第13話 玉白

茂みを掻き分けながら、河原へ降りて来る人影がある。

降りて来た小柄な男は、川辺にしゃがみ込むと、ひさごを取り出し、水を汲み始めた。

「全く…いつまで、むくれていやがるんだ!玉白ぎょくはく!」

そう怒鳴ったのは、趙泌ちょうひつだった。


趙泌が後ろを振り返ると、茂みから玉白が現れた。

無言で趙泌の隣に座り、同じように瓢に水を汲む。

「お前ぇは、あいつらが気に入っていたみたいだが、仕方がねえだろう…!わしらもこれが商売なんだ!」

「…………」

玉白は黙ったまま、きらきらと輝く水面を見つめている。


「あいつらは今頃、何処か遠くのむらへ連れて行かれて、奴隷として売り飛ばされてるにちげえねえ…!」


そう言うと、さっさと腰を上げ、元来た茂みの中へ入って行った。

玉白は振り向かないまま、顔を上げると、遠くの山々を遠望した。


やがて二人は、街道の脇の木に繋いだ、馬と荷車のある場所まで戻って来た。

趙泌は、水の入った瓢を馬の背にくくり付け、馬にまたがった。

荷車の台へ上った玉白は、ふと、台の上に置かれたむしろに目を留めた。


筵は、さっきまでと様子が違う事に気付いた。

中に何かが入り込んでいる様だ。少しこんもりと、盛り上がっている。

玉白は、小首をかしげ、筵に手を伸ばした。


突然、その玉白の細い腕は、何者かに掴み掛かられた。

驚いて腕を引っ込めようと、玉白はもがいた。


玉白の腕を掴み、筵の中から姿を現した何者かは、素早く玉白の首に腕を回し、玉白の首を羽交い締めにした。

その物音に、趙泌は驚いて馬から飛び降り、荷車に駆け寄った。


「お、お前ぇ…!一体どうやって…?!」


「趙泌!よくも俺たちを騙してくれたな!」


玉白を拘束していたのは、孟徳だった。

更に、木の陰から虎淵が現れる。


趙泌は、慌てて地面に膝を突いた。

「ち、違えんだ…!あっしらは、かしらに脅されて…仕方がなかったんだよ!家族を人質にされて…!」

「そんな話は、どうでもいい!俺たちの荷を返してもらう…!」

孟徳はそう言うと、目で虎淵に合図を送った。

虎淵は、荷車の上にあった、自分と孟徳の剣を取り出す。


「全く…大した餓鬼共だ…!」

趙泌は苦笑いをしながら、その様子を見ていたが、開き直った様な態度で立ち上がり、荷車の方へ近付いて来た。


「おい!動くな!こいつの首をへし折るぞ!」


「ほお、やりたきゃやれ!そいつは、俺とは何の縁もゆかりも無えんでな…代わりは幾らでもいるんだよ!」

そう言って、鼻で笑う。


「こいつの耳が聞こえぬと言うのも、姉が虎に襲われたって話も、全部嘘なんだろう…!」


孟徳は、玉白を捕まえたまま、さっと荷車から降りた。


「耳も聞こえず、大切な姉も死んじまった憐れな娘…その方が、同情を買い易いからな!お前ぇたちみたいに、皆簡単に騙されるんだよ…!」


「動くな!」

虎淵が怒声を放って、趙泌の後ろから、剣の切っ先を背中に押し当てた。


孟徳は、玉白の腕を縄で素早く縛り、抱き上げて荷車に乗せた。

「こいつは貰って行く。ついでに、馬と荷車もだ…!」

そう言うと、趙泌の方を振り返る。


趙泌は、縄で体を縛られ、地面に膝を突いて座っていた。

孟徳は、馬から瓢の一つをほどき、趙泌の足元に投げた。


「命だけは助けてやるんだ。有り難いと思え!こんな商売は、もう辞めるんだな!」


馬上から、趙泌を冷ややかに見下ろす孟徳は、馬の腹を蹴って走り出した。

虎淵が跨がった、荷車を引く馬も同時に動き始める。


遠ざかって行く馬と荷車を、趙泌は無言で睨み続けていた。



辺りの山々が、夕焼けに染まりはじめた頃、遥か遠くに小さな集落が見えてきた。

孟徳は馬を止め、それを遠望した。


「良し…この辺りで良いだろう…」

馬から降り、後ろに付いて来ている、荷車の方へ歩いて行く。

馬上の虎淵は、不思議そうに孟徳の姿を目で追った。


縄で縛られた両手首を、胸の前で合わせ、荷車の隅にうずくまる玉白がいる。

玉白は気配に気付き、顔を上げると、大きな黒い瞳で、孟徳を見上げた。

孟徳は玉白を立ち上がらせると、腰の辺りを支えてふわりと持ち上げ、玉白を荷車から降ろした。

そして、懐から短刀を取り出し、手首を縛った縄を切った。


「ほら、もう行け!あんな奴に、捕まるんじゃないぞ…」


孟徳は、険しい表情で言った。

玉白は視線を落とし、しばらく自分の手首を見つめていたが、やがて顔を上げて、孟徳を見上げた。玉白の瞳には、困惑の色が浮かんでいる。


孟徳は、そのまま玉白に背を向けて、歩き始めた。


「孟徳様…こんな所に、置き去りになさるのですか?!」


虎淵は、驚きの声を上げた。

孟徳は振り返ると、小さく溜め息を漏らした。

「はぁ…分かったよ…!」

そう言うと、荷車の中から、ひさごを一つ取り上げ、玉白の足元に投げて渡した。


再び歩き始めた孟徳に、虎淵が少し声を荒げて呼び掛けた。

「せめて、あの集落まで、連れて行ってあげてはどうですか?!」


「虎淵!お前、人が良いのも大概たいがいにしろ!」


今度は、孟徳の方が声を荒げた。


「こいつらのせいで、俺たちは死にそうな目に遭ったんだぞ!これ以上、係わり合ってはおられぬ!」

そう言い捨て、不機嫌な顔でさっときびすを返すと、馬にまたがった。


虎淵は深く溜め息をつき、馬から降りると、荷車から小さな包みに入った食料を取り出し、玉白に手渡した。

「玉白殿、お許しを…僕たちは、急いで行かねばならぬ所があるのです…」

虎淵は俯いて、なるべく玉白と目を合わせぬ様にしながら言った。

玉白は目を赤くして、虎淵の顔を凝視しているのが分かる。


虎淵はさっと包みから手を離し、急いで馬に跨がった。

立ち尽くす玉白を残して、荷車は動き始めた。


少し進んだ所で、虎淵が肩越しに後ろを振り返ると、玉白はその場に立ち尽くしたままで、次第にその姿は遠ざかって行く。

孟徳は不機嫌な表情のまま、一度も後ろを振り返る事はなかった。



やがて、辺りには闇が広がり始めた。

月明かりだけが、山に続く道を青白く照らしている。

二人は無言のまま、暫く続く、なだらかな下り坂を下っていた。

「ん?」

孟徳は、道の前方に何かが居る事に気付いた。

道の脇にある小さな岩の上に、誰かが座っている。


こんな山奥に…と思いながら近付いて行くと、暗がりの中、月明かりに照らし出された人物が、次第にはっきりと見えてきた。

「あ…!」

孟徳は目を見張った。

その岩の上に、ちょこんと座っているのは、玉白だった。


「あいつ、いつの間に…?!」


孟徳は顔をしかめた。

「玉白殿…?!」

それに気付いた虎淵も、驚いて声を上げた。

玉白は岩から腰を上げ、孟徳の馬が近付いて来るのを、じっと待っている。


やがて、目の前まで馬がやって来ると、玉白は孟徳を見上げた。


「お前、どうやってここまで来た?!」


孟徳が問い掛けると、玉白は後ろを振り返り、茂みの奥を指差した。

どうやら、そこに小さな脇道が続いているらしい。

「玉白殿は、この辺りの近道を、良くご存知の様ですよ…!」

虎淵が愉快そうに、声を弾ませて言った。

「……!」

孟徳は渋面じゅうめんのまま、虎淵を振り返って睨んだ。


孟徳が玉白を見下ろすと、玉白は無言のまま、自分の懐に手を入れ、中から白い布の包みを取り出した。腕を伸ばして、孟徳に差し出す。

「あ…!お前が持っていたのか…無くしたと思っていた…」

それは、奉先の遺髪が包まれた布だった。 


「…お姉ちゃん…」

玉白は、消え入りそうな声で呟いた。


「え…?」

孟徳は、初めて聞く玉白の声に驚いた。


「…お姉ちゃんが、いたのは…本当…」


「お前、口が利けるのか?!」


玉白はこっくりと頷く。


「あいつらに…売られた…でも、きっと何処かで生きてる…」


玉白は、真っすぐに孟徳を見つめる。

孟徳は、黙って玉白の手から、布の包みを受け取った。


「孟徳様、どうします?やっぱり、置いて行きますか?」

二人の様子を、後ろから見ていた虎淵が、孟徳に呼び掛けてきた。

孟徳は目を伏せ、溜め息をついた。

「……勝手にしろ…!」

そう言うと、馬を歩かせ始める。


虎淵は、荷車を玉白の隣に付けると、笑顔を投げかけ、玉白の手を取って荷車に上がらせた。

荷車に乗った玉白は、そこで始めて笑顔を見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます