家には、手を出さぬと約束した…!」

奉先は、喉から振り絞るように声を出した。


「ああ、約束した!…だがお前は、それ程まで、わしを信頼しているか…?」

将軍は、目元に冷笑を浮かべている。


「お前という、邪魔者を消し…ただ手をこまねいて見ているだけだと…?」

奉先はじっと、将軍の瞳に映る、怪しい光を凝視した。


「…生きてこそ、その真偽を見極める事が出来よう…?」


将軍は諭すように言う。

奉先の瞳は当惑の色を帯び、将軍の薄笑いが投影されている。


やがて奉先は目を伏せ、肩の力を抜いて、ぐったりとうなだれた。




奉先は、冷たい頬に夜風を浴びながら、足早に将軍の屋敷を後にした。

邑内ゆうないの通りは、どこも祭りで賑わっており、人々で溢れ返っている。

何度も見知らぬ者に、肩をぶつけられたが、彼は振り返ろうとはしなかった。


俺は、あの時確かに死んだのだ……


俯きながら歩いていた奉先は、やがて足を止め、空に浮かぶ青白い月を見上げた。


将軍の言葉通り…どのような形であれ、俺は曹家を…麗蘭殿を裏切ったのは、事実だ…最早、この身の戻れる場所は無い…

同じ空のもと、俺の心はあなたの傍にある……


遥か遠い空に、一筋の流星が落ちるのが見えた。

ふと、奉先は後ろから誰かに呼ばれた様な気がして、振り返った。

人混みの中に、彼を見ようとする者は誰もいない。

一抹の孤独を感じた時、奉先はある事を思い出した。


それにしても…昨夜あの森で遭遇した少年は、姿形、太刀筋までも、虎淵と麗蘭殿に似ていた…

だが、あんな場所に二人がいたとは考えられぬ…

俺の妄想が、二人の姿を見せたのか……?


不意に、笑いが込み上げた。

俺は…帰りたがっているのか…


暗い空を見上げた奉先は、自分で自分を笑いたかった。




春風と呼ぶには、まだ少し冷たい風が、城邑内を吹き抜けて行く。

爽やかに澄んだ空気が心地好く、馬上の孟徳はたもとなびかせながら、後に続く馬上の虎淵と、それに引かれている荷車を振り返った。


荷車から身を乗り出した玉白が、楽しそうに邑の風景を見回している。


「おい、玉白。あまりはしゃぐと、しゃから転げ落ちるぞ!」


珍しく笑顔を見せる孟徳に、玉白は満面の笑みで応えた。


鄭邑の城内は祭りの最中で、街のあちらこちらが華やかに飾られている。

店が建ち並ぶ通りからは、賑やかな音楽が流れ、良い香りが漂っていた。


「随分と賑やかですね。」

虎淵が馬を並べて、話しかけた。

「この辺りは、昔から音楽が盛んな場所柄だからな。」


「孟徳様、僕はどこかに宿を探して来ますから、早速、邑内ゆうないを偵察なさってはいかがです?玉白殿と一緒に。」


「は?何で俺が、玉白と…!」


孟徳は不満な表情で、虎淵を睨んだ。


「もしかしたら、玉白殿の方が、この街に詳しいかも知れませんよ。」

そう言うと、虎淵は馬を降り、荷車から玉白を降ろした。

「一刻ほどしたら、東の城門で落ち合いましょう。」

虎淵は白い歯を見せて笑うと、孟徳の乗っていた馬のくつわを取って、通りの向こうへさっさと行ってしまった。


「全く…虎淵の奴は、何を考えているのだ…!」


虎淵が去って行った方へ、吐き捨てる様に言った孟徳は、立ち尽くす玉白を見た。


「お前、呂将軍の屋敷の場所が分かるか?」


玉白は少し考えたが、俯き加減に首を横に振った。


「仕方がない…迷子になるなよ!」

そう言って、孟徳が歩き始めると、玉白は急いで後を追い掛け、孟徳の着物の裾をぎゅっと強く握りしめた。


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